浪曲映画中の戦争映画
=(笹川慶子氏論文浪曲と戦争との関係について非常によく書いており教えられる)浪曲映画は1934ころ〜1941まで、1941年映画会社の統合で制限、1945年以降GHQにより制限、1952年以降制限解除も人気凋落し製作数非常に少ない、1960年以降浪曲自体の人気凋落してジャンル消滅する。日中戦争期人気を極めた浪曲は自己犠牲を主題として、「忠臣蔵義士伝」(赤垣源蔵など)「乃木将軍」が人気演目、犠牲を捧げる対象が近親者→国家という形で当時の風潮にあい、兵士としての犠牲を強いられる人々の心情にあい、国民に死を納得させたい国家の方針にあっていた。これが戦後GHQから浪曲そのものが国家主義・軍国主義を鼓舞するものとして禁止の対象となり、1952年独立以降は人々から「古いもの」として嫌われる原因となった。(出典:忘却された音 / 笹川慶子著(映画のなかの古典芸能:日本映画史叢書13 森話社 2010))
(1935年〜1941年浪曲映画中の戦争映画、笹川慶子論文+α)
(滅私奉公四部作)「どの映画も女の純潔、献身、忍耐を礼賛し滅私奉公を描いているがその奉公の対象は新派悲劇にありがちな家や男ではなく、国あるいは国のために戦った男たちである。(略)戦時下の女性の正しい生き方を示す浪曲映画だった」(笹川)
- 祖国の花嫁 製作=日活(多摩川撮影所) 1938.12.15 白黒 監督:伊賀山正徳 原作:萩原四郎 出演:天中軒雲月 …フィルム現存
- 婦人従軍歌 製作=日活(多摩川撮影所) 1939.08.17 白黒 監督:田口哲 原作:池田宣政 浪曲:萩原四郎・寿々木米若 …フィルム現存
- 悲曲「母」 製作=日活(多摩川撮影所) 1940.06.27 白黒 監督:伊賀山正徳 原作:萩原四郎 浪曲:天中軒雲月…GHQにより禁止
- 米若の妻 製作=日活(多摩川撮影所) 1940.09.05 白黒 監督:春原政久 原作:萩原四朗 浪曲口演:寿々木米若
- 誓ひの乳母車 製作=大都映画 1939.03.01 白黒 監督:中島宝三 脚本:中島宝三 …フィルム現存 「出征する夫の心残りにならないよう病気の妻が「自殺して夫を励まし」夫はその「健気な妻の真心に」感謝して、2人の子供を父に預け戦地に向かいみごとに戦死する。そしてその夫の遺言で男の父に乳母車が送られ、父はそこに孫を乗せて「天皇様の立派な軍人に育て上げねばならぬ」と身を奮い立たせ幕となる、夫婦愛、友情、親子愛あらゆる愛情がただ戦争のために捧げられその極端な単純さが判りやすい娯楽となったのだろう」(笹川)