zames_makiのブログ

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福井芳郎(原爆)

 福井芳郎という画家の存在を初めて知った。画家であるが徴兵され衛生兵として爆心地から1.5Kmで被爆し、爆発直後から活動し画材を持って長時間、1.5km地点から爆心地まで状況をスケッチしたという。しかしそのスケッチから油絵は描かれず、昭和27年?になってやっと6枚、写実的な絵を書いた。だがあまりたいしたことのないものだ。更に昭和40年代?に白をベースにした芸術的な被爆の絵を描くが、今みるとありきたりな表現で芸術性・思想性・描写力など特にインパクトのないものにしかならなかった。本人は原爆を源とする病でそこで死んでいるので大変残念な経緯だ。

 福井氏は他の人間に比べ原爆を表現する使命があるはずだ
1現実、しかも被爆直後の惨状を見ている
被爆時に既にプロの画家であり、対象を見る目も、表現力がある
3広島在住であり、自身が被爆し、病に冒されており、描きたいという動機がある
4絵画という、金銭・社会性・政治性など自由な媒体で活動でき人に見せる事ができる、実際多くの絵画を地域に残している

福井氏は4つがそろっていてもできなかった。原爆の表現はそれだけ難しい事例とも言えるし、結果として日本人の表現者(画家・映画監督・作家など)にその能力がなかった証拠とも言える。大変残念なことだ。
 ただ一つだけ誉められるとしたら少なくとも福井氏は表現しようと努力した事だ。映画人では毒ガス戦の当事者でありながら戦後まったく戦争を映画で描かなかった小津安二郎、被曝者であり原爆症であったのに「原爆はたいしたことはない。もう終わった事だ」という映画「長崎の歌は忘れじ」を作った田坂具隆など、より酷い例が存在する。そしてもっと酷いのは原爆を主題に十分金をかけた、本気の映画をほとんど作った事のない日本の映画会社であろう。

白に込めた悲しみ 被爆画家 福井芳郎(43分)NHKドキュメンタリー番組

原爆投下からわずか1時間の惨状をスケッチした画家・福井芳郎(1912〜74)。福井は 16歳で帝展に入選し将来を有望視された。しかし、戦争と被爆が画家人生を大きく変えた。思い返すことも辛いあの日を徹底的に記録として描くことにした昭和20年代。その後本来の風景画や静物の作品に取り組むが、原爆症発症の中、今度は被爆を記録ではなく作品として残すことを決意した昭和40年代。福井がたどった8月6日と戦後を見つめる。

放送
<中国地方放送> 総合 2014年6月27日(金) 午後8:00〜8:43
<全国放送>【ろーかる直送便】 総合 2014年8月6日(水)午後3:15〜3:58




某所ブログに書いた感想文

今全国放送の録画を見終わって大変興味を持ったので検索した所です。番組の感想として「福井氏を好意的に取り上げた」というのは同感ですね、2014年の今、福井氏の2種の絵は惨状記録でも、芸術性という点でもおよそ物足りない物と感じます。
 私は原爆映画を含む戦争映画に関心がある者ですが、惨状を伝える事の難しさはよく理解できます、観客は醜い物に時間や金を払って見てくれませんので、映画では原爆は常に抑えた表現になっています。その点絵画はより自由ですし、福井さんは実態を知り・専門家であり・自身にも被爆と病という動機のあるので、大いに期待される所ですが、20数年かけても失敗したように思えます。

 
 最近では映画の中の原爆はより曖昧になったようです、2014年のアメリカ版ゴジラでは原爆が炸裂しますが、ケロイドも爆風もなくただ光だけ、更にサンフランシスコで爆発したのに死者が7000人だって・・・。こんな低レベルな映画を大手新聞社は反核を訴えていると持ち上げているのが、原爆をめぐる映画表現の現状です。そして絵画でも同様では?
 原爆の現実・恐怖・醜さを伝えるという問題に、日本の表現者が失敗してきた結果が、アメリカ版ゴジラだったのかと今改めて思い至った所です。福井さんの絵を見た日本人がそれをどう改善するかという主旨で番組締めの姜さんの言葉も聞きたいと思います。