zames_makiのブログ

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イスラエルを批判する者は反ユダヤ主義だ!いう無茶な論理

反ユダヤ主義というレッテル貼り(板垣雄三

パレスチナ情勢の緊迫化が極度に進むさなか日本でも映画「戦場のピアニスト」が評判となった。第2次世界大戦下ポーランドユダヤ人ピアニスト・シュピルマン氏が運命に弄ばれる数奇の物語である。彼はドイツ軍監視下で食料に紛れ込ませてワルシャワゲットーに武器を運び込む。
 映画を見て感激した人はなぜパレスチナを想起しなかったのだろう。類似の物語は映画上映と同時進行でパレスチナにおいても繰り返されていた可能性はあった。ただしそこではヒューマニズムが人々の心を打つなどとは言われないで、「ピアニスト」シュピルマンに相当する人物は歴然としたテロリストと呼ばれ、ゲットー蜂起に相当する自殺行為の抵抗は「自爆テロ」と呼ばれるのである。
 今ではナチズムをそしてその反ユダヤ主義を真に批判するためには、イスラエル国家の現在の政策・行動・戦略を批判的に見る目を持たねばならない。1930〜40年代の目を固定したままでは(*即ち単純にホロコースト否定論者だけへの批判だけでは)、ナチズム・反ユダヤ主義の批判にはならないのである。
 イスラエルを批判するものは即反ユダヤ主義だというレッテル貼りが、今日の世界を迷わせている反ユダヤ主義批判とイスラエル国家の政策の批判とは別のものだ。しかも今日の世界の中で「ユダヤ人」的存在である「パレスチナ人」を生み出してしまったのが、イスラエル国家なのだ。
 1967年の6日間戦争の後始末としてイスラエルが「平和と土地の交換」の原則にたってパレスチナ人の国を認め共存しようとするなら、イスラエル国家は生き延びられるだろう。米国主導の「ロードマップ」のからくりは、むしろイスラエルを滅ぼす危険がある。6日間戦争生み出した占領・併合と非人道的支配の35年後の公正な解決は。「反テロ戦争」などという概念そのものを根絶に導くだろう。
(「イスラーム誤認」衝突から対話へ」板垣雄三 岩波書店 2003、あとがき)

反ユダヤ主義とは反シオニズムのことだ(レオン・ポリアコフ)

反ユダヤ主義をめぐる全ての著作が、述語の曖昧さを必然としてその内部に抱え込んでしまうものである。(略)しかしそれをはるかに上回る困難は、反ユダヤ主義と反シオニズムの区別にある。(略)一例として、1982年6月のレバノン戦争を振り返ってみるだけで十分だ。みずからの指導者を殺害されたキリスト教徒のファランジスト達が、復讐の名目で数100人のパレスチナ人を虐殺し、イスラエル軍の将軍たちが不介入を決め込んでそれをなすがままに放置した際、とりわけドイツにおいてメディア世界の反ユダヤ主義が一斉に燃え盛り、そのあまりユダヤ人とナチスを照応させる見方すら地球規模で慣例化してしまうほどであった。

(「現代の反ユダヤ主義」シリーズ反ユダヤ主義の歴史第5巻 / レオン・ポリアコフ編 筑摩書房, 2007より、p5、レオン・ポリアコフによる「緒言」)

ブログ記者注:ポリアコフは1982年のレバノンでのパレスチナ人の虐殺にイスラエルはまったく責任がないかのような書き方をしているが、イスラエル国内でもこれを行わせたイスラエル軍指揮官には殺し屋のあだ名がつき、イスラエル国家内で公的にも責任を追求されている。すなわち事実としてイスラエルパレスチナ人虐殺が起きるよう誘導した事は中東研究者の視点からでもほぼ間違いない。「シリーズ反ユダヤ主義の歴史」は全5巻の大部の書で4巻までは歴史的な反ユダヤ主義について述べられている。しかし現代篇である第5巻では記述は曖昧である。曖昧ながら各国の反ユダヤ主義はけして衰えていない、むしろ盛んであるという主旨となっている。その中には日本も含まれる。

