日本映画シンポジウム「高峰秀子」明治学院大
明治学院大学 第16回 日本映画シンポジウム 高峰秀子 追悼記念シンポジウム「高峰秀子 映画渡世50年」
日時:2011年6月18日(土)
時間:10時半〜18時(終了予定)
会場:明治学院大学白金校舎2号館2301教室(地下鉄南北線白金台駅下車徒歩7分)
入場無料
主催:明治学院大学芸術学科
メモ感想(以下は発表内容と共にメモ)
- 高峰秀子は国民的女優と言われるがなぜか?崔盛旭氏の韓国の国民的女優崔銀姫との比較興味深い、わかる事=ここで考察されているのは、多くの作品で継続的に人気を集めた女優ではなく、「近代国家の形成期」に「国民多くの感じている感情」を「代表して演じた」女優が国民的女優と呼ばれる事。韓国の例は非常に明快。比較すると高峰秀子は1954年の日本の戦後期に、「二十四の瞳」で先の戦争に関する国民の感情を代表して演じて見せた、ので国民的女優となったと言える。その感情とは即ち、戦争の被害者としての自分であり悔悟と自己憐憫である。1954年はアメリカの占領が終了し日本人が自由に映画で戦争を語れる最初の時期であり、これは韓国の国民的女優崔銀姫が日本の植民地とアメリカの占領から解放された1949年に「心の故郷」で国民的人気を得たのと同じ意味を持つ。また「浮雲」「わが青春に悔いなし」「青い山脈」「戦争と平和」「きけわだつみの声」と比較するなら、国民的女優というべき程の国民的共感を得るためには次のものは描くべき感情・内容ではない=「前時代への郷愁」「前時代の政治への批判と新時代への賛同と決意」「新しい政治的方針への共感」「悲惨な戦争への悲しみ・反対」「戦争指導者への批判・哀悼」。こうした点からも「二十四の瞳」は日本において決定的な戦争映画と思われる。
- 高峰秀子と戦争との関係。高峰秀子は同時代の原節子に比較し戦意高揚映画での主役をほとんど演じておらず映画を通じた戦争への関与はずっと低い。それはなぜか?アンニ氏は1940年当時これから若手女優として主役を演じられると期待された高峰秀子を上海に留学させ、上海で映画主演(すなわち日本映画界による中国人への宣伝と説得)させる話があった事を紹介している。この時点で高峰秀子は「歌のうまい女優」として中国人にも認知されており、「歌のうまい」李香蘭と同じ可能性が存在した。以下はその傍証
- (傍証)1943「阿片戦争」で高峰秀子は阿片窟で歌う少女を演じた、同年李香蘭は同じアヘン戦争を題材にした映画「萬世流芳」で阿片窟で歌う少女を演じて、日本の大東亜圏支配の正統性と中国人の独立心の両方を刺激する微妙なプロパガンダ映画でその役割を果たした。
- (傍証)1940「孫悟空」で高峰秀子は、李香蘭、汪洋と競演している。他2女優は歌を歌う役。李香蘭はプロパガンダの主役として活躍、汪洋はプロパガンダに出演したとして非難され引退した。
- (傍証)皇国の女神役を演じた原節子と高峰秀子は3度姉妹役で共演している「希望の青空」「阿片戦争」「北の三人」、いずれも国策映画であり高峰秀子は原節子に続く存在としてすでに映画界にあった。
- 高峰秀子が戦中と戦後でそのイメージが断絶していないのは、上記のように国策映画で重要な役を演じていないからと思われる。しかしそれを「平凡さを表現する女優」高峰秀子の特徴と関係づけるべきではないと思われる。つまり高峰秀子がエキセントリックでないから国策映画の主役を演じらるれるはずもないと断ずべきではない。 たしかに他の女優は各人の特徴を生かして国策映画に主演している(原節子のように美人でなく、田中絹代のように母的・受動的でなく、入江たか子のように上流的でなく、水戸光子のように受動的でなく、高峰三枝子のように権威的でなく、山田五十鈴のように保守的でない)。しかし高峰秀子は(斉藤綾子氏や上野昂志氏が合意するように)成長の各年代で年代にあった役にめぐまれ、かつそれを立派にこなしてきた。高峰秀子が李香蘭のような形で国策映画に主演していれば、「庶民的」「普通」という彼女の役柄を生かした役柄で、普通でなんの取り柄もない底辺的な国民への強いメッセージ性を持ちえたのではないか?
