zames_makiのブログ

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厳罰化(重罰化)に異議を唱える画期的なNHKの番組

2009年10月25日 NHKBS1 未来への提言「犯罪学者ニルス・クリスティ〜囚人にやさしい国からの報告」(50分)
→10月3日NHKBShiで先行放送したのを視聴
=いまだに死刑が存在し、国民の7割近くがそれを支持してる日本。1990年代から社会のタカ派的傾向が進み厳罰化が進み死刑宣告される人が増えている、更に裁判員制度でも厳罰化の傾向が見える。日本のこうした困った傾向をどう説得し変えていくのか大きなテーマだ、それは人とはどういうものかという深いテーマで、心理学的、人類学的、歴史学的テーマなのかもしれない。この番組は犯罪者に優しいノルウェーの例を示し、犯罪学者ニルス・クリスティ氏に聞きながら答えを示す。ポイントは以下。

  • 犯罪者への刑罰は報復ではない、更生のための作業だ、むしろ犯罪者は多くはすでに社会で酷い目にあっている、酷い目にあった人に更に酷い目にあわせればより犯罪を犯しやすくなる。
  • 3ストライク法を採用し厳罰化したアメリカ。しかし厳しい罰で犯罪を抑制できるどころか、増えた受刑者(実に国民の1%!)の収容ができず困っている。逆に予算が圧迫され更生プログラムへの予算を削ってしまっている。
  • ノルウェーでは犯罪者は普通の暮らしをしてる(自由がないだけ)。TVを見、新聞を読み刑務官と一緒に食事をとり服役者同士で社会的生活をしている、社会的生活を身に着ける事それが受刑者の更生につながっている。
  • 社会的に孤立している事が犯罪に走りやすくしている、ノルウェーにはその家族を含め支えるシステムがある
  • ナチ支配下でノルウェ−人刑務官は収容所収容者をナチの命令で正当な理由なく殺した。特殊な環境では人はひどく残酷になる例だ。しかし殺さぬノルウェ−人刑務官もいた。それは収容所収容者を人とみなしていた人だ。家族の写真を見せ話をしていた人は殺すことを拒否した。(ニルス・クリスティ博士の研究より)
  • 日本のメディアは厳罰化を煽っている。犯罪学の浜井浩一教授(龍谷大)はそう分析している。犯罪事件を伝えると同時にそれが視聴者にもおきると脅迫している。これが厳罰化を煽っている。
  • ノルウェーでも量刑について討論するTV番組をつくっている。そこで大事なのは受刑者も討論に加わること、視聴者に受刑者の言葉を伝えることだ。視聴者は政治家や専門家などの言葉を重視し、受刑者を無視しがちだ。しかし受刑者も人間であり当事者だ。
  • ノルウェー裁判員制度では参加した一般の人が犯罪者も自分と同じ人間だと理解する機会になっているという
  • ニルス・クリスティ博士の研究のメッセージ「全ての人間は人間だ」この言葉の意味をそれぞれ考えてほしい。

NHKによる番組紹介

刑務所に拘禁される囚人数が世界的規模で増えている。米国ではこの40年で6倍、日本でもこの15年でほぼ倍増している。厳罰化がもたらしたこの“囚人爆発”という現象に警鐘を鳴らし「刑罰を厳しくすれば、犯罪は減るどころか治安は悪化し社会は崩壊する」と訴えるノルウェーオスロ大学教授、犯罪学者のニルス・クリスティ氏に話を聞く。クリスティ教授は世界中の刑務所を訪れ、囚人増の社会的背景を探り続けてきた。その結果、「囚人の大半は失業者など社会からの逸脱者であり、厳罰化は、彼らを刑務所に隔離することで、平和な社会を享受しようという中産階級の世論が司法に反映した結果にすぎず、犯罪抑止につながらない」と指摘。犯罪を減らすには、すべての市民が裁判に参加し、逸脱者の実態を知るべきだと訴える。ノルウェーでは古くから市民が裁判に参加する「参審員」制度を導入、日本の裁判員制度のモデルとなった。市民の議論による改革を進めた結果、囚人への厳罰をためらうようになり、世界一囚人にやさしい国となったという。犯罪のない社会の実現のため、市民は犯罪者にどう向き合い、何をすればいいのか。クリスティ教授の提言を、映画監督で作家の森達也さんが聞く。


(大変参考になるブログ)
湯浅誠×浜井浩一(女子リベ):「グローバル化する厳罰化とポピュリズム」の紹介
http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10266504365.html

真の犯罪対策は厳罰化より寛容な社会から(浜井浩一

http://www.asahi.com/ad/clients/ryukoku/200905/200905c2.html
浜井浩一龍谷大・法学・矯正保護研究センター)龍谷大アカデミックラウンジ2009年5月
より抜粋