全体として20世紀後半における反ユダヤ主義問題はショアーの徴(しるし)の元で議論されておりその議論が一朝一夕の解決に達する見込みはまったく立っていない。西側諸国においてあらゆる三文文士たちが、同時代人の心に付きまとって離れないユダヤ人絶滅政策の現実を否定しにかかり(略)
 これら「修正主義者」たち(むしろ単純に否定者と呼ぶべきであると私は考えるが)への言及はこの程度にとどめ、もう一つは。ショアーの事実そのものは否定せずとも、その重要性ないし意義をあらゆる手段を用いて矮小化しようとする人々の群れだ(略)

 イスラエルユダヤ人国家の建国は1948年(略)これは国連総会の賛成多数による結果だった。しかしその後脱植民地化をはたしながらアラブの財力に大きく依存することとなった第3世界の国々が続々と国連に加盟してきた。その結果として1975年11月、同じ国連総会が「シオニズムは人種差別主義の一形態である」とする第3379号決議を採択したのであった。(略)

 このようにいつなんどき表面化しても不思議はない深部の衝動を簡単に説明するならば、おおよそ以下となる。世界の諸国民にとってイスラエルの建国はショアーの過去に分かちがたく結びついており、そしてヨーロッパ人はなんらかの仕方で、それについての罪障感の一端を担い続けている。しかし反ユダヤ主義の熱情はいまだに何百万人という人々の心に潜んでいる。(略)よって論戦家や政治家たちが自らは無垢の体裁を保ったまま、その熱情を自由に発散させたいとなった時、手っ取り早い方法は、今やユダヤ人国家としてユダヤ世界を具象化しているイスラエルに千年来の憎悪を投射することである。

 結論:「反シオニズムは信じがたき天恵である。なぜならそれによって民主主義の名において反ユダヤ主義者となる許可・権利・義務さえ手にすることができるからだ!反シオニズムとは正当化を経てついに万人の手に届くところに置かれることとなった、反ユダヤ主義の謂いである。」ヴラディミール・ジャンケレヴィッチ(「時効にし得ないもの」1986よりの引用)

(「現代の反ユダヤ主義」より、p493、レオン・ポリアコフによる「結論にかえて」)

シオニズムというのは、粉飾した反ユダヤ主義にすぎない(ヴァイントラエテール)

シオニズム」への言及は見る者、聞く者をすっかり途方に暮れさせてしまう。ここでは一体いかなる組織力、いかなる政治潮流が矢面に立たされているのか?この名を持って示しえるなんらかの実体が本当に存在するのであろうか?その実体が全地球規模においてなんらかの戦略を繰り広げているというのは本当なのであろうか?(略)


日々のニュースを通じて我々にもたらされる他の幾多の事例においても「シオニスト」という言葉の用法が、プロパガンダという人間の所業そのものと同じくらい古い歴史を持ち、今日一般に「コード化」という手法に依拠していることは明白だ。(略)「シオニスト」にまつわるコード化はその意味において「国際資本」ないし「コスモポリタンのロビー」という使い古された迂言法(うげん)より多い。そう巧妙に仕組まれたものと言えそうだ。(略)


かくして「ユダヤ人国家のシオニスト的本性」なるものが、中東和平問題を解き明かすことを目的とする言説の中で、定期的に取りざたされ、しかもその本性がいずこに存するのか?その種の言説の主によって厳密化さえる気配が一向に見られないという状況が続いている。(略)


このようにしてシオニズムに差し向けられる告発は、多くの点でかつて「シオン賢者の議定書」によって掻き立てられた人々の熱狂を連想させる。(略)反シオニズムという異型として立ち現れる反ユダヤ主義は、単にその外見を粉飾しているばかりではない。それは自らを無辜なる存在と信じ、あくまで無辜なる存在として自らを受容せしめる。

