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ヤコブ・ラブキン氏のインタビュー「ユダヤ教徒がシオニズムに反発する理由」

朝日新聞Globe面 2009年10月19日掲載
http://globe.asahi.com/meetsjapan/091019/01_01.html
ユダヤ教徒シオニズムに反発する理由(ヤコブ・ラブキン Yakov Rabkin モントリオール大教授(歴史学
参考:氏の著書『トーラーの名においてーシオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史』(平凡社、2009年3月末出版)

パレスチナの地にユダヤ人のホームランド(祖国)づくりを目指す「シオニズム」(Zionism)は、聖地エルサレム(シオン)に由来するが、これは宗教イデオロギーではなく、政治的イデオロギーとして19世紀後半に欧州で生まれた。戒律を守り、律法に従う人々の宗教的共同体だったユダヤ人社会に欧州のナショナリズムを当てはめたものだ。独自の言語(ヘブライ語)を持つ国民、民族として「ユダヤ人」(The Jews)を位置づけ、彼ら自身の国民国家を持つべきだという新しい考え方だった。


ヤコブ・ラブキン氏 日本人は、お寺に参拝しなくても「日本人」という民族的アイデンティティーを持つことができる。だが、世俗化した東欧系ユダヤ人(アシュケナジム)は、シオニズムによって、民族的アイデンティティーを持ち、欧州の反ユダヤ主義(anti−Semitism)に対抗して少数者としての権利を主張できるようになったのだ。イスラエルのある学者はこう述べた。「我々がこの土地を求める理由は単純だ。神は存在しない。だが、神はこの土地を我々に約束したのだ」と。この発言はシオニズムが非宗教的な政治的主張であることをよく示している。


20世紀のドイツ系ユダヤ人の政治思想家ハンナ・アーレント(1906〜75)は、自身もシオニストだったが、シオニスト国家の樹立には否定的だった。彼女はイスラエルが建国された1948年の段階で、シオニスト国家を作れば、絶え間ない紛争が続くと見ていた。60年後、事態はまさにその通りになっている。昨年暮れから今年初めにガザで起きたイスラエルの軍事行動は、彼女の見通した事態が現実化したものなのだ。


日本人に理解してほしいのは、中東紛争はイスラム教徒とユダヤ教徒との宗教紛争ではない、ということだ。実際には、両者は何世紀にもわたって共生、共存してきた。一握りのシオニストが武力を行使して、そこにいた居住者(パレスチナ人)を彼らの意思に反して、家から追い出した。武力で国家を樹立したために起きた、極めて単純な人権問題なのだ。パレスチナ自治政府ハマスのせいで紛争が続いているのではない。


◆妥協の余地を持たないクリスチャン・シオニズム
 イスラエルの指導者はあらゆる戦争に勝ってきたが、残念ながら平和を勝ち取ることはできなかった。それは、彼らが、パレスチナ人に対して、不公正なことをしたことを決して認めようとしないからだ。イスラエル社会は多様で、世俗的か宗教的か、東欧出身か、アラブ・北アフリカ出身(セファルディム)かで分かれ、明確な統一の核といったものがない。指導者は「アラブの脅威」を使うことで国家の結束を維持してきたのだ。


宗教が中東和平の妨げになるとすれば、その最大の要因は、米国の宗教右派に信奉者が多いクリスチャン・シオニズムだろう。彼らにとって、この問題は純粋に宗教的な問題であり、妥協の余地がない。キリストの再臨(the Second Coming)を早めるためにユダヤ教徒イスラエルに集めなければならない、と考えている。そして、キリストが再臨すれば、ユダヤ教徒は二つの選択を迫られる。ユダヤ教徒はキリストをメシア(救世主)ではないと考えているが、キリストをメシアと認めて、キリスト教に改宗するか、あるいは最後の審判を受けて、死ぬかだ。彼らのシナリオでは、我々ユダヤ教徒は全5幕の演劇の第4幕で消えてしまう。


極めて危ないのは、宗教右派イスラエルロビーの影響が大きい米国やいくつかの国において、彼らが政治的に大きな力を持っているために「親イスラエル政策」をとっているということだ。米国で最も影響力のある宗教右派団体「アメリカ・キリスト教徒連合(CCA)」はブッシュ前大統領と密接な関係を保っていた。


いま、イスラエル国内にも、米国が主導する「パレスチナ国家とイスラエルとの2国家共存案」にかわり、ひとつの国のなかでユダヤ人とパレスチナ人が共生する「1国家解決案」を主張する意見がある。