「最近治安が悪くなった」。世論調査によるとこう感じている人は多い。本当にそうなのか。「治安悪化の事実はない」と浜井教授は断言する。「ここ20年の犯罪状況を客観的統計からみると、凶悪犯罪は増えていないし、殺人はむしろ減少しています」。こうした根拠のない“犯罪不安”こそ(中略)“厳罰化”を後押しするというのだ。


その根元にあるのが、犯罪不安の市民感情、つまり世論だ。「不審者がいたら住民はすぐ通報する。コンプライアンス全盛の世の中、警察は世論に逆らえず動かざるをえません。不審者は軽微な罪で送検されるようになり、検察官も裁判官も世論を受けて、厳罰化を進めてしまう。


ニュージーランドの厳罰化の過程は、日本と似ていてびっくりしました」。その類似点とは、メディアが犯罪や裁判を劇場的にを取り上げ、被害者支援活動などの高まりの中で “市民の安全のため厳罰化を求めよう”といった意見から市民の問題意識が高まる。そこに二大政党制や規制緩和が正義か悪かといった一見常識的で分かりやすい議論に拍車をかけ、厳罰化が進む、といったものだ。


「犯罪はいろんな偶然や影響が重なって起こる。刑罰で抑止できる単純なものではありません。けれど難しい議論より、被害者の体験談などのメッセージは情緒的な部分も含めて心に響きわかりやすい。わかりにくい政府の説明より共感できるから、世論はそちらへ流れます。こうした厳罰化はグローバル化しています」


(中略)「(日本の検察官や裁判官は政治的に独立しているのになぜ厳罰化はおきたか)「犯罪に対する市民と検察官・裁判官の意識レベルが同じだから。検察官・裁判官の多くも厳罰化すれば犯罪が減ると信じ、犯罪はモラルの問題と思っている。彼らは法律のプロ、つまり、事件を処理するプロであって犯罪学のプロではなく犯罪者への理解や関心が乏しい


厳罰化ポピュリズム(Penal Populism)とは:(龍谷大HPより)

「法と秩序」の強化を求める市民グループ、犯罪被害者の権利を主張する活動家やメディアが一般市民の代弁者となり、政府の刑事政策に強い影響力を持つようになる一方で、司法官僚や刑事司法研究者の意見が尊重されなくなる現象。

浜井浩一「日本における厳罰化ポピュリズムと検察官」梗概)

「日本における厳罰化ポピュリズムと検察官」浜井浩一&エリス・トム 犯罪社会学研究 2008.10)

内閣府等の世論調査によると、現在の日本では、80%を超える人が日本の治安が悪化したと感じ、同じく80%を超える人が死刑制度の存続を支持している。こうした世論や被害者支援団体等に後押しされて、1990年代後半から、日本でも厳罰化が進んでいる。
 Pratt(2007)のいうPenal Populismの基本は、マスコミを通して語られる市民団体や被害者支援の活動家の体験に基づいた常識的で分かりやすい声によって、司法官僚を含む専門家が刑事政策の蚊帳の外に追いやられた結果、厳罰化が進行することにある。この現象は、現在日本で起きている厳罰化によく似てはいないだろうか。小泉改革以来、力強く、常識的で、分かりやすい解決策がもてはやされるようになった。光市で発生した母子殺害事件は、その事件そのものだけではなく、9年間にわたって続いた公判の様子は、被害者遺族の言葉を通して様々なメディアで報道され、世論の強い支持を背景に、検察官の控訴、上告によって、無期懲役刑判決が破棄され、差し戻し控訴審において死刑判決が下された。この間、治安対策や刑事政策の分野でも、厳罰化に向けた施策が次々と打ち出された。
 しかし、もともと、Penal Populismは、アメリカのように裁判官や検察官が選挙で選ばれるなど、司法官僚の人事が政治的な影響を受けやすい制度を持っている国で起こりやすい。日本の裁判官や検察官は、司法官僚と呼ばれるように、巨大な官僚機構の一員であり、終身雇用制度のもと人事は政治からほぼ独立している。
 つまり、国際比較的な観点から見ると、日本は、制度的にみて、Penal Populismの影響に対して最も強い抵抗力を有している国だといえる。このことを前提に、近時の日本の厳罰化の過程を見てみると、Penal Populismとはやや異なった姿が見えてくる。最近の厳罰化に向けた法改正は、刑法、刑事訴訟法の改正や裁判員制度の創設を含めて、厳罰化に向けた量刑等の動きは、市民や被害者遺族の声が大きな原動力となって動き出したものであるが、すべて司法(法務)官僚である検察官を通して実現されたものであり、検察官の権限が縮小された制度改革はほとんどない。
 日本のPenal Populismの特徴は、司法官僚や刑事法の専門家が抵抗勢力とはならず、むしろ世論と一体となって厳罰化を押し進めた点にある。(Penal Populism=厳罰化ポピュリズム?)

