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映画「オッペンハイマー」日本人の誤解のメカニズム

映画「オッペンハイマー」日本人の誤解のメカニズム

2023年8月現在映画「オッペンハイマー」は米国で大ヒット・大好評だが日本公開は未定だ、その為海外で映画を見た日本人が感想をSNSで述べてるが一部の日本人はこの映画を反核だと誤解している。町山智浩ツイッターで何度も述べてる。

だが(1)アメリカ人の原爆への意識(2)原爆扱った米映画史的経験(3)映画の構造・台詞、から反核ではないのは明らかだ。Cノーラン監督は「オッペンハイマーが内心では広島原爆の罪を感じ、戦後核兵器廃止に転じた」との架空の物語(注)を創作し、原爆を肯定する大多数のアメリカの認識に小さな波風をたてることで観客の緊張と関心を呼び大ヒットさせたのだ。

だが映画の焦点たる後半の議論を詳しく追えばこの映画はあくまで原爆を正当化するアメリカの論理上に立ち、その中でしか動かない手の込んだ原爆正当化映画である事がわかるだろう。

以降で(1)と(3)の点から誤解の原因を述べる

注=史実のオッペンハイマーは戦後も強く原爆開発と使用を推進した、水爆については1949年の2か月だけ反対したが大統領の決定後に即座に賛成に転じた。映画で描かれる公聴会は1954年で賛成に転じた後。オッペンハイマーが広島を悔いた発言は確認できない、原作本にもない。

OPPENHEIMER Christopher Nolan



◆映画の構成


前半:オッペンの若い時期からマンハッタン計画への参加そして米での核爆弾の実験(映像的クライマックス)広島爆発の様子を皆で知る場面(惨状の映像はない)その後のトルーマン大統領との会見となる

ここではオッペンは「手が血塗られてる」「我は世界の破壊者なり」などの台詞や広島の惨状に心を痛めていると想像させる演出で、日本人観客は無邪気にオッペンの反核の心情を想像する。だが注意すべきは台詞では一言も反省の弁はない事だ。

後半:1954年のオッペンの査問会と1959年のストロースの聴聞会を交互に見せ、オッペンの査問会の様子とそれがインチキであると映画は示す。査問会の主眼はオッペンが共産主義者と通じており信用できない人物か否かだが、その中で一部に水爆使用の是非に関する議論がある。査問会はオッペンが共産主義者の疑いあり、として有罪になるのだが日本人には原水爆に反対したから有罪のように見てしまうようだ。


◆日本人観客の誤解


日本人観客はこの水爆に関する議論でオッペンが核兵器=悪との信念から水爆開発に反対したと誤解している。その原因が英語で鑑賞した多くの日本人が議論の内容をきちんと理解できなかったと述べており、後半の経緯を追えない事にある。

ではその議論はどんな物か?(後段に全文訳出)
査問官ロッブROBBはオッペンハイマーが道義的呵責(moral qualm)から水爆開発に反対し、もし広島へ水爆を投下するなら反対するのか?と締め上げる、だがオッペンはそれらは「自分の判断すべき事ではない」「技術的問題」としか答えず誤魔化す。更に最後の言葉としても反対の理由に「武器を持っていれば全て使ってしまうから」としか答えず結局、反対なのか否か・なぜ水爆に反対したのか曖昧である。

この曖昧さと共に原爆被害者の話題と共に高まる効果音など、演出で原爆の強力さ&被害を強調する場面が誤解を生んでいるのだろう。それは台詞や映像で明確せず非言語メッセージでしか被害を言わない、言語化すればアメリカ側から批判される為だ。監督が意図的に工夫したものと思われる。

ほとんどの日本人にとって原爆映画はその悪をどう描くかの多様性にあろう。なのでこの映画の「原爆への加害の呵責暗示+核兵器反対を含む曖昧な議論」から、議論内容を理解しない、反核=「主人公も原水爆に反対なのだ」と受け取ったのであろう。


