広島・昭和20年8月6日(2005TBS)集大成的な原爆映画
メディア:TVM 144分 放映日:2005/08/29 放映局:TBS/毎日放送 製作:TBS
演出:福澤克雄 プロデューサー:那須田淳、瀬戸口克陽 制作プロデューサー:八木康夫 脚本:遊川和彦
主題歌:夏川りみ『涙そうそう』(エンドタイトルで流れる)
出演:
松たか子(矢島志のぶ)主人公1、長女、矢島旅館のおかみ、しっかり者、両親は既になく軍人に愛想を使い切り盛り、どんな方法を使ってでも生きると決意、宝塚と重松との結婚が夢だったが諦めていた、重松からの手紙を待つ
加藤あい(矢島信子)主人公2、次女、小学校教師、戦争に反対、子供にきちんと教えるのが夢で子供を自由にさせ大問題に、戦争で大原との結婚を躊躇していたが、長女の言われ結婚する
長澤まさみ(矢島真希)主人公3、三女、女学生、軍需工場で働く、バレエが夢だが諦めていた、戦争遂行に賛成、朝鮮人級友と知り合い変る、
冨浦智嗣(矢島年明)年下の長男、動物や花を愛する優しい、教官に殴られる、少年飛行兵に無理に志願させられ、出征する
国分太一(重松道昭)医学生から徴兵され軍医に、広島研修中に長女と知り合う、結婚申し込むが拒否される、少し抜けた人物、8/6朝に広島に帰国、石の影となった長女を知る
玉山鉄二(大原靖秀)産業奨励館職員、足が悪い、次女の恋人だが次女が躊躇、子供のような人物
深田あき(金田美花)次女の級友、朝鮮人、虐められている、バレエが夢、一緒に軍人から逃げる
甲本雅裕(被服工場の教官の軍人)悪人、朝鮮人を虐める、次女らを大追跡
石丸謙二郎(広瀬中佐)旅館の馴染み、長女の頼みで次女たちを救う
泉谷しげる(郵便配達人)手紙毎日配る
西田敏行(語り部の老人)生き残った重松、修学旅行生に3人の物語を語る、原爆反対を明言
感想
原爆の悲劇を正面から扱った大規模な最初のテレビドラマ、大型のセット、CGによる戦前広島の街の再現、有名俳優の多数起用、TV局の宣伝文句など、これが大規模な作品である事を明言している。原爆の悲劇を訴え、原爆反対を強く訴えるドラマだが、手法として映画「TOMORROW明日」の手法をとり、具体的には原爆の惨状は示さず、投下以前の市民の平和な生活を描き、対比する事で強調している。同時に戦時下の市民生活を描き、戦争の理不尽さ、朝鮮人差別、軍人の横暴、戦争の反対、米の原爆投下の根拠のなさなども提示した。長いドラマ部分と原爆投下に至る説明で、内容豊富に・かつ90年代の言う「声高でない」手法で示す原爆映画として集大成的な大作、観客の主人公への感情移入は強く、観客へのアピールは大きいだろう。上の下。
上記は映画評論家・批評家からはテレビドラマ的な明快さ、わかりやすさ故に「非芸術的」として「おきまりの反戦ドラマ」として割り引かれる可能性が大きい。テレビドラマの為映画批評の俎上に上らず、歴史的評価は不明(2018年現在)だが、DVD化されており*1将来的にテレビドラマを含めた表象の歴史が書かれた時には、名作として記載されるべきものだ。
上記のメッセージは主人公らのエピソード、台詞、演出などで明確だ。1次女は戦争に意味を見いだせず明らかに反戦的な意見を持ち口にする、エピソードとして建物疎開に従事すべき指導下の学生を「自由を与えたい」として遊ばせ、「戦争より個人の幸福を」とのメッセージ性は明確だ。2原爆映画で初めて被曝者として朝鮮人が設定され最後には死ぬ、同時に日本人による差別も控えめながら描かれ「八月の狂詩曲」に向けられた選択的健忘症という批判に答えている。朝鮮人への差別はドラマとしては小さいが台詞では少女の父の理不尽な拘束として語られている。3年小の長男は航空兵に志願するがそれが無理矢理であり、飛行機もないので無意味だと、彼自身の意思としても、状況としても明確に戦争反対のメッセージを示している。