厳罰化傾向とマスコミ報道(岡田克敏)

−ネット雑誌「アゴラ」2009年06月04日掲載
http://agora-web.jp/archives/639968.html 岡田克敏氏は写真家?以下は抜粋

マスコミは常に被害者の側に立って報道します。そして裁判の前には「極刑を望みます」といった、被害者の報復感情を露わにした発言を好んで取り上げます。(中略)マスコミが報復感情を後押しているという印象があります。

 ある事件の一連の報道は勧善懲悪劇に似ています。加害者という悪人が厳罰を受けることによって被害者は報復を果たすという筋書きは読者・視聴者に一種のカタルシスをもたらします。劇を面白くするためには加害者の悪事は大きく、被害は深刻に見せることが効果的です。ここにニュースキャスターなどが正義の代弁者として登場すると、面白い上に読者・視聴者の支持を得られるというわけです。被害者に感情移入した読者・視聴者の報復感情を満たすことは劇の重要な要素です。

 最近の刑事裁判では重罰化の傾向が指摘されていますが、これにはマスコミの報道が影響しているように思えてなりません。検察は(中略)主権者である国民の理解と支持を得る方向に大転換したという意味のことを、但木前検事総長は述べています(2009/4/26NHK日曜討論)。ポピュリズムへの傾斜とも受けとれます。「国民の理解と支持を得るため」とは聞こえのよい言葉ですが、具体的にはどうするのでしょうか。検察の行動や裁判の結果にいちいちアンケート調査をするわけではなく、現実にはマスコミが世論のように見せているもの、つまりはマスコミに従うことに過ぎないのではないでしょうか。


視聴率優先といったマスコミの営業政策から生まれた興味本位の報道によって、報復が正当化されて厳罰化が起き、その結果、社会から寛容さまでもが失われるのならば、ちょっと見過ごせない問題だと思います。

メディアと青少年凶悪化幻想(広田照幸

〜(朝日新聞 2000年8月24日) 広田照幸(東大・社会学
http://www.jca.apc.org/toudai-shokuren/dekigoto/000824a.html

統計を検討し直してみたが、殺人率の低下だけでなく、全体として、青少年は決して凶悪化しているわけではない、という結論に至った(『<青少年の凶悪化>言説の再検討』/ 広田照幸 教育学年報. 2001年10月 )。では、「青少年の凶悪化」という虚像はどこからくるのであろうか。ここでは、センセーショナルな報道に走るマスメディアの責任を2点指摘しておきたい。


 第1に、凶悪非行への関心を喚起しようとして警察庁などが発表する、部分的で短期的な数字や解釈を、メディアが無批判にたれ流しているという点である。(中略)各紙とも、「凶悪化」という見出しでそれを伝えた(4日付朝刊)。だが、そこでも、たまたま殺人が極端に少なかった昨年の数字と比較されているなど、強引な解釈が目立った。


 第2に、ごく例外的に起きる重大事件に対して、不必要なまでに微細に報道し、解釈しようとする、メディアのあり方が問題である。
 かつての報道は、事件の経緯をたどることに重きが置かれ、その背景や動機は簡潔な紋切り型の表現で片づけられていた。佐賀のバスジャック事件がもし数十年前に起きていたら、「内向的」で「学校嫌い」で「世間を怨んでいた」というふうに、簡単に片づけられたはずである。

 ところが近年は、ごくまれにしか起きない例外的な事件に対しても、青少年全体の病理を代表しているのでは、という視点から、細かな詮索や解釈がなされるようになった。その結果、「いつでも、どこでも、誰にでも」起きてしまうかのような錯覚が生まれている。しかも、他者には簡単にはわからない「心」の部分を「事件発生のカギ」とみなすようになったから、どんなに周辺情報を集めてみても、「解決」するわけがない。不安を募らせるだけである。また個々の事件がもらさず報道されることで、少年事件が格別増えたような印象をもたらしてもいる。(中略)過剰な不安をあおるメディアのあり方が反省されねばならないだろう。


(参考本)
グローバル化する厳罰化とポピュリズム / 浜井浩一他 現代人文社, 2009
△治安 犯罪「急増」「凶悪化」「低年齢化」はマスコミの嘘 / 浜井浩一 Sapio. [2009.7.8]
△厳罰化の犯罪学的評価とPenal Populism / 浜井浩一 現代思想. [2008.10]
グローバル化する厳罰化ポビュリズムとその対策 / 浜井浩一 犯罪社会学研究. [2008]
□日本の治安悪化神話はいかに作られたか--治安悪化の実態と背景要因 / 浜井浩一 犯罪社会学研究. (29) [2004]
□座談会 「監視社会」に向かう日本と法--その動向・背景・特質・課題 / 浜井浩一 他 法律時報. [2003.11]

△重罰化は悪いことなのか:罪と罰をめぐる対話 藤井誠二 双風舎 2008
△死刑のある国ニッポン / 森達也×藤井誠二  金曜日, 2009
△極私的メディア論(第42回)自覚なき厳罰化 / 森 達也 創. [2009.5]