zames_makiのブログ

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ドラマ「命ある限り戦え、そして生き抜くんだ」(2014フジ)酷い日本軍賞賛

=日本軍は優しい、いい軍隊、生きるのを大事にしたと強調する歪曲ドラマ。明らかに映画「永遠の0」の真似である。陸軍総指揮官が玉砕禁じたのを「日本軍人が生きるのを大事にした、生命を大事にした」と描くこじつけドラマである。更に反戦女性兵士と日本兵との恋愛をドラマに入れ込み若い未熟な視聴者へのアピールと同時に誤解(日本軍も戦争反対だった)を誘うよう工夫されている。日本軍人が結局死ぬのだが、「生きるのを大事」にし同時に「女性などを大事にする」構造およびそれらが事実と異なるもので、演出という名の歪曲で映像化されている点は大ヒット映画「永遠の0」と酷似している。 2日前にNHKでは米軍記録フィルム(数100時間におよぶ)を基礎にペ英リュー島戦闘のドキュメンタリー「狂気の戦場・ペリリュー島」を放送しており、印象は大幅に異なる。そこでは玉砕禁止は沖縄戦と同様の戦闘長引かせのための方策でしかなく、「生きろ」などという演説・命令はない。徹底抗戦の関東軍と甘く見た米海兵隊の間で人間の残虐性が前面に出た戦闘が行われたと説明されている。両者を見ればフジTVのドラマの歪曲は明らかだろう。
 ドラマでも実際には、中川大佐は自決、部下も自殺目的の切り込みをやっており、「生きろ」はドラマ内でも示されていない。又芸者がペリリュー島に潜入し機関銃を撃ったとの演出はあまりに荒唐無稽である。ドラマ内では昭和52年の新聞記事を引用し女性兵士の存在の可能性を嘘でないと言いたいようだが、実はこの記事内でも「隊長付の女性」とされており、素直に読めば「中川大佐がペリリュー島にまで従軍軍慰安婦を持ち込み戦闘までさせた」と解釈するのが妥当だろう。この日本軍の指揮官が前線にまで慰安婦を「連れ回した」との記録は沖縄戦では信頼できる記録に残っている。
 ペリリュー島では日米軍の間で激しい戦闘があり、米軍の死傷率が40%近く最も米軍が苦労した戦場として有名である(なお日本軍の死亡率は99%、米兵の死者率は5%程度だろう)。だがドラマでは戦闘場面は限りなく省略され、ほとんどトンネル内の日本軍の描写でしめられている、これは戦闘のドラマではなく、日本軍のドラマになっている。日本軍がいかに正しい軍隊かを描く物になっている。
 池上彰氏がドラマ前後で状況の解説をしているが、はたして彼の解説は適切だろうか?ドラマを補強する形での解説しかなく、主人公の関東軍が独断専行で有名で日本を戦争の泥沼に引く刷り込んだ主犯である事、関東軍などの日本軍が偉ぶり日本人を含む民間人をいじめた虐げたこと(ドラマにはパラオ原住民が登場し日本軍とのわきあいあいの交流が描かれている)、結果的にペリリュー島での戦闘は日米双方にとって意味のない戦闘であったこと、何より中川大佐の命令がいかに非人間的であり、個々の兵士をどれほど苦しめたか(正しい命令とは、戦闘が不可であれば投降する事でありそれで初めて兵士の命は救われるのであり、ドラマはこうした「あたり前」の事を無視している。こうした知識を持てば結論的に池上彰氏の解説は不適切である、ドラマの歪曲を助長する宣伝でしかないのは明らかだろう。

終戦記念ドラマ「命ある限り戦え、そして生き抜くんだ」フジ キー局:CX 21:00-23:12

演出:福本義人 編成企画:細貝康介 プロデューサ:中山和記(バンエイト)、後藤妙子(バンエイト) 脚本:阿相クミコ
http://www.fujitv.co.jp/inochiarukagiri/
出演:
上川隆也(中川州男大佐:ペリリュー守備隊隊長、関東軍)最初から玉砕を許さず「命ある限り戦え、そして生き抜け」と演説する。トンネルでの持久戦を指示、自分は切腹する。優しいよい軍人として演出されてる。島に潜入した芸者を拒否せず看護婦として使う。
伊藤正人(ペリリュー島・若い少尉)中川の部下)死ぬのを強調する勇ましい軍人、芸者と仲良くなり戦場でキスする
北乃きい(コロー島の芸者・小鈴)「軍隊嫌い」と言いつつ兵士に化けて島に潜入し戦う。最後は機関銃で米兵を倒す。
小林稔侍(パラオ諸島守備隊総指揮官・中将)関東軍
大杉漣(黒崎中佐・ペリリュー島守備隊)中川の部下、切り込み隊で壮絶にかっこよく死ぬ
溝端淳平(少尉・ペリリュー島守備隊)中川の部下、体大きい
加藤雅也(大佐・ペリリュー島守備隊)中川の部下
木村多江(中川光枝、大佐の妻)関東軍宿舎に同居、日本に転ず、やたら優しく女々しい
語り:黒木瞳、ナビゲーター:池上彰

あらすじ(フジテレビHPより):

太平洋戦争末期、パラオにある小さな島・ペリリュー島に、歩兵第二連隊の隊長・中川州男大佐(上川隆也)と若く血気盛んな伊藤正人少尉(溝端淳平)が降り立った。パラオ第一次世界大戦時にドイツ領だったものを日本が受け継ぎ、委任統治していた場所。このパラオにあるペリリュー島には、東洋最大と言われていた日本軍の大きな飛行場があり支援基地となっていた。この島をアメリカ軍から死守することが、日本全土を守ることへとつながる・・・。中川大佐は妻の光枝(木村多江)を日本に残し、後にアメリカ軍と70日以上に及ぶ激しい戦闘が繰り広げられることになったこの運命のぺリリュー島を任されたのだった・・・。
 ペリリュー島に向かう途中、パラオの首都コロールに滞在した中川大佐と伊藤少尉。二人は、おかみ・浜野八重子(仁科亜季子)が切り盛りする料亭“みね屋”で、芸者の小鈴(北乃きい)と出会う。空襲でコロールの街が焼けてしまった経緯もあり、軍人を恨んでいた小鈴は、伊藤少尉に強く反発する。伊藤少尉は、小鈴と口げんかしながらも、小鈴の孤独な身の上を聞き気にかけていた。そんな中、第二連隊がコロールからぺリリュー島に向かう直前、伊藤少尉は小鈴に内地へ戻る最後の船に乗るよう説得。しかし、船の乗り場に小鈴の姿はなかった・・・。
 ぺリリュー島に到着した中川大佐率いる部隊は、毎日過酷な作業を強いられたが、現地民の積極的な手助けにより陣地構築が進んだ。いよいよ戦闘が近づいてくると、ペリリュー島の村長が、中川大佐のもとを訪れ現民も日本軍と共に戦うと志願。しかし、中川大佐は現地民を避難させることを選択するのだった・・・。数日後、ぺリリュー島に物資を届けにきた船に、軍服を着た小柄な兵士の姿が・・・。驚きを隠せない中川大佐と伊藤少尉。そんな中、いよいよアメリカ軍との戦闘へと突入していくのだった・・・。