zames_makiのブログ

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ハンセン病差別宣伝映画「砂の器」のドラマ化

ハンセン病差別宣伝映画を作った橋本忍の責任は重い

 小説「砂の器」の中でハンセン病の扱いは小さい、ハンセン病を興味本位の飯の種にしたのは、明らかになっている経緯でその映画脚本を書いた橋本忍が主体的&積極的な犯人である。橋本忍浄瑠璃的演出がなければハンセン病=遍路=社会の周辺にあって既に終わった事、という認識は広まらなかっただろう。その点で橋本忍と松竹の責任は大きいし批判されるべきだ。橋本忍黒澤明と組むなど日本で最も有名で誉められるべき脚本家とされており又「私は貝になりたい」など一部では社会的視点を持った脚本家とされている。しかし彼の談話を読めば彼には社会的視点はまったくなく映画屋として「如何に売るか」だけしか考えていなかったのは明らかだ。(参照:最下段の「砂の器」脚本執筆経緯)橋本忍昭和35年当時ハンセン病患者が不当に虐げられ、差別され、拘束されていた事にはまったく関心を払わず、ただ売るためだけにらい者=お遍路のイメージを創作し広めた。映画「砂の器」の製作時に橋本私忍はハンセン病患者団体と交渉をもったようだが、本当の意味で彼らの窮状(病気が隔離を必要としないのに法と社会が不当に差別を強要する)をまったく理解したり関心を払わなかった。そしてハンセン病者の差別をなくしてくれという願いを、字幕を入れるという形で部分的に歪んだ形で映画にいれた事で、かえって世間のハンセン病への関心はなくなったと言えるだろう。

ハンセン病宣伝映画としての批判的視点で見るべきだ

 映画版以外は未視聴だが、同じように、1996年のらい予防法廃止までにフジとテレ朝でもドラマ化されており、そこではハンセン病という設定は行われなかった。ここでは明らかに映画の人気にならった映像制作であっただろうが同時に抗議を呼ぶヤバイ事は避けるという意識だったと推測される。では本当の所はしてスタッフのハンセン病への意識はどうだったのだろうか?父親=ハンセン病とはされていないが、その演出はハンセン病をにおわすものだったのか?また字幕による断り書きなどドラマ外でのハンセン病への言及はあったのだろか?
 更に別の視点で言えば、最大の恩人を殺すというドラマの大ネタを父親=ハンセン病という設定なしにはたして納得できるドラマにできたのであろうか?
 TBSでは映画以前に既にドラマ化されているのが興味深い。そこでは、ハンセン病のあつかいはどうだったのだろうか?遍路イメージは存在したのか?橋本忍の提示した遍路という「ハンセン病=疎外者」イメージしかも言語や物語で差別や疎外を語らないという差別する側にとって非常に都合のよい物語を使わずに、どうドラマ化したのか?
 そういった批判的視点でこれらのドラマは語られるべきだろう。

原作 推理小説砂の器

1960〜1961年 読売新聞に連載
1961年「長編推理小説砂の器」光文社カッパノベルズ として出版
ハンセン病の表現はほんのわずかで物語の中心ではない

映画とドラマ

1:1962年 TBS ドラマ「砂の器

1962/02/23〜1962/03/02 2回 1時間×2 単発 近鉄金曜劇場 脚本:大垣肇
出演:高松英郎(古手刑事)、月田昌也(刑事)、天知茂(新進評論家)、夏目俊二(犯人)脚本:大垣肇
=詳細不明

2:1974年 松竹 映画「砂の器

1974/10/19 監督:野村芳太郎 脚本:橋本忍山田洋次 
出演:加藤剛(和賀英良・犯人)、島田陽子(高木理恵子・和賀の愛人=共犯者)、丹波哲郎(今西栄太郎・刑事)、加藤嘉(本浦千代吉・ハンセン病の父親)、緒形拳(三木謙一巡査・育ての親・被害者)
ハンセン病と明示、大ヒットし社会的に認知、ハンセン病患者団体と交渉あり、ハンセン病は終わった事と字幕で示す

3:1977年 フジ ドラマ「砂の器

1977/10/01 〜 1977/11/05 1時間×6回 演出:富永卓二 脚本:隆巴 2014年12月17〜19日BSフジで再放送
出演:仲代達矢(古手刑事)、田村正和(犯人)、神崎愛(恋人・共犯者)、小川知子(婚約者)、坂本長利(本浦千代吉・父親)
ハンセン病から精神疾患に変更?映画版にならうがドラマ化=長時間化に伴い刑事捜査を細かく描き、刑事の家庭(息子の喪失→犯人の親子関係の比喩、妻との離婚、妻妹との愛)、新進評論家の未公開の恋→犯人の恋愛の比喩、など細かい。タイトルシーンバックに巡礼親子が映像化されている。

