ホロコーストの政治神話
(ホロコーストがイスラエルに正統性があるかのように錯覚させる)
政治神話としてのホロコーストの<記憶>の蘇生は、イスラエルのユダヤ人とディアスポラのユダヤ人のつながりを回復させた(*1)。またホロコーストはイスラエル社会において伝統的なユダヤ教やユダヤ性の重要性が増してくるにつれて、イスラル社会第1の政治神話としてイスラエルの現在を示す宗教的シンボルとして、あるいはイスラエルに正統性とその土地への権利を与えるものとして、中心的な位置をしめるようになっていった。ホロコーストが「自分たちの民族意識、自分自身の理解のしかた、自分たちが住む世界」をかなりの程度まで作りだしてきたのである(*2)。
(ホロコーストの記憶がイスラエル人に偽イスラエル国家を疑わせない)
そのようなホロコースト教育の場としてホロコースト記念博物館(イスラエルのヤド・ヴァ・シェムにある)も<記憶>の再生産の場として重要度を増している。その政治神話は年齢・教育水準・出身国の違いを超えて「ユダヤ民族」としての「イスラエル国民」の間に偏在するようになってきた。
(ホロコースト映画が人々にイスラエルの嘘を信じさせる)
イスラエル国民からユダヤ民族への傾斜を伴う、その後のイスラエル現代史の語りには絶えずホロコーストの<記憶>の影が付き纏っている。スピルバーグ監督が映画「シンドラーのリスト」でホロコーストからの生存者が約束の地に「帰還」した最後の場面で無邪気にも使った音楽が第3次中東戦争の勝利を歌い上げた「黄金のエルサレム」であったことは、ホロコーストの政治神話の効用を考えるためには象徴的事件であった(*3)。