これは当時の子供にはあり得ない言動であり、ドラマの意図が明確だ。4同時に少年の出征シーンは見送る姉3人が皆悲しげな様子でありこれ以上明確な反戦意図の場面はない。多くの映画では出征してほしくないとの感情はあってもそれを隠し表面的には積極的に出征を見送るという場面が構成されるのに対し、非常に対称的だ。5ドラマでは原爆投下後の惨状はごく小さくしか描かず被曝者の悲惨な様子はまったく見えず、「声高」ではない。しかしエンドタイトルでは被曝者の悲惨な様子の実写真を流し、更にこれに「涙そうそう」という優しげな音楽を流し、対比効果でよりいっそうその残酷さを強調した。ドラマ部分では惨状は「声高」ではないが、演出上は最後まで非常に強く原爆の惨状とその悲劇性を訴えた物だった。
ドラマのアイデアは「TOMORROW明日」を踏襲し更に純化したものになっている。即ち1前日だけでなく原爆投下に至る数日を描き、更にそこに原爆投下に至るアメリカ側の行動を挿入し、平和にそれぞれ生きた人間が一瞬で消える対比をより強調した、2描かれる家族は両親がなく姉妹3人の女性の視点で整理されている。年小の長男は出征しおらず(しかも弱虫と設定)、3人の娘の恋愛相手もそれぞれ、長女=どこか頼りなく平和指向の医者、次女=足の悪く人の良い事務員と指導的な男性は登場しない。姉が擬似的な父親だがドラマが進めば姉妹の関係もフラットで平等と知れる。女性の視点による徹底した平和・平等指向である。3姉妹にはそれぞれ夢があり、それが原爆により一瞬に奪われたと明確に示している。長女=恋人との結婚と宝塚、次女=出産と教師としての仕事、3女=バレエ。4軍人が悪人として明示、次女のエピソードで登場する教官は表情仕草が明かな悪人であり、長女は高級軍人と仲が良いがそれは家業を続ける為の方策と説明されている。長女の恋人の軍医の少ない登場シーンでも日本兵の多くの死者が示される。5映画「TOMORROW明日」と異なり原爆投下でドラマは終わらず、姉妹が原爆で死んだ事がナレーションで明示される、更に投下直後に広島を訪れる長女の恋人により、長女が石に焼き付けられた影でしか残っていない事が描かれ、その具体的な場面進行で悲劇を強調し、観客の涙を誘っている。
なおドラマは現在の広島の語り部(実は生き残った長女の恋人)から始まり、よりわかりやすい枠物語を形成している。語り部は明確に原爆反対・戦争反対を語る。
評価まとめ
- 時間・規模・予算から集大成的な原爆映画。同時に「TOMORROW明日」方式「声高でない」形式であっても、曖昧にならず明確に原爆反対、原爆の悲惨さ、戦争反対を訴える強いメッセージ性をもつ優れた作品。
- テレビドラマ故の明快さ・わかりやすさが芸術的にどう評価されるかは、映像作品評価の進展にゆだねられる。少なくとも本作の場合、明快であるが故に芸術的感興が下がるとは言えない。
- 多くの戦時下のエピソードを反戦的に語る、朝鮮人差別や朝鮮人被曝者の存在を描く
- 原爆ドームの戦前の姿を再現、また広島の街を再現
- 路面電車を古い町並みで実際に走らせたシーンを構成(中国映画スタジオで撮影か?)
- 建物疎開のシーンを大規模ではっきりと明示。
- 駅頭での少年の出征シーンを再現、列車はなんとかそれらしい
- 原爆投下により平和な市民が理由なく殺された事を示す物で、戦後の被曝者の苦労・苦悩などは扱っていない
- 日本軍の悪さ、戦争の理不尽さ、アメリカの原爆投下が戦争終結の為とは言えないという経緯は描いても、日本の戦争開始の経緯は触れていない(正しい表現だろう)、「日本が戦争を開始したから原爆投下は自業自得」などの議論・反論は扱っていない。原爆はいかに非人道的か(戦争犯罪を意味するがその台詞はない)を訴えている