高峰秀子国策映画・歌映画リスト(可能性も含む)
●1938.11.30 チョコレートと兵隊 東宝映画東京 …戦場の兵士を子供が称える
1939.08.01 われ等が教官 東宝映画東京
1939.10.21 その前夜 東宝映画京都
○1940.01.31 秀子の応援団長 南旺映画 …ラストは戦場への勧誘?歌を歌うシーンあり?
○1940.05.22 姉の出征 東宝映画京都
1940.11.06 孫悟空 前篇 東宝映画東京 …李香蘭、汪洋との共演
●1941.03.11 馬 東宝映画(東京撮影所) …重要な兵器馬を育てる健気な少女
1942.01.14 希望の青空 東宝映画 …原節子と姉妹
○1942.05.07 南から帰った人 東宝映画
○1943.01.14 愛の世界 山猫とみの話 東宝映画 …主役の少女
●1943.01.14 阿片戦争 東宝映画 …大東亜共栄圏支持、原節子と姉妹
●1943.02.25 ハナ子さん 東宝映画 …音楽と踊りで国策奨励
●1943.03.18 音楽大進軍 東宝映画 …音楽と踊りで国策奨励
○1943.04.01 兵六夢物語 東宝映画
○1943.06.10 若き日の歓び 東宝映画
●1944.09.28 四つの結婚 東宝 …兵士となる男性を支える
1944.07.06 三尺左吾平(三尺左五平) 東宝 …エノケン映画
●1945.01.25 勝利の日まで 東宝 …音楽と踊りで国策奨励
●1945.08.05 北の三人 東宝 …原節子と姉妹
1946.10.01 東宝ショウボート 東宝 …音楽映画
1949.08.16 銀座カンカン娘 新東宝 …音楽映画
1951.03.21 カルメン故郷に帰る 松竹大船 …歌って踊るストリッパー
1952.11.13 カルメン純情す 松竹大船 …歌って踊るストリッパー
プログラム
- 10:30-11:15 斉藤綾子 「女優の見せるさまざまな表情」
- 11:15-12:00 上野昂志 「総論・高峰秀子とは誰か?」
- 13:00-13:40 大澤浄 「子役、娘役そして・・・デコちゃんが映画の世界に創ったもの」
- 13:40-14:20 藤井仁子 「帰れない二人―『浮雲』の高峰秀子」
- 14:20-14:55 紅野謙介 「秀子の「綴方教室」−エッセイストの誕生−」
- 15:10-15:50 パトリック・ヌーナン 「高峰秀子の様々な顔:スター・システムと女性の役割の移行」
- 15:50-16:30 崔盛旭(チェ・ソンウック) 「高峰秀子と崔銀姫(チェ・ウニ)、その国民的「風景」」
- 16:30-17:15 晏女尼(アンニ) 「ポスト李香蘭に成りそこなった高峰秀子の戦中と戦後」
- 17:15-17:45 まとめトーク→なし
今回の明学日本映画シンポジウムは、昨年12月に亡くなった国民的女優の高峰秀子にオマージュを捧げます。デコちゃんの名で親しまれた高峰秀子は1929年に5歳でデビュー、小津安二郎、成瀬巳喜男、木下惠介、五所平之助からマキノ正博、山本嘉次郎、阿部豊、豊田四郎、増村保造まで日本映画を代表する監督たちの映画に出演し、79年まで半世紀にわたって活躍しました。えくぼの可愛い天使のような笑顔から、どうにもならないほどに暗く不機嫌な顔、ちょっとすねた顔、そして観ている者をも同じく涙を流させてしまうような見事な泣きっぷり。子役時代の魅力から、山田五十鈴や原節子との比較、あるいは国民的女優とは何か、またエッセイストとしての高峰秀子など、さまざまな顔のデコちゃんに迫ります。