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第一次世界大戦から考える靖国問題(早瀬晋三)

早稲田大学 OAS 第100回 アジアセミナー 現代の起点「第一次世界大戦」から考える「靖国問題
日時:2014年12月19日(金)
16:30〜18:00
場所:大隈記念タワー(26号館)地下1階多目的講義室
講演者:早瀬晋三(はやせ しんぞう)氏(早稲田大学 アジア太平洋研究科 教授)
入場無料
主 催:早稲田大学アジア研究機構
開催主旨:

勃発から100年、第一次世界大戦は現代世界の幕開けを告げる出来事として「現代の起点」とされる。ならば、いま日中・日韓間で深刻な問題となっている「靖国問題」も第一次世界大戦から考えることで、解決の糸口が見つかるかもしれない。
 停戦合意ができても、つぎの大戦が予感されたことから、戦後まもなく「第一次」とよばれたこのヨーロッパ大戦は、「世界大戦」とよばれるにふさわしく世界中の人びとを巻き込み、世界観をも変えた。そして、つぎの世界大戦を想定して、国のために戦い死ぬことを躊躇しない国民を育成する戦没者祭祀が重要な行事となった。
 8万8429人が靖国神社に「英霊」として祀られている日露戦争と比べて、4850人と戦死者のすくなかった日本でも公葬が盛大におこなわれ、散華への賛美や顕彰が強調されるようになった。だが、もはや欧米では国立墓地などで追悼されても、顕彰されることはない第一次世界大戦勃発から100年の世界史の文脈で、「靖国問題」を考える。

参考 早瀬氏の紀伊國屋ウェブストア書評より抜粋「靖国

紀伊國屋ウェブストアの書評『靖国参拝の何が問題か』内田雅敏(平凡社新書)

 このようにみていくと、靖国問題は、日本という国家が敗戦処理を充分に行わなかったことが原因であることがわかってくる。「憲法9条」という画期的な敗戦処理を行いながら、なぜ国立の追悼施設をつくることができなかったのか。その原因を探ることがつぎの課題として浮かびあがってくる。また、わたしが個人的に聞いたこともある中国や韓国の有識者のいう「首相の靖国参拝が問題ではなく、首相の発言が問題なのだ」という、靖国神社同様、日本の政治家の意識の戦前から戦後への連続性の意味も考えなければならないだろう。

紀伊國屋ウェブストアの書評『海外戦没者の戦後史−遺骨帰還と慰霊』浜井和史(吉川弘文館)

 いっぽう、引き取り手のない戦没者の遺骨を納める施設として、1952年に発足した「全日本無名戦没者合葬墓建設会」は、つぎのようなものをめざしていた。「「宗教的色彩を払拭し、諸外国に見らるる例にならって、外国使臣等も必ず参拝するようなもの」であり、米国のアーリントン墓地やフランスの凱旋門にある「無名戦士の墓」に匹敵するような「大霊園」であった。ただし、「建設会」としては「この事業は、元来、国の当然の責任として国が主体となって、実施されてしかるべきもの」であるとも考えていた」。この考えは、第一次世界大戦後の国民を戦争に駆り立てるような施設ではなく、あらゆる戦争を否定する第二次世界大戦後の世界的な「大霊園」の考えと一致していた。だが、このような国際的な議論を踏まえて世界各国で建設された施設は、日本には建設されなかった。このことが、今日のいわゆる「靖国問題」に通ずることになる。

紀伊國屋ウェブストアの書評『英霊−創られた世界大戦の記憶』ジョージ・L・モッセ著、宮武実知子訳(柏書房)

イギリスでは、第二次大戦末期に、戦没者祭祀について、大々的に議論された結果、「記念碑は集団よりも個人を記念し、あらゆる戦争への警告を含まねばならぬ、との見解が影響し」、「国民の大半が戦後も長く楽しめる公園や庭園のような記念施設を望むと立証され、実用案が支持された」。

本書を読むと、日本の戦没者祭祀の問題が、近代国民国家の共通の問題であるとともに、日本独自の信仰と結びついた問題であることがわかる。「靖国問題」をはじめ近代に解決できず現代に先送りされた日本の戦没者祭祀の問題は、ヨーロッパでの第一次大戦後と第二次大戦後の戦没者祭祀のあり方の違いが顕著に示すように、なんのためのものかを明確にする必要がある。それは、二度と戦争をしないために、どのような記念碑を建て、どのように祭祀をおこなうかである。「軍国主義的伝統や軍事的事件を賛美するような」、つぎの戦争に国民を動員するためのものでは、断じてない。建立にかかわった政治家の名前が大書され、各種団体の資金源になるような記念碑は、論外である。日本の戦没者祭祀の問題は過去の問題ではなく、いまの日本が戦争にたいしてどのように考えているかを示す現代の問題である。