zames_makiのブログ

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検察・メディア批判への朝日新聞の反論を批判する

朝日新聞は2010年1月22日「検察・報道批判 危うい民主」と題して、ジャーナリストや民主党からおきている検察のリークへの批判、それを垂れ流すメディアへの批判に対して反論している。

 これは紙面2/3程度使った記事で3部分からなり(1)見出し=『「漏洩は違法」党に調査チームも・元検事「リークはない」』では民主党からの検察・報道への批判の声と、それに対する元特捜幹部の声を伝えている。(2)見出し=『「公共の電波で「関係者」は不適」・TV局「情報源守るため」』で、原口総務大臣クロスオーナーシップの違法化を目指す会見での言葉を問題視し、前田正義教授などを使用して原口大臣を批判した。(3)見出し=『多角的に取材し吟味』では朝日新聞社会部エディター梅田正行氏が寄稿し、リークなんかじゃないと抗弁している。


 記者経験もなく検事でもない一般庶民の私は、この記事をどう評価したらいいのだろう?答えとしてなんの知識もない一読者である私の視点は(A)論者の信憑性と、(B)論旨の確からしさ、しかないように思える。以下その原則に従いこの記事を批判する。

(1)見出し=『「漏洩は違法」党に調査チームも・元検事「リークはない」』

 民主党側は山岡賢次国対委員長や石井一党選対委員長の言葉で検察からリークがあるのではないか、検察がそれによってマスコミと国民を煽っているのではないか、との言葉が示されている。実際私の感覚でも、逮捕された石川議員の取調べ中の密室での発言が記事になっており、それが秘書でさえ小沢の有罪を認めているという文脈で報じられているのは、よく耳にする所に思う。これに対する朝日新聞の反論は元特捜幹部の「世の中が思い描くようなリークはない、表情の変化で感触を与えるくらいはするがそれはリークではない」という言葉と、服部孝章教授(メディア法)の「今回のは公共性が高いからいいのだ」しかない。

 民主党側の検察批判者は実名で数も複数だ、また読者である私は多くのリーク臭い記事を目にしている(例えば銀行通帳に小沢先生の金の印として「先生」と書いたなど)。それに対し反論する検察側はまず記事の分量で反論側の方が少なく、肝心の反論者が匿名で、しかも「リークは感触の形なら与える」となっている。これはどうみても朝日新聞側が弱い。またそれ以外の反論は小難しい社会論しかなく読んでも理解できない。
 知識のない私は一方では、テレビの政治報道番組を見ており、そこでは元東京地検の人が実名で顔を出して登場し「私の知っている範囲ではリークはない」と述べているのを複数人見ている。この朝日新聞のリークに関する反論は本当に期待外れでまったく説得力のないものだった。

(2)見出し=『「公共の電波で「関係者」は不適」・TV局「情報源守るため」』

 民主党側は原口大臣の発言のみ、しかし情報源を記すのに関係者ではなく、少なくとも検察関係者か被疑者関係者かは明示しろというのは面白い意見に感じる。これなら情報源は隠されるが情報の意味は判りやすくなるように感じるからだ。これに対して朝日の反論は、総務大臣が発言すると報道規制になるという文章と、前田正義教授(憲法学)の「関係者という表現は仕方のない時もある」しかない。反論の途中には民放連会長やNHK方針を引いて、なるべく関係者は使わないようにしているとの記事が挟まっている。
 この反論は結局、やはり確かに関係者は使うべきではない、だがそれは「報道を統括する立場の原口大臣は口にすべきではない」という論旨しかない。これでは原口大臣ではない読者は思うだろう、やはり関係者は使うべきではないのだな、と。これでは朝日新聞の反論はまったく説得力に欠ける。

(3)見出し=『多角的に取材し吟味』

 この部分は全部朝日新聞社会部の梅田氏による反論だ。その内容は「民主党はリークを情報操作の意味に使っている」「記者は不断の努力をしておりそれは情報操作ではない」「長年やってきて容疑者側にも聞く事が多くなった」などと反論している。
 私はどう記者が努力し新聞社がどうやって事実をつかむのかが述べられていると期待したがそうした具体性はまったくなかった。具体性を持った説明とそれを今回の取材にも敷衍するだけの説明があると期待したのだ。これだけ連日小沢疑わしいという記事が出ればそれで国民が方向付けられるのは誰でも実感する。記者がそう思わなくても情報操作になっているのは確かだ。また容疑者側の記事は読んだことがほとんどない、大抵こんな悪い事をしているという記事だった。感想としてはこの反論は変に感傷的でしかも内容がない。記事に分量があっても具体性がないのがまったく説得力に欠ける。
 

結論:全体として朝日新聞の反論にはまったく納得できない。反論に具体性がなく政府は報道に介入すべきではないとの主張しかないからだ。現在の検察幹部による公式の説明や、取材の仕組みの要点を示した具体的な説明がなく、結局記事からは「記者は検察捜査官の顔色をうかがって(顔色を読んで)記事を書いている」としか思えない。そんないい加減な方法では、その元ネタが間違っていても判らないし、そもそもその元ネタが何かのリークであってもわからないじゃないか!
 そして欠点なのはやはり検察の公式見解がないことではないか。反論者は検察OBの匿名者だったり、原則論を述べる学者だったりで説得力に欠けている。もし反論したいのなら朝日新聞は検察幹部に公式に取材して見解を持ってくるべきだ。


最後の感想として結局朝日新聞の反論は小沢一郎の説明と同じに思える。詳しいことは言えないが私はちゃんとやっている、こういう説明の仕方では朝日も小沢も同じだ。朝日新聞小沢一郎には説明責任を求めるが、自身の検察のリーク垂れ流し問題では説明責任をまったく果たしていない。