zames_makiのブログ

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地の群れ(1970)原爆&部落差別への文学的抗議

メディア:映画 127分 製作:えるふプロダクション=ATG  公開:1970/01/31
監督:熊井啓 原作:井上光晴「階級」「妊婦たちの明日」「たたかいの朝」 脚本:井上光晴熊井啓 音楽:松村禎三

鈴木瑞穂(宇南親雄・医師)炭坑町の町医者、アル中、被曝者、自分の生まれから妻の出産を拒否し、妻の死亡下元恋人への嫉妬を持ち続ける、青年時代に海底炭坑で朝鮮人女を強姦してしらんぷりをする、父を長崎原爆でなくす、自分も父の朝鮮人女への暴行でできた子と疑う
松本典子(英子)宇南の妻、宇南を激しく非難、
瀬川菊之丞(宇南の父)長崎原爆で全身火傷で死ぬ
?(?)宇南を糾弾する朝鮮人女、宇南が犯した朝鮮人の姉

紀比呂子(徳子)被差別部落の娘、ケロイドのある左手に手袋した男に強姦される、犯人を追及し集落へ、母に教える
北林谷栄(福地松子・信夫の母)被差別部落の住人、英子の犯人を問い詰める、犯人を聞き文句を言いに「海塔部落」に行くが、被差別差別を侮辱され、「血の腐れ」と被曝者をののしり、住民の投石で殺される

原泉(信夫の祖母・金代)「海塔新田」住人、長崎出身で自分は疎開していたが夫や娘を原爆でなくしている、孫息子=信夫は原爆症はないが、不良
寺田誠(津山信夫)被曝者の集落「海塔新田」の若者、英子の恋人だが強姦者として刑事に取り調べを受ける、強姦犯人を英子に教える、怒りで松子に石を投げてしまう、後悔に駆られ集落から脱走、被差別部落の若者から殺されそうになり逃げる
?(宮地誠)被曝者「海塔新田」住人、全身にケロイド、左手に常に手袋をはめる、英子を強姦するがかたくなに否定、
宇野重吉(誠の父親・宮地重夫)強姦犯人宮地誠の父親、英子らの訴えを否定し聞く耳を持たない

奈良岡朋子(家弓光子)長崎での被曝を決して認めない女、娘が原因不明の初潮出血で重体なのに被曝を認めない、被爆体験を語り自分の白血球数を気にしているのに認めない、認めれば娘は嫁に行けないと差別、「海塔集落」からの誘いを強く拒否
佐野浅夫(勇次・光子の夫)光子の嘘にあきれて離婚する
?(光子の娘)出血で寝ている

感想

被曝者・被差別部落民へ差別を激しく訴える映画、物語は被曝者と部落民との対立による殺人の形だが、映画中で主人公は殺したのは「皆だ」と言い、高度成長期の平和な人々を示している。またアメリカ軍反対、戦争反対の意図も明確で被曝者と米軍が交互に示されている、だがこれらに言語的台詞は一切ない映像によるもの。テーマにふさわしい暗く沈んだ映像、舞台人による明確な演技、主題をえぐる物語など十分な力があるが、テーマだけに見るのは楽しくない、上の下。
 複数の主人公により3つの差別を描く。佐世保の基地の近くでの被差別部落民の少女が、強姦された事件が発端でそれぞれへの差部とそれへの怒りが描かれる。被曝者は海塔新田と呼ばれる小地区に住んでおり、おそらく廃品回収で食べている貧しい集落だ、そこに居たら「嫁のもらい手がない」「おしまいだ」と言われ、おそらく長崎で被曝した女性は、夫にも被曝を強く否定し離婚され、子の原爆症の症状にも被曝を医師に話さない。
 被差別部落では過去の差別の経験が語られ、かつて文句を言いに行った夫は逆に刺し殺され、それを訴えても無視された事を語る。人々は強く団結し、主人公の少女の強姦事件に反応する。強姦を糾弾しに被曝者の集落の行った少女の母親は、犯行を否定され逆に差別される、それに逆上した母親は被曝者を「血の汚れ」と口走り、被曝者たちの石つぶてで殺される。この事件はまるで被差別部落民が被曝者を不当に襲撃されたからだと語られる。
 アル中の医師は、若い時炭坑町で朝鮮人少女を犯し、その姉の訴えにも答えない。少女は堕胎を計って炭坑の中の山から飛び降りるが自分も死んでしまう、そんな事件があっても医師はおかしくなるが、妻にさえ話さず黙ったままだ。更にその父親も同じ事をした疑いがあり、長崎で被曝した直後瀕死の父親に問い詰めるが、父も同様シラを切る。これらが医師を狂わせ妻に子を産むことを許さない。
 冒頭、中程、終盤で佐世保自衛隊の軍艦や米軍戦闘機が映し出され、悲惨な被曝者の映像とのカットバックで戦争による悲惨な被害を訴え、戦争反対、ベトナム戦争反対が示されている。佐世保の路上で、地元民でないからとの理由だけで、警察に誰何される男が描かれ、体制の戦争推進状況を批判している。
 ラストは、騒動の結果、被曝者からも被差別部落民からも犯人として追われる男である、だが映画は、彼をのんきそうに眺める団地の人々を示し、差別による犯罪を犯したのはこの普通の日本人だと示している。
 差別や迫害の実態を示すのではなく、又被曝と戦争の関係性を説明するのではなく、物語の力でそれがある事を示し、その苦しい状況に観客を引きずり込んで観客がその加害者であると訴えるもので、いささか観念的である。映像の示す物は明確だが深みに欠ける。被曝者差別をめぐる何回もの審問は結果が予想でき、観客に嫌気を呼び起こすかもしれない。同様互換事件の犯人を巡る物語も、恐ろしいばかりで観客の心情に訴える共感できるものではない。差別への怒り、糾弾されるのは観客というテーマの為でもあるが、見るのが苦しい映画である。しかし物語、セット、俳優など出来は良い。