(「シオンの悪しきユダヤ人〜反シオニズム反ユダヤ主義、ある概念の辿った道のり」、メイーエ・ヴァイントラエテール(「現代の反ユダヤ主義」シリーズ反ユダヤ主義の歴史第5巻に収録)

ブログ記者注:メイーエ・ヴァイントラエテールはフランス人経済学者、フランスユダヤ共同体の雑誌「ラルシュ」の編集長、本稿執筆は1992年。本稿の意味は曖昧である。ヴァイントラエテールは記事内で一方ではイスラエルの政策を批判するのは反ユダヤ主義と関係ないと書いているが、上記で抜粋したように、結局イスラエルの政策批判=反ユダヤ主義となっていると主張しているようだ。ヴァイントラエテールは反シオニズムとはユダヤ人資本家による世界的なユダヤ陰謀論であるかのように書いているが、それは誤った議論誘導だろう。

反ユダヤ主義に関する日本人著作の間違った認識(滝川義人)

ヨーロッパキリスト教圏の反ユダヤ主義は反シオニズムに移り、アラブ・イスラム側は反シオニズムから反ユダヤ主義へ移ったと言われる。(「世界の反ユダヤ主義」、1994)。双方に実質上の相違はなく「反ユダヤ主義はあらゆる機会を捉え、己の敵意を吐き出す。現代の西側の世界ではユダヤ人憎悪をおおぴっらに振り回すのは、あまり一般受けしないので、別の表現形を考えたのである。シオニズム反ユダヤ主義の偽装にすぎない。」
 1975年11月国連総会は「シオニズムは人種主義の一形態」とする決議を採択した。(略)しかし国連は1991年12月の総会でこれの取り消し決議を行い、人種主義云々の決議を無効にした。やっと正気に戻ったのである。(p270)
(「ユダヤ人解読のキーワード」滝川義人、新潮選書、1998年)

注:上記で滝川が引用している「世界の反ユダヤ主義」は世界ユダヤ人会議とADLの依頼でテルアビブ大学が世界の反ユダヤ主義傾向を調査した報告書。世界ユダヤ人会議とADLは共に代表的なイスラエル・ロビーであり、世界は反ユダヤ主義に満ちていると文句を言い続けている。

フランスではありもしない反ユダヤ主義を理由にイスラエル援助を正当化している(ガロディ)

 シオニストは常に、反ユダヤ主義の妖怪を持ち出しては煽り立てて、イスラエルに対する絶え間ない脅威が存在しているのだから、イスラエルには援助が必要なのだと、世間に信じ込ませ続けている。イスラエルの不当な請求に仮面を被せるためには、新しい挑発行為を重ねる努力も怠らない。

 その手口は、いつも似たようなものである。レバノン侵略でサブラとシャティラの虐殺が起きた時、作家のタハル・ベン・ジェロームは、つぎのように記した。「別の場所で同時に発生することが、何度も繰り返されると、ついには重要な兆候として理解されるようになる。

 現在、人々は、ヨーロッパにおける反ユダヤ主義的な暴行事件が何に奉仕し、その種の犯罪が誰の得になるのかを良く知っている。それは今、パレスチナレバノンの民間人の住民に対する計画的な虐殺を、巧みに隠蔽する役割を果たしている。

 この種の暴行事件が(略)現在までのところでは完璧に、その目的を果たしている。その目的とは、パレスチナ問題についての理解が、いささかでも高まり、同情を呼び始める度毎に、その関心を、そらすことである。

 この種の組織的な作戦によって、事件の意味が逆転し、犠牲者の方が逆に、残忍な殺人者やテロリストに仕立て上げられている。パレスチナ人を“テロリスト”に仕立て上げることによって、彼らから歴史を奪い、その結果として権利を奪っているのだ。」
(「偽イスラエル政治神話」ロジェ・ガロディ、れんが書房新社、1998、3章2節「フランスのイスラエルシオニスト・ロビー」、全文はネット上で読める:http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise.html