今日、世界中でユダヤ人がユダヤ人であることを理由に殺害されうるのは、不幸なことにイスラエル国内だけだ。世界をみれば、米国でもロシアでも、そしてイランにおいてすら、ユダヤ人はふつうに、少数者として暮らしている。だったら、パレスチナでもできるのではないか。実際、この場所は何世紀にもわたってオスマントルコというひとつの国だった。議論しているのは、理想ではなく、歴史的に存在していたものなのだ。


ドイツで起きたホロコーストユダヤ人大虐殺)から、アーレントアインシュタインらが得た教訓は、民族、宗教、人種の面で差別するような国家に対しては警戒しなければならないというものだった。
半面、シオニスト国家の樹立を求めるシオニストらの教訓は単純だった。我々は弱かった、我々は強くなくてはならない、というものだった。彼らはパレスチナ人との共生を望まず、民族的に「純粋な」国家を持ちたいと考えている。かつて、南アフリカや旧ローデシアジンバブエ)は、敵ばかりに囲まれた孤島のような国を作ったが、そんな国は長つづきしない。


シオニズムに対しては、アラブだけでなく、イスラエル内外のユダヤ教徒の間にも極めて大きな反発がある。
(1)ユダヤ人とは、何らかの道徳的な価値を持ち、それを守る人々の集団であるはずなのにイスラエル国家のありようはこうした原則に反する。
(2)イスラエル国家の建国によって、ユダヤ人のアイデンティティーが、「ユダヤ教徒」から「イスラエル国家の政治的支持者」に変質してしまう――というのが主な理由だ。戒律を破ってもまったくおかまいなしなのに、イスラエルを批判すると即座にひどい反応が返ってくるといった事例に事欠かない。


◆NYでもテルアビブでも聖地を愛することはできる
私は学者としての見解と、個人的な意見は常に区別しているが、旧ソ連ユダヤ系ロシア人として育った私を含む宗教的なユダヤ教徒にとっては、ユダヤ教の継続性を保つことこそが重要なのだ。2000年にわたる伝統の本質とは、道徳的な価値を守るシステムなのであり、政治的、軍事的パワーとは無縁だった。自分にとって何ものにも代え難いことは、神の戒律、安息日、ヨム・キプール(贖(あがな)いの日)を守り、ユダヤ教に従った食物(kosher)を食べる。それだけだ。


宗教的なユダヤ教徒にとって、啓典宗教の始祖アブラハムが葬られている聖地ヘブロンヨルダン川西岸の都市)を大事だと思うからといって、占領してそこに住む必要はない。ヘブロンを愛することはニューヨークからもテルアビブからもできる。「ユダヤ教的な態度」とは常に極めてプラグマティック(現実的)で、妥協的でもある。ユダヤ教的なアイデンティティーとは、国境や領土を超越したものなのだ。だからこそ、ユダヤ人はチリでも神戸でもモスクワでも暮らせる。


ユダヤ教の本来の教えは、平和を探求し、協調性を求めること。よい行いをし、同情の気持ちを持つことだ。イスラエル国内には、メシアが降臨する前の聖地に暴力的なユダヤ国家が存在することは認められない、と考えるユダヤ教徒らもいる。彼らは現在のイスラエル国家は、メシアによる救済を実現する上で、神学的にも妨げであると考えている。


ユダヤ教の戒律では、他人の悪口をいうべきではないという教えがある。日本人はあまり他人の悪口を言わない。他人のことを自分よりも大事だと考えることを自然にできる。多くの文化的な面で、ユダヤ教的な考え方と極めて類似していると感じ、興味深い。中東に重要な利害を持つ日本は、国連などの場で米国の後追いだけではない、何か独自なことができるはずだ。(訳・構成 GLOBE副編集長 石合力)


ヤコブ・ラブキン氏の略歴
45年、旧ソ連レニングラード(現サンクトペテルブルク)生まれ。レニングラード大、ソビエト科学アカデミーなどで学ぶ。カナダに移住し、73年からモントリオール大でユダヤ人の歴史や歴史学を教える。敬虔なユダヤ教徒で、宗教と政治の関係に関する発言が多い。
著書『A THREAT FROM WITHIN』(邦訳は『トーラーの名において──ユダヤの内なる反シオニズムの歴史』〈仮題〉として平凡社から近刊予定)で注目される。08、09年に来日。英、仏、ロシア、スペイン語のほか、ヘブライ語に堪能。