4:1991年 テレ朝 ドラマ「砂の器

1991/10/01 〜 1991/10/01 90分 単発 演出:池広一夫 脚本:竹山洋
出演:田中邦衛(古手刑事)、佐藤浩市(犯人)、国生さゆり(愛人)、高橋長英(本浦千代吉・父親)、伊原剛志(刑事)
=父は犯罪者と設定変更、第9回ATP賞ベスト21番組選出作品

参考:
1996年・らい予防法廃止、
2001年・国のハンセン病患者強制隔離政策へ違憲判決・国側の控訴断念

5:2001年 TBS ドラマ「砂の器

2004/01/18 〜 2004/03/28 1時間×11回 連続
演出:福澤克雄、他 脚本:龍居由佳里
出演:中居正広(犯人)、京野ことみ(愛人)、渡辺謙(刑事)、原田芳雄(本浦千代吉・父親・現在も病気)
=2004年に設定、映画版を踏襲した事を強調も父は凶悪犯罪者と設定、犯人の苦悩に焦点、大変な高視聴率、父は「集落の中で唯一ダム工事の住民投票に賛成票を投じたといういわれなき理由で村八分にされた結果、妻が誰にも助けてもらえないまま病死するに至ったことに憤怒し、村中の家に放火し30人を殺害したため」

6:2011年 テレ朝 ドラマ「砂の器

2011/09/10 〜 2011/09/11 2時間×2回 単発
演出:藤田明二 脚本:竹山洋
出演:玉木宏(刑事)、佐々木蔵之介(犯人)、加藤あい(愛人)中谷美紀(記者)、小林薫(古手刑事)、山本學(本浦千代吉・父親・遍路の途中で倒れる)
昭和35年に設定、犯罪者と設定、「殺人容疑で逮捕され証拠不十分で釈放されたものの、村人達からの疑惑の目に耐え切れず息子を連れ放浪の旅に出た為」、刑事が主人公、昭和35年に設定

橋本忍が如何に遍路イメージを作ったか

山田洋次は)「最初にあの膨大な原作を橋本さんから「これ、ちょっと研究してみろよ」と渡されて、ぼくはとっても無理だと思ったんです。それで橋本さんに「ぼく、とてもこれは映画になると思いません」と言ったんですよ。そうしたら「そうなんだよ。難しいんだよね。ただね、ここのところが何とかなんないかな」と言って、付箋の貼ってあるページを開けて、赤鉛筆で線が引いてあるんです。「この部分なんだ」と言うんです。「ここのところ、小説に書かれてない、親子にしかわからない場面がイメージをそそらないか」と橋本さんは言うんですよ。

 「親子の浮浪者が日本中をあちこち遍路する。そこをポイントに出来ないか。無理なエピソードは省いていいんだよ」ということで、それから構成を練って、書き出したのかな」。さらに、構成に関して、以下のように振り返っている。「三分の一くらい書いたときに、橋本さんがある日、妙に生き生きとしているんですよ「ちょっといいこと考えた」「(前略)その日は和賀英良がコンサートで自分が作曲した音楽を指揮する日なんだよ。指揮棒が振られる、音楽が始まる。そこで刑事は、和賀英良がなぜ犯行に至ったかという物語を語り始めるんだ」「音楽があり、語りがある、それに画が重なっていくんだ」(以上橋本)、ということで、それからは早かったですね」。

 他方橋本は、そのような構成を取る構想は最初からあったかという(白井佳夫の)質問に対して、「昔から人形浄瑠璃をよく見てた。だから右手に義太夫語りがいて、これは警視庁の捜査会議でしゃべっている刑事。普通はその横に三味線弾きがいるけど、逆に三味線弾きは数を多くして全部左にいる。真ん中の舞台は書き割りだけど親子の旅。お客は刑事を見たければ刑事のほうを見ればいい。音楽聞きたければ三味線弾きを見ればいい。舞台の親子の旅を見たければ舞台を見ればいい。そういう映画をつくるのが頭からあったわけ」と答えている*1

*1: <対談>白井佳夫+橋本忍--橋本忍が語る清張映画の魅力 雑誌「松本清張研究」砂書房 1998年8月号