zames_makiのブログ

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<大陸映画>

=1937から1945年の日中戦争期に中国を描いた日本映画。1938年の「亜細亜の娘「五人の斥候兵」を始まりとする。晏ニ氏の考察素晴しく国策演出に不十分でその意図の不明確な映画に関する多義的な意味を明らかにしてる。ほとんど全てが侵略を正当化する国策映画であり、多くは製作者が自主的に大陸進出の正当性・日本指導による日中融和を描いた。映画統制強化による戦争プロパガンダが最も盛んになる1942年以降には製作本数は少なく映画人の関心は対米戦争に移っていたと思われる。以下では晏ニ氏の著書を元に分類したもの。
【出典:戦時日中映画交渉史 / 晏女尼 岩波書店, 2010】

分類

(1)大陸メロドラマ(男女関係による国策ドラマ)=ストーリー展開の上で日中男女の関係(主に恋愛)を展開上の動機として意味合いを観客に説く物。最も効果的な宣伝映画で中国でさえ多くの観客を集めた。代表は李香蘭の大陸四部作だが、その構造は当時の恋愛メロドラマの一般的な構造であるという。批判を受けたその後の映画は恋愛を排除しつつ物語る。晏ニ氏は李香蘭メロドラマへの当時の映画評論家(沢村忠、津村秀夫など)の非常に厳しい評価「無知な大衆が喜んでいる」の真意は、日中の血の交流を嫌った民族主義的なものであると分析している。


(2)国策映画(不十分なものを含む)=日本人進出の場としての中国を描くもの。単に流行として物語の舞台にするものから明確な意図を持った宣伝映画までを含む。満州開拓民を描く「開拓映画」、日本の中国進出を記録した記録映画(ドキュメンタリー)を含む。代表作「新しき土」「東洋平和の道」


(3)戦争映画=単に侵略される舞台としての中国しか登場しない。映画の主題は日本軍の作戦や勝利の記録である。本数的には最も多い。

リスト:大陸メロドラマ(男女関係による国策ドラマ)

  • 1938 ■亜細亜の娘(新興、田中重雄) 最初の大陸映画、父が親日家の中国娘と日本人記者の恋、中国娘=逢初夢子、賛助陸軍省、【フィルム現存】
  • 1939 女の教室(東宝阿部豊)中国娘を群像劇の1人として描く、中国娘=原節子→■【戦後リメイクされている、台湾からの留学生陳鳳英(田中三津子)がいる】
  • 1940 汪桃蘭の嘆き(新興、深田修造)中国女を日本人が妻にする、中国娘=逢初夢子
  • 1939 上海陸戦隊(東宝熊谷久虎反日の中国娘は優しい日本軍にやがて従順になる、中国娘=原節子
  • 1941 ■別離傷心(日活、市川哲夫)難民を助ける日本軍の善行に改心した中国娘が日本軍に協力する、【フィルム現存】
  • 1939 白蘭の歌(東宝渡辺邦男)インテリ日本人に惚れる中国娘、李香蘭主演
  • 1940 熱砂の誓ひ(東宝渡辺邦男
  • 1940 支那の夜(東宝、伏水修)
  • 1941 蘇州の夜(松竹、野村浩将
  • 1941 ■上海の月(東宝成瀬巳喜男)抗日と親日の2中国女の対比、日本人男性とは恋愛関係でない、中国娘=山田五十鈴、【フィルム現存】
  • 1944 戦ひの街(東宝、原研吉)日本人が京劇女優と協力し国策に活躍、恋愛関係でない、上原謙出演、中国娘=李香蘭

リスト:国策映画(不十分なものも含む)

  • 1932 満蒙建国の黎明(入江プロ、溝口健二)日本による満州国建国を満州人を日本軍が支持したとする国策を波乱万丈に非常に娯楽的に描く、中国娘(満州国王女)=入江たか子
  • 1937 新しき土(JOスタジオ=独、伊丹万作=Aファンク)ラスト2人は満州へ、出演原節子
  • 1938 東洋平和の道(東和商事、鈴木重吉)日本軍により軍閥から開放された中国農民の姿、川喜多長政が明確な国策支持の意図で製作する、出演・脚本を中国人として中国農民を描くものだが中国・日本で不評、脚本:帳迷生、出演:徐聰、白光、李飛宇
  • 1938 大陸行進曲(日活、田口哲)題名のみ
  • 1939 大陸の花嫁(大都、吉村操)題名のみ
  • 1939 大陸の花嫁(松竹、蛭川伊勢夫)題名のみ
  • 1940 大日向村(東宝豊田四郎満州移民宣伝映画、大きな効果あり
  • 1940 ■沃土万里(日活、倉田文人満州が舞台、記録映画との中間的形式【フィルム現存】
  • 1941 緑の大地(松竹、島津保次郎)中国で活躍する日本人を群像劇で、男女恋愛ではない、出演:入江たか子丸山定夫原節子、藤田進、池部良

リスト:戦争映画