zames_makiのブログ

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この子を残して(1983)控えめな原爆映画

メディア:映画 128分 製作:松竹・ホリプロ 配給:松竹 公開:1983/09/17
監督:木下恵介 原作:永井隆 脚本:木下恵介山田太一 音楽:木下忠司 曲の歌詞:峠三吉
出演:
加藤剛永井隆)主人公、長崎大放射線科の医師、熱心なクリスチャンで人格者、原爆は神による犠牲だとして被曝者から反対される。被曝以前から放射線症で数年での死を覚悟、被曝後は被曝者の治療にあたる。妻を失い祖母の世話で子供2人を育てる

十朱幸代(永井緑)永井医師の妻、原爆で即死
中林正智(永井誠一)永井の子、浦上から大浦まで学校に通う
西嶋真未(永井茅乃)永井の子、可愛がられる
淡島千景(ツモ)永井緑の母、永井と同居し世話をする、緑と静子の二人の子をもつ、原爆で親戚11人を失う
山口崇(現在の永井誠一)最後の場面での語り手、記者としてベトナム戦争中東戦争を体験

神崎愛(三岸静子)永井緑の妹、永井医師の親戚、原爆で死ぬ
大竹しのぶ(三岸昌子)三岸静子の長女、先生をしてるが混乱し生徒の面倒を見ることが出来ない、原爆で顔に傷を負い、修道女になるのを決意
?(三岸たけお)永井静子の長男、被曝して祖母の家へ逃げる、お腹が痛い、吐く、翌朝死んでいる
?(三岸ミツ子)永井静子の次女、たけおと一緒に祖母の家へ、髪の毛が抜け始め、翌朝死んでいる

今福将雄(平田重造)永井家の近所の防空団長、原爆で妻や子を失い、自暴自棄になり盗みを働く
杉山とく子(平田マツ)永井家の隣人、原爆で死ぬ

麻丘めぐみ山崎敏江)長崎病院の看護婦、永井医師をきづかう、被曝して死ぬ
浜田寅彦 (青木信太郎)
加藤純平(松田陽一)
山本亘 (山本卯太郎)
田豊土(佐川先生)
野々村潔 (国民学校老教師)

感想

回想形式で既に過ぎ去った過去の出来事として控えめに長崎原爆を語る映画、同時に原作者のクリスチャンで人格者の永井隆氏の言動に沿い、非常におとなしく原爆に対し受容的な態度を示している。だが映画は永井の自説である「原爆は神の意志」を否定するし、平和の為に原爆を忘れるなと強調する。登場人物の関係や被爆時の行動がわかりにくく、永井氏の言動はあまりに人格者すぎて衝突がなく映画的にはつまらない、中の中。
 大資本である映画製作会社(松竹)が作った唯一の本格的原爆映画であり、被曝による大規模なシーンもあるが、それが語りの順序を外して最後にあって物語がわかりにくい。永井氏の息子の語りが最後に登場し、全体が実はこの現在の息子(1983年)の回想である事がわかる、現在なら冒頭に現在が示され、枠物語である事を示す事でわかりやすくするのではないか(この他にも脚本の失敗と思われる点は多い)。
 冒頭、ローマ法王の演説でテーマ(平和を守る為に過去を忘れてはいけない)が示されているが、この言葉が難しくわかりににくい。更に長崎原爆投下の日時が明確に示され、既定の事実として原爆投下に至る永井氏の家族の物語が展開するが、これが長い(40分)上に面白くない。原爆投下がおきても直接の惨状は示されず、かといって被曝状況を意図的に隠す訳でもなく、中途半端な見せ方で何がテーマか観客は混乱する。
 この部分で、実は永井氏の家族・親戚は被曝で悲惨な死を迎えているが、予備知識無しでそれを想起させ感動を与えるような演出ではない。この為、物語は被曝した後の永井氏とその家族のエピソードが始まるまで、本当の物語の始まりに見えない、ここまで60分以上ある。
 被曝後の永井氏の物語はどんな悲惨な出来事も穏やかに受容する人格者のそれであり、映画的に面白くない。被曝者を単に可愛い被写体と見る米兵の話、家族を全て失い窃盗を働く元防空隊長の話、死を自覚している被曝者に死を明言する話、原爆は神の思し召しであるとする永井への被曝者の否の声など、死期を自覚した自分と原爆で急に死んだ妻への悔悟、11人の親戚や子孫を失い永井氏の死の直後に死んだ祖母の苦悩、顔に怪我を負い修道女となる姪の話など、がいずれもエピソードの深堀を避け、永井氏の落ち着いた言動でまとめられ観客は検討を阻まれる。
 被曝乙女である姪(大竹しのぶ)のエピソードも、それまでの経緯が描かれず、突如でしかもあまりに確信的な語りであり映画的な起伏に欠け観客が意味を咀嚼する間がなく重い意味を与え損ねている。
 最後、現在の息子(山口崇)の語りで戦争とそれを止める為に過去の惨事=原爆を忘れてはならないとのテーマが明確に語られるが、明確な台詞であるため、映画的な印象に欠ける。更にそれを強調すべき「とっておきの」大規模な被曝シーンも、映像だけで悲惨さを印象づけるだけの力が残念ながらないように感じた、峠三吉の詩の方が力があり、映像はそれの補助に見える。
 以上、難点ばかりを列挙したが、起きた事実は悲惨でありそれなりの力があり、主人公永井氏の言動は事実に基づいているのであって批判できない、悲惨さを強調するのではなく、永井氏の言動に沿って、原爆にともない起きた様々な苦悩とそれへの人間のあるべき態度を控えめに語る映画となっていると言えよう。控えめであるので悲惨さを期待する者には不満である、一方永井氏の著者に親しんだ者からすれば、「それなり」かもしれない。

