zames_makiのブログ

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映画「ひろしま」の製作経緯:反米とは何を指すのか

原爆の実態を初めて描いた賞賛されるべき映画「ひろしま」の製作経緯は誤解されている。いわく政治的だ、新藤兼人に圧力をかけた等。ネットでは制作関係者により経緯が述べられている。又福間良明は「反戦のメディア史」2006年、で詳しく記述している。

小林一平氏の講演

https://iwj.co.jp/wj/open/archives/161861
https://www.youtube.com/watch?v=vf3_Kuzc6jA
小林一平氏(2015年死去)はその父小林大平氏が映画「ひろしま」の助監督で映画「ひろしま」の普及再評価運動を行っている。ニュープリントから外国語字幕を作成し海外で上映可能にする事、DVDを作成する事などだ。

講演日時:2014年8月15日(金)場所:市川市市民会館(千葉県市川市)主催:トランジション タウンいちかわ

製作経緯は
 1951年、日本の独立によりでそれまで占領軍による検閲で報道すら許されていない原爆の事実を知らせようとする活動が始まった。1951年に被爆した児童の被爆体験の作文集「原爆の子」(長田新編、岩波書店)が出版されこれを基に新藤兼人氏と日教組で同時に映画製作の話が持ち上がった。
 新藤兼人氏は自身のシナリオで「広島の天使」を進行中だった。「原爆の子」の作者長田新氏や寄稿した子供たちは、子供を中心にした映画で原爆の実態を描いてくれと要求したが結局新藤氏は共同製作の件も含め拒否した。1952年に「原爆の子」が上映されたが子供たちは自分達の感じた原爆の様子ではないとして別の映画を製作する事となった。
 このため日教組が教師50万人から一人50円集め原資(約2500万円)とし本の通りに原爆投下直後の様子を再現した。広島でオープンセットを再現、家は70軒作り燃やした。広島市の浜井信三市長が市民に協力を要請し、市民9万人が参加した。広島電鉄が車両を提供し燃やし、輸送でバス会社が協力した。被爆者である肥田瞬太郎氏は「この映画にないのは熱と臭いでだけで。後は全てある」と被爆した直後の様子がそのまま再現されていると述べている。

 映画は1953年8月6日に完成し9月に松竹から全国配給の予定だったが、松竹は「反米的だ」として3シーン(以下参照)のカットを要求、制作者はカットすると映画の骨格部分がなくなるので拒否し、全国配給が不可能になった(注:当時は松竹など大手映画会社が全国の上映館を完全に系列化しており大手を通さないと全国配給は不可能である)。また同時期に文部省はこの映画の文部省選定で揉めた。公開後に早い時期に選定審査委員会は「文部省選定」に認定したが文部省は「反米的だから」、という理由で保留し「非選定」となった。

このためこの映画は日教組と北星映画社の協同配給となり、教師らが16ミリプリントで学校で上映、また2番館での上映(1954〜55年)となり、その後は上映されていない。このためこの映画が知られる機会が失われた。広島や長崎では通常の映画館では上映されていないと思われる。

Q&Aより

  • 多くの観客が見込まれたので松竹も上映したかっだろう。新藤兼人氏の映画「原爆の子」は広島だけで30万人動員し、より多くが見込めた。翌年ゴジラが950万人を動員したのでもし松竹により全国配給されれば1500万人は動員できたのではないか。結局映画「ひろしま」の配給収入は5000万円で「原爆の子」と同等だった。(注:配給収入=配収は配給会社の売り上げであり現在の興収:興行収入に換算するには大まかに言えば2倍すればよい、当時の独立プロの作品として5000万円は極めて大きな数字だ)
  • この映画が疎外された理由は原爆の実態の描写やその問題提起、朝鮮戦争への反対、人種差別などが考えられる。1952年のアメリカ占領の終了後の時期で日米政府はそれらが知られ、日本国民から日米関係へ反対されるのを恐れたのではないか?
  • 広島市民がエキストラとして原爆で被爆したぼろぼろの人たちを演じた。彼らは8年前に戻り自ら演じた。被爆のメイキャップは墨汁や灰で汚し、そのため広島の銭湯が黒くなったという。ラストシーンで道路を埋め尽くす群衆が原爆ドームへ向かう場面は既存のお祭り場面の流用ではなく、映画のためだけに2万人が集まった。
  • 熊井啓が「ロケ記」として資料を残している
  • 「教育新聞」1953/7/25に記事が大きく出ている

この映画は反米的なのか:松竹がカットを要求したシーン

  • 1映画冒頭でナレーションでエノラゲイ機長が原爆を投下すれば広島がなくなると沈痛な気分になるが、バターン死の行進などがあったのだから仕方ないと語る場面
  • 2入院してる被爆した女学生の傍らで「僕らはごめんだ」という本を読む場面、本には黄色人種だから原爆を落とされた、非戦闘員の民間人を意図的に殺した、ナチの毒ガス(ホロコーストの事か?)よりもずっと凶悪な行為だとしている(「僕らはごめんだ:東西ドイツの青年からの手紙」篠原正瑛 訳編 光文社 1952年)
  • 3原爆により親を失った浮浪児らが金を稼ぐためピカドン土産を売ろうとする。そこで外人兵士に島から被爆者の髑髏を掘り出し売ろうとして警察に捕まる場面。髑髏には英文で説明文が貼られている「この頭上に人類最大の栄光(=原爆)が輝いた」

筆者注:映画全体に特別に共産党など政治的団体への言及や政治的活動を誘う台詞はない、上記の3シーンで問題なのはいずれも「アメリカが原爆を投下した」という事実の言及だろう。1番目の場面では広島が消えるほどの大破壊を知っていてアメリカ人機長が原爆を投下している。2番目の場面では一般に人種差別が議論にあがるが、原爆はナチの毒ガス(ホロコーストユダヤ人虐殺)より悪い戦争犯罪である事に言及しているのが問題だったのではないか。3番目の場面では死者の冒涜よりもアメリカ兵に向かってアメリカが原爆を投下したと皮肉の形で(原爆土産を買う彼らは皮肉と受け取らないだろう)明言している。

また一般には反米的でないとされる新藤兼人の映画「原爆の子」に対しても文部省は外国での普及を阻止しようと水面下で活動していた事が現在では報道で知られている。常考えるような政治的なメッセージ以前に「アメリカが原爆を落とした」「原爆という非常に悲惨な事実がある」という事を記述した映画自体を、日本政府やアメリカ政府、そして一部の映画批評家は当時「反米的」であり抑圧すべきとしていたと考えるべきだろう。

映画「ひろしま」を見るには

2017年にリマスター版ができたようですね。現在売られているDVDは旧版によるものだと思います。
https://twitter.com/movie_hiroshima