新藤兼人の原爆映画
・・・新藤兼人自身は「自分が原爆について作った映画は5本(◆印)としているが、実際にはもっと関わっている。彼自身の本や言葉以外に調査する必要がある。
劇映画
- 1950 長崎の鐘 監督:大庭秀雄 脚本:新藤兼人、橋田壽賀子、光畑硯郎 原作:永井隆=原作は原爆の被害を具体的に描いたドキュメンタリー、映画では原爆はほとんど描かれない、誰がこの「犯罪的な原爆隠し映画」の責任者なのか?
- 1952 ◆原爆の子:被爆した児童の家を訪れる教師 原作「原爆の子」=原作はほとんどが原爆投下直後の惨状を回想記録したもの。新藤兼人は意図的に原作を離れ、復興し原爆の惨禍が表面敵にはない1952年の被曝者を主題にした。非常に控えめな表現、なぜ素直に原爆の被害を訴えなかったのか?
- 1959 ◆第五福竜丸:事件をドキュメントで
- 1963 母:主人公は被曝者と推定されるが明示されない、朝鮮人被曝者も同様に明示されない、原爆ドームなどが登場する=被曝者が登場するが原爆は主題ではない
- 1966 本能(未ソフト化)=被曝者が登場するが原爆は主題ではない
- 1970 触角(未ソフト化)娼婦は半面ケロイド=被曝者が登場するが原爆は主題ではない
- 1978 ◆ヒロシマの母:胎内被曝により原爆小頭症となった娘と母の、32年にわたる感動の記録。(32分の小品)
- 1978 ◆ドキュメント8・6(8/6)=アメリカに原爆投下をしたB29機長を尋ねるテレビドキュメンタリー
- 1985 白い町ヒロシマ 監督:山田典吾 脚本:新藤兼人 =子供の視点で広島の被爆を描くもの
- 1988 ◆さくら隊散る:演劇人の被爆をドキュメントで
- 2005 ヒロシマ(未製作)脚本のみ
上映 川崎市アートセンター
8/19(日)、22(水)、24(金) 10:00
http://kac-cinema.jp/theater/detail.php?id=001180
作品情報:カラー/スタンダード/各篇25分/ナレーション:乙羽信子
「ヒロシマの母」監督:新藤兼人
胎内被曝により原爆小頭症となった娘と母の、32年にわたる感動の記録。「あの子の鼓動が聞こえます」監督:吉村公三郎
京都にある、心臓病の子どもたちの保育園パンダ園を運営する母親たち。「ママはモスクワの外科医さん」監督:神山征二郎
医師の夫の協力で出産後、看護師から外科医となったソ連の38歳のママ。「金メダルを育てる 池田敬子」監督:千葉茂樹
体操のオリンピックメダリストで、ママさん選手の草分けだった名コーチ。
参考 マガジン9条でのインタビュー(2007.8.8)
http://www.magazine9.jp/interv/shindo/shindo.php
私は広島の出身だから、原爆で広島が破壊されたことは、私自身が破壊されたように考えているわけです。だから『原爆の子』『第五福竜丸』『8/6』『さくら隊散る』、そしてテレビドキュメント『ヒロシマのお母さん』と、原爆を撮り続けてきました。5本ほど作ってきて、もうひとつ物足りないのは、原爆が落ちた瞬間を撮っていないこと。
これまでの原爆の映画や映像は、広島に原爆が落ちたあとの、被爆した焼跡を写しているわけですね。普通はそれしかできませんから。しかしそのような焼跡は、“そのような”と簡単に言ってはいけませんが、自然災害においても、阪神淡路大震災の災害の後でも凄まじい形で残っています。しかし、原爆というのは、一瞬のうちに数万人の人間を焼き殺し、結果的には20万人くらいの人間を殺しているわけです。たった一発の原爆で。
ヒロシマ1966
1966年(S41)/広島県原爆被爆者映画製作の会、新制作集団/白黒/78分 ○国立映画アーカイブ所蔵作品
■監督・脚本:白井更生/撮影:金井勝/音楽:山内正
■出演:望月優子、加藤剛、松本典子、寺田路恵、鈴木宏子、永井智雄、谷信子、岩崎徹、矢野政子、長谷川美代子、池本達美、鈴木達也
アラン・レネの『二十四時間の情事』(59年)でチーフ助監督を務めた白井更生が大映を飛びだして製作した意欲作。平和公園で土産物を売る被爆者母子のままならぬ生活と、安保闘争に挫折した医師のカップルの物語が並行して描かれる。 ▲
上映 ラピュタ阿佐ヶ谷
8月19日(日) 〜21日(火)12:50