あらすじ(メモ)

永井隆氏は長崎大の放射線科の医師で、レントゲンの使用で放射線を浴び放射線障害で死期を覚悟している。昭和20年8月7日、永井氏は息子と娘を浦上から離れた山中の祖母の家に疎開させる。8月9日原爆投下、永井氏は長崎大で被曝し重傷を負うが治療に走り回る。山中の祖母の家では閃光は見えるが何が起きたかわからない。やがて祖母ツモの次女の子2人が逃げてくる。武男はお腹が痛いと訴え吐いてしまう、ミツ子は髪が抜ける。浦上に様子を見に行った祖母は茶缶に持ち帰り、長女(緑)の骨だと言い浦上は焼け野原だと言う。次女の子で先生をやっている(大竹しのぶ)も怪我をしてやってくる。更に義理の弟の子、2人(真次と治二)も怪我をしてやってくる。永井氏は被曝者を診察しヤケドでなくても死ぬ原爆症だと診断するが、なかなか祖母の家に来ない。ようやく来た時には逃げてきた4人は皆死んでいる。
 浦上で追悼祭で永井氏は朗読、原爆は神がつかわしたもので我らは神の犠牲と言うが、被曝者から反対の声が出る。永井氏は嫌がる息子を大村の学校にやるなど論理的・受容的だが、周囲の被曝者や親類を失った人々の心は荒廃している。体が更に悪くなった永井氏は自宅で本の執筆に専念し、原爆の悲惨さを人々が忘れぬ事を願うが、GHQの検閲でなかなか出版されない、永井は本当は金の為だ、とも言う。やがて永井は死亡、その1年後に祖母も死亡、それを回想する息子(山口崇)は、戦争を起こさぬ為に過去の悲惨な原爆を忘れてはならないと語る。

あらすじ(キネ旬

昭和二十年八月七日、長崎医大放射線科の医師、永井隆は日増しに激しさを増す空襲に、十歳の息子・誠一と五歳の娘・茅乃を、妻・緑の母・ツモの居る木場に疎開させた。その夜、緑は診察のため長い放射線をあび、自ら命を縮めようとしている隆に休息するよう懇願するが、彼は患者が増えているからと聞き入れない。八月九日、午前十一時二分。川で泳いでいた誠一は、浦上の方で空がピカッと光るのを見た。そして突風が津波のように押しよせてきた。街の方で何かあったのかもしれないと様子を見に出かけたツモは、日が暮れてから漸く緑の骨を缶に拾って戻って来た。次の日、ツモが誠一を連れて焼跡を訪れると小さな十字架が立てられていた。ツモは隆がここに来たと言う。隆はその頃、被爆者の救護活動をしていた。ツモと骨を拾っていた誠一は焼け焦げた縁のクルスを拾う。八月十五日、日本は無条件降伏し戦争は終った。隆は放射線医として原爆の記録を綴っていたが、子供たち二人のために、たった一人の母の思い出と、人間としての尊厳を守る強い愛を残そうと自分の体験を執筆し始めた。新学期から誠一が大村の学校に変わることになった頃、緑の妹・昌子が尋ねて来た。彼女は修道院へ入ると言う。そして、昌子は原爆の落ちた日、生徒たちを置き去りにして防空壕へ逃げ、ついて来た一人の生徒が仲間を助けようとし眼の前で死んだこと、自分は何もせず怖くて茫然としていたことを告げる。隆は執筆のために建てた如己堂で何冊も脱稿するが、進駐軍の検閲が厳しく一冊も本にできなかった。そして、三年後の四月一日、「長崎の鐘」が発売された。一九五一年、隆は四十三歳で亡くなり、翌年、ツモが後を追った。誠一は成人し、今は世界の戦地を回る通信記者になっていたが、父の教えを立派に守っていた。