アメリカ人観客の受け取り

一方原爆肯定が根底にあるアメリカ人観客にはこの場面は主人公の欺瞞さとして映るだろう。オッペンは「我は世界の破壊者なり」などと原爆の破壊力を強調するが、一方広島投下を反省した様子はな水爆にも問い詰められないと反対とは言わない。映画は主人公への批判者の台詞でオッペンハイマーが口だけの偽善者で栄誉だけを独り占めする一方広島への反省はない、と挿入されてる。審問のやり取りを通しても主人公は本心を示さず最後まで言葉の真の意味は不明である。なので言葉は目立つがその意味は曖昧なままだ。

更にこの映画はアメリカの原爆正当化の流れの上にある。
なぜなら現在の核兵器禁止条約などの原爆反対の論理は、原爆が過剰に残酷で民間人をも無差別に殺す「過剰な残酷さ・無差別性」にある。それらは毒ガスなどと同じ戦争犯罪だ。だがこの映画は原爆被害の残酷映像を出さずその2点には沈黙したままであり強調するのは強力さだ。この水爆の異常な強力さは「原爆投下は必要なかった」「世界の原爆を管理する責任がアメリカにある」などの原爆使用を前提に使い方のみを議論する今のアメリカの現状に沿ったもので原爆を肯定する考え方だ。

つまりアメリカ人にとって映画後半のオッペンへの水爆に反対する言葉は強力な核兵器でその使い方を真面目に考えろ、という「原爆肯定の上での真摯な議論を改めて呼びかけた物」と受け止められたのだろう。だからアメリカでよい映画として大ヒットしたのだ。アメリカ人がこの映画を核兵器廃止否かというテーマと受け取れば米の批評家ははっきりした言葉でこれは空想的と批判しただろう、そんな批評は聞かない。また映画史的な観点で映画が大ヒットするはずがない。

従ってこの映画は手の込んだ原爆正当化映画である。


◆シナリオから議論の詳細を以下に示す

ロッブ=検事役
注:アメリカは原爆開発と同時に水爆開発も続けており、この1954年時点で既に水爆開発に成功してる、主人公が水爆に反対したのは1949年の2か月間にすぎない

(英語シナリオp207)
ロッブ:博士、ロスアラモスの水爆の過去数年の開発で、兵器開発への道徳的不安(moral qualm 道義的呵責)を感じましたか?
オッペン:もちろん

ロッブ:しかしあなたは働き続けた、なぜですか?
オッペン:なぜならそれが開発作業であり兵器の準備ではなかったからです

ロッブ:あなたは単に学術的な探索だったと言いたいのですか?
オッペン:いいえ、我々が作った水爆は学問的事柄ではない、それは生と死に関する問題だ

ロッブ:1942年初めあなたは水爆開発を積極的に押し進めたのでは?
オッペン:押し進めたは正確でない、支持し作業したが正しい

(p208)
ロッブ:道徳的不安が強くなった時、あなたは水爆開発に反対したのですね
オッペン:我々が持つ武器の中で原爆とのバランスも考えずコストを無視したまま、米国政府が水爆推進の方針を決めた時に反対の提案をしました

ロッブ:(混乱した様子で)反対提案に道徳的不安はどう関わるのですか?
オッペン:(返して)道徳的不安がどうしたって?

ロッブ:そうです
オッペン:(答えを探して)原爆を使うのに制限はありません

(この間に「オッペンハイマーはけして広島への反省を述べなかった」とのストロースの独白が挿入)

(p209)
ロッブ:博士、事実あなたは日本への原爆投下で目標選定に助言したじゃないですか?
オッペン:はい

ロッブ:あなたの選んだ場所に原爆が投下されると数十万人もの民間人を殺したり傷つけると知っていた訳ですね?
オッペン:判明して多くとわかりました

ロッブ:何人が死んだり負傷したのですか?
オッペン:7万人です

ロッブ:7万人?広島と他に?
オッペン:両方で11万人です

ロッブ:2つの爆弾で1日で?
オッペン:はい

ロッブ:1週間後または1年後では?
オッペン:15万人位までになる

(p210)
ロッブ:死者が少なくとも22万人ですか?
オッペン:(うなづく)

