zames_makiのブログ

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被爆者の声をうけつぐ映画祭2013

日時:2013年7月6日〜7日
会場:明治大学リバティタワー
http://hikakueiga.exblog.jp/

上映作品

はだしのゲン  第一部(1976)実写映画

1976年 劇映画 107分 監督:山田典吾 ※カルロビバリ映画祭監督賞

はだしのゲンが見たヒロシマ(2011)ドキュメンタリー

2011年 ドキュメンタリー 77分 製作:シグロ/トモコーポレーション 監督:石田優子 ※第17回平和・協同ジャーナリスト基金 審査員特別賞、ビバリーヒルズ映画祭長編ドキュメンタリー部門グランプリ
漫画家の中沢啓治が、自らの体験をもとに、漫画『はだしのゲン』を描くに至る経緯と想いについて語ったドキュメンタリー作品。1945年8月6日の広島で、中沢自身は被爆しながらも奇跡的に一命をとりとめたが、父と姉弟を失い、やがて妹や母も亡くすことになる。その生々しい被爆体験と創作にかけた半生が、広島市内の思い出の土地や、貴重な原画を交えながら語られる。

放射線を浴びたX年後(2012)ドキュメンタリー

2012年 ドキュメンタリー 83分 監督:伊東英朗 ※2012年度キネマ旬報ベストテン 文化映画部門 第8位、第30回(2012年度)日本映画復興会議 奨励賞
1954年のビキニ水爆実験。その海で、多くの日本のマグロ漁船が操業していた。にもかかわらず、第五福龍丸以外の「被ばく」は闇に葬られた。1985年、その事実に光をあてたのは、高知の教師や高校生たちの調査活動だった。その足跡をたどった南海放送のディレクターは、長期取材のなかで船員たちの衝撃的なその後と、機密文書にたどり着く。そこには、深刻な核汚染の記録があった。

真実はどこに?―WHOとIAEA 放射能汚染をめぐって―(2004)ドキュメンタリー

2004年 ドキュメンタリー スイス 51分 監督:ウラディミール・チェルトコフ
2001年、ウクライナの首都キエフでの国際会議に、WHO(世界保健機関)やIAEA国際原子力機関)の医師・学者たちが集まり、チェルノブイリ原発事故の健康被害について議論する。多くの医師や学者たちは、子どもたちの症状は放射能とは無関係と主張する。これに対し、現地で様々な病気を診てきた医師たちは反論する。また、子どもたちの証言も衝撃的。

フクシマの嘘(2012)ドキュメンタリー

2012年 ドキュメンタリー 30分 監督:ヨハネス・ハーノ
3.11から1年を経て、このドキュメントは過去にさかのぼっていく。原発設計者・保安点検者・元福島県知事など、原子力ムラ内部の告発者たちは、いかなる報復を受けてきたのか。原発事故の後、その原子力ムラはどうなっているのか。そして今、「原発を日本で稼働させるだけの心構えがあるのか」という、東電への追及に対する災害対策責任者の反応は?

ある同姓同名者からの手紙(1992)ドキュメンタリー

1992年 ドキュメンタリー 48分 監督:金高謙二 ※毎日映画コンクール・記録文化映画賞
ある日突然、見ず知らずの人物から手紙が届く。手紙を受け取ったのは、『あしたが消える −どうして原発?−』の金高謙二監督。差出人は、長崎の原爆で家族を奪われた、同姓同名の金高謙二さん。この手紙をきっかけに映画は製作される。金高監督は金高さんと共に、自分の過去を遡るかのように、半世紀前の被爆体験を辿っていく。偶然の出会いから、知られざる悲惨な被爆体験を、自身の問題として捉え直そうとした真摯な試みの記録。

もうひとつのヒロシマ アリランの歌(1987)ドキュメンタリー

1987年 ドキュメンタリー 58分 監督:朴壽南 ※山形国際ドキュメンタリー映画祭2005 特別招待作品
軍都・広島には、日本によって植民地支配されていた朝鮮半島からやってきた人々が、原爆投下当時も数多く住んでいた。彼らはなぜ日本へ渡り、どのような生活を送り、そしてどのような被爆体験をして、ある者は今まで生き延びてきたのか。ジャーナリスト出身の監督が、多くの調査と取材の成果をまとめあげ、知られざる「もうひとつのヒロシマ」を明らかにしたドキュメンタリー。