zames_makiのブログ

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<主題歌の流行った戦時中の映画>

(何が娯楽か?)
1933年 農村部 1映画2盆踊り3民謡4浪花節5ラジオ6蓄音機
1940年 全国 1映画2スポーツ3ラジオ4演劇5祭典行事6浪花節7本8盆踊り9囲碁娼妓10流行歌(映画の人気は都市部の方が上、農村部では視聴困難のため)

(概観)
流行歌の宣伝には、ラジオはNHKのみで流行歌は放送機会すくない、口コミ以外では映画が唯一の宣伝機関、1928年「東京行進曲」以降、大ヒット流行歌の多くは映画とタイアップしたものとなる。1936年以降古賀メロディーやお色気歌謡で流行歌はヒットする、しかし日中戦争開始で自粛ムードで売り上げ減に。1941年以降はより厳しく統制され、レコード製造枚数自体が統制された。
 その中で、1938年の「愛染かつら」の映画&流行歌の大ヒットは特筆すべきもの。同様に「支那の夜」も代表的流行歌に。映画の知名度でレコードが売れる傾向にある。ヒットの基準は5万枚以上、検閲の基準による。

(参考)『進軍の歌』60万枚、『露営の歌』60万枚=これらは軍歌の一種
 『愛国行進曲』100万枚=国民歌=第2の国歌で国家全体の応援によるもの

(映画リスト)
1929 「東京行進曲」映画と流行歌のタイアップ始まる
1933 『島の娘』主題歌のみヒット
1936 「魂」と『男の純情』両方ヒット
1936 「東京ラプソディ」大ヒット、人気流行歌手が映画の主役になる最初?
1938 「愛染かつら」と主題歌『旅の夜風』大ヒット。レコード30万枚、流行歌では日中戦争期最大のヒット→大ヒット娯楽映画&流行歌の代表とされる
1939「愛染かつら」続編『愛染夜曲』20万枚、大ヒット
1939「愛染かつら」完結篇『愛染草紙』ヒット
1939「純情二重奏」ヒット
1939「新女性問答」の『純情の丘』ヒット
1939「日本の妻」ヒット
1940「秀子の応援団長」の『煌く星座』ヒット5万枚
(この時期の流行歌の後追い企画としての映画の例としては以下)
1939「ロッパ歌の都に行く」ミュージカル仕立て
1939『親恋道中』
1938『満洲娘』
1938『上海ブルース』
1938「支那の夜」→大ヒット娯楽映画&流行歌の代表とされる
(太平洋戦争開始でレコード製造枚数制限)
1943「伊那の勘太郎」の『勘太郎月夜歌』大ヒット、太平洋戦争下での大ヒット、映画も