ロッブ:それに道徳的不安を感じましたか?
オッペン:とても強く

ロッブ:しかしあなたは広島への投下はとても成功だったと証言してますね?
オッペン:はい技術的には成功しました

ロッブ:技術的には?
オッペン:戦争を終わらすには助けになったと言われてます

ロッブ:広島へ水爆を投下する事にもあなたは支持しましたか?
オッペン:それはあまり意味がない。

(p211)
ロッブ:なぜ?
オッペン:目標が小さすぎる。

ロッブ:では仮に日本に十分な大きさの水爆の目標があったとして、それでも水爆投下に反対したと思いますか?
オッペン:それは私の直面した問題ではありませんでした

ロッブ:今どう思うか聞いている。道徳的不安を理由に日本への水爆投下に反対しますか?
オッペン:そう思います

ロッブ:では道徳的不安から広島への原爆投下に反対しましたか?
オッペン:我々は…

ロッブ:我々ではなくあなたの意見では?
オッペン:私は原爆投下に反対する意見は提示した。だがそのような意見を支持はしなかった

(ここでオッペンを偽善者と批判するストロースの独白の挿入)

(p212)
ロッブ:あなたは原爆開発のために3年も費やしたのに、使うべきではないと主張したのですか。
オッペン:違います。陸軍長官に科学者の意見を聞かれたので、原爆投下に反対する見解と賛成する見解の両方を伝えた

ロッブ:あなたは日本への原爆投下を支持しましたよね?
オッペン:支持とはどういう意味ですか?

ロッブ:投下場所の選定に協力しましたよね。
オッペン:自分の仕事をした、私はロスアラモスの政策を決定をする立場にはなかった。私は依頼されたことを何でもやっただけだ

ロッブ:あなたは水爆開発も求められた、それもですか?
オッペン:私はできません

(p213)
ロッブ:博士あなたに開発を求めている訳ではない
オッペン:水爆でも仕事はした、だが研究所の運営と政府への提案は別の仕事だ

ロッブ:あなたが副委員長を務めるGAC(一般諮問委員会)の報告で、ソ連の原爆開発の後でさえ、水爆は製造すべきではないと言ったのですよね?
オッペン:我々いや私が言おうとしたのは、水爆がない方がよい世界になるという事です

ロッブ:ソ連が軍事力増強の為に何をしてもですか?
オッペン:もし我々が水爆を作れば彼らも作るでしょう、我々の努力は彼らに火を注ぐようなものです、原爆の時のようにです!

ロッブ:確かに「原爆の時のように」だ1945年には道徳的不安はなかったが1949年には増した(注:1945年にはソ連は原爆を持っていないが1949年にはソ連は原爆を持った)

グレイ:オッペンハイマー博士、いつあなたは水爆への道徳的信念を強くしたのですか?
オッペン:「我々は持っている兵器はなんでも使ってしまう」とはっきり自覚した時です


(p214)
この次の場面ではストロースの独白でオッペンハイマーは原爆開発の栄誉だけ受けて広島長崎の責任が忘れられてると毒づく

その次の場面でオッペンハイマーの査問会の結論が出てオッペンの締め出しが決まる


◆参考図書

シナリオの公聴会の様子は史実に基づくと思われるが詳細は不明で映画がある程度創作している可能性もある。原作本も含め研究者の関心は共産党支持者との関係を尋ねる赤狩り審問の経緯にあり水爆の議論ではない。1954年時点でオッペンハイマーは水爆を支持しており史実的には公聴会の主テーマではないのは明白である。公聴会でもオッペンは水爆を支持している。

・シナリオ「OPPENHEIMER」by Christopher Nolan 2023 Faber社(英文)
・映画原作本「オッペンハイマー上下」カイ・バード+Mシャーウィン PHP 2007(原著:American Prometheus:The Triumph and Tragidy of J.Robert Oppenheimer 2005
・「原爆から水爆へ上下」 リチャード・ローズ 紀伊国屋書店 2001(オッペンの水爆反対提案や公聴会について詳しく記述)
・「広島を壊滅させた男オッペンハイマー」ピーター・グッドチャイルド 白水社 1995(公聴会について具体的やり取りを記述)
・「オッペンハイマー・愚者としての科学者」藤永茂 ちくま文庫 1996(オッペンの行動全体を分析、公聴会についてやり取りを記述)
・「なぜ原爆は悪ではないのか~アメリカの核意識」 宮本ゆき 岩波書店 2020(米デュポール大で倫理学専門の教授による分析、アメリカ人の認識について詳しく記述)