zames_makiのブログ

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ヒロシマ1966(1966)原爆映画

1966(広島県原爆被爆者映画製作の会)(監)(脚)白井更生(撮)金井勝(音)山内正(出)望月優子加藤剛松本典子、寺田路惠、鈴木宏子、永井智雄、下村和男、長谷川美代子
アラン・レネの『二十四時間の情事』(1959)で助監督を務めた広島出身の白井と、後に個人映画作家として活躍する金井が、共に大映を飛び出して製作した意欲作。リアリズムとアンチロマンの不意の交錯により、暗夜行路の広島は世界のヒロシマへと変貌する。共に個人より受贈した35?ポジ(1巻欠落)と16?ポジを合わせて復元。(78分・35mm・白黒)

上映 NFC

10/2(木) 3:00pm 10/10(金) 7:00pm

感想

被爆者の苦しみと60年安保の挫折感を一緒に劇映画で訴える映画、60年代的、だが脚本はうまくなく、退屈だ。被爆者の苦しみや挫折感が細かい説明なく提示されるだけなため、今振り返ればこれで映画が成立しているのが60年代的=同時代的な証なのかもしれない。制作意識は政治的だが具体的な政治的メッセージ(戦争反対や被爆者援護など)はなくその点でも出来が悪い。
 物語は、望月優子演じる被爆者の苦しみが主眼、原爆記念館前で絵はがきを売る彼女は手にケロイドがあるが体が元気で子ども(次女)が広島の大企業(広島工芸?)に就職するのが夢だ。彼女の夫はその会社に勤めていたが原爆症で体を壊し、働けなくやめた。彼女は縁があると思い次女の就職もそこを願う。だが会社側はまったく考慮せず、片親であることを理由に却下される。彼女はかつての会社の友人の部長に掛け合おうとするが、相手は「働けず迷惑をかけられた」、といってとりあわない。同じように長女は原爆を嫌って男と別居しており、東京で働く(水商売)するんだと母を嫌う。
 就職面接落第の通知の日、彼女は社長に会って直訴しようとするが守衛に追い返され涙を流す。落胆した彼女は、絵はがきの屋台を放り出し、わざと寝込み、役所の生活補助の申請を開き得直ったようにだす。だが心は悲しみに満ちている。次女は零細企業への就職を決め、明るく前向きにいきようとする、彼女はそれに応じるが、その時原爆病が出る。次女は長女に電話をかけるが長女は泣くだけで会うことも拒否する、だが彼女の腕には斑点(恐らくケロイドやその後遺症の)がはっきり出ている。
 平行して60年安保で挫折した医学生の男女の話、挫折感に満ちた男は佐世保で医者をし、今も運ばれつつあるベトナムで負傷し泣きわめくアメリカ兵を看ている。挫折感に満ちた女は医者として広島に意図的に赴任しており、二人は広島で会い挫折感を語る。
 ラスト、女医者の前に原爆症の彼女が運ばれてきて入院となる、次女と暮らしたいと泣き叫ぶ彼女、次女がひたむきに自転車をこぐ姿で映画は幕を閉じる。

 被爆者の病や就職や差別の苦しみ、それへのこうあるべきとのメッセージなどが、具体的にはほとんど語られない。主人公やその夫の原爆病の経緯はまったく説明されない、長女の反抗の理由や腕の斑点も意味不明である。絵はがきを買いに来る客は被爆者に無関心・無理解だがそれとの交流や反論はない。一方彼女が暮らす住まいはみすぼらしく(原爆スラム?)、原爆資料館の周囲の感じも閑散としておりある種、悲惨さを感じさせる。60年安保の二人は具体的な行動がまったく提示されず、台詞でしかなくひどく空疎だ。