参考記事:メディア批判への新聞社反論への批判
捜査の途中情報を出すことそのもの、の意味を考えるべきだ
「リーク批判」に対する新聞の「言い分」(高田昌幸ブログ:ニュースの現場で考えること)北海道新聞記者
http://newsnews.exblog.jp/13562517/
問題は「立ち位置」である。どういう観点からどう取材し、どう報道するか、というスタンスが問われているのだ。(略)「苦労して得たから情報だから」といって、それを無批判に信じて報道するのであれば、それは単なる垂れ流しでしかない。
捜査の途中情報をじゃんじゃん紙面等で流した結果、(略)仮に「供述」が事実であったとしても、その供述は取調官からの威圧や誘導などを受けた結果ではないかどうかを考えなければならない。(略)捜査の途中経過情報を記事にして、結局、それが起訴状にも冒頭陳述にも証拠採用された調書にも登場しなかった事例は、山のようにあるはずだ。
(略)日本の報道機関は、とくに警察・司法当局とは二人三脚で歩みたがる。どうして、もっと距離を置けないのか、と思う。あらゆる取材対象の中で、捜査・司法当局に対する従順度はトップクラスではないか。
リークの危うさを自戒する東京新聞
『小沢疑惑報道』の読み方(東京新聞 2010年1月18日)【私説・論説室から】
小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる疑惑事件が元秘書らへの強制捜査に発展した。私は取材現場の事情は知らない。ただ、読者として多くの記事を読む限り、正直言って「これはいったい、なんだ」という感じも抱いてきた。なぜなら、当事者本人か捜査当局しか知り得ないような情報がしばしば盛り込まれているからだ。ときには当事者が捜査当局に供述したとされる内容が報じられたりしている。ということは、当事者が取材記者に話したか、あるいは当局が記者にリークしたのではないか。疑惑があるなら解明されねばならないのは当然である。現場で取材する記者の苦労は理解できるし、多としたい。
だが、結果的に当局の情報操作に手を貸す結果になっているとしたら、それもまた見逃せないのだ。検察が公判請求し裁判になってからも、判決が報道された内容どころか起訴状の記載事実とさえ異なる場合はある。読み手としては、情報の出所にも注意を払わざるを得ない。民主党と鳩山内閣は一連の報道でダメージを受けた。その結果、支持率も落ちるだろう。この疑惑は間違いなく、本日から始まる通常国会で焦点になる。記事を書く側の一人として「本当に起きていることはなにか」という点に細心の注意を払って、今後の展開をウオッチしていきたい。(長谷川幸洋)
リークを否定する毎日新聞の地方版
検察リークは「ありえない」(小野博宣/とちぎ発信箱)(毎日新聞 2010年2月5日 地方版)
http://mainichi.jp/area/tochigi/hako/news/20100205ddlk09070136000c.html
栃木県とは直接かかわりのないことだが、見過ごせないことであり、興味をお持ちの方も大勢おられると思うので記させていただく。いわゆる「検察リーク(意図的な情報漏えい)」のことだ。民主党幹部の疑惑報道に絡み、「新聞は検察からのリークを垂れ流している」という意見を聞くようになった。民主党もリークがあることを前提にした調査をしているようだ。
では、検察から記者へのリークは本当にあるのか。答えは明瞭(めいりょう)だ。「ありえない」と断言できる。なぜなら、私はかつて東京地検特捜部を担当していたことがあるからだ。検察官と新聞記者が接触することは極めて難しい。会うことができても名刺交換も会話もない。会釈すらしてくれない。新聞記者はまったく無視される。検察をはじめとする捜査当局の口は堅い。なぜなら、事件は捜査だけで終わらない。起訴をして公判にこぎつけ、最後に有罪を勝ち取らなければならない。リークなどをして、証拠隠滅や容疑者の逃亡、自殺などに結びついたら捜査は終了してしまう。捜査当局は自らの首を絞めるほど愚かではない。
読者の皆さんは「ではなぜ記事が書けるのか」と思われるかもしれない。例えばとお断りするが、建設会社の資料を検察が押収したとする。その資料の中身を知っているのは、果たして検察官だけだろうか。資料の作成にかかわった人、資料をコピーしたことのある人……資料の内容を知りうる人は少なくない。
新聞記者は、事件や疑惑にかかわるすべての人の氏名や素性、動向を把握して精力的に取材をし、集まった情報を分析する。それを基に一本の記事に仕立て上げる。リークなどというものに頼った安易な記事はひとつもない。記事は地をはうような取材の結晶なのだ。断っておくが、検察は取材源のひとつに過ぎない。政治家とカネの問題について、新聞記者が取材し報道するのは当然のことだ。私はそれを「番犬が不審者をほえるのと同じ」と言っている。この番犬はしつこくしたたかだ。政治家は与党になると、番犬を追い払うか、黙らせたくなる。リーク騒動の本質はここにある。「犬がまたほえている」といなせる政治家は、なかなかいない。(宇都宮支局長)