zames_makiのブログ

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イスラエル軍がガザでした国際法違反と思われる残虐行為

無抵抗の娘をイスラエル兵は射殺した(毎日新聞 2009年1月23日)

◇ガザ、涙の大地 無抵抗の娘をイスラエル兵は射殺した【アベドラボ(パレスチナ自治区ガザ北部)前田英司】
退去命令…自宅出た直後:イスラエル軍パレスチナ自治区ガザ地区に侵攻していた7日昼、地区北部アベドラボで、軍の退去命令で自宅を出た幼い3姉妹が突然、兵士に次々と撃たれ2人が死亡、1人が重傷を負った。家族が22日、証言した。「私たちが何をしたのか」。悲しみに暮れ、事件の徹底解明を求める家族。イスラエル軍報道官は毎日新聞に「民間人被害に関して寄せられるあらゆる申し立てを調べている」と説明した。

 イスラエル軍戦車が付近住民にマイクで即時退去を命じた直後だった。パレスチナ自治政府職員のハリド・アベドラボさん(30)が娘3人を連れて自宅前に出たところ、少なくとも3台の戦車が配置されていた。うち1台から身を乗り出した兵士が突然、アベドラボさんらに銃撃を始めた。長女スワドちゃん(7)と三女アマルちゃん(2)が胸や首を撃たれて死亡。次女サマーちゃん(4)も胸などを撃たれて病院に運ばれたが、ガザでは対処できず、エジプトを経由しベルギーへ搬送された。銃撃に驚き、外に飛び出して泣き叫んだアベドラボさんの母スワドさん(60)も同じ兵士に胸を撃たれ、ガザ市内で入院している。

 アベドラボさんが住んでいた5階建ての自宅建物には当時、家族や親類25人がいた。銃撃を目撃したという兄ファウジさん(35)は「撃った兵士は薄笑いを浮かべていた」と証言する。近所に住む救急隊員のエハド・アシェイフさん(29)は異常事態に気づいて救急車で駆けつけようとしたところ、イスラエル軍に阻まれ、救急車を駐車してあった建物ごと破壊されたという。現場一帯は大地震の被災地のように建物のほとんどがひしゃげて、攻撃の激しさを物語る。アベドラボさんの自宅建物も、娘を運んだ病院から戻ると跡形なくつぶれていたという。戦車の砲弾攻撃や仕掛け爆弾が使われたとみられている。

 アマルちゃんが大事にしていた動物のぬいぐるみが残った。「この一帯に(イスラエルが敵視するイスラム原理主義組織)ハマスメンバーは住んでいない。なぜ幼い命が奪われなければならないのか」アベドラボさんはがれきの前で、三女が一緒に遊んでいたぬいぐるみを握りしめた。

犠牲者は民間人ばかり(東京新聞2009年1月23日)

◇ガザ激戦地ルポ 犠牲者 民間人ばかり【ガザ市(パレスチナ自治区ガザ)=浜口武司】人々はがれきの中に立ちすくみ、その時間を止めていた−。記者は二十二日、ガザ市を包囲したイスラエル軍が猛攻をしかけた二カ所の激戦地を歩いた。イスラム原理主義組織ハマスに向けられたはずの銃弾は、なぜか民間人にその犠牲を求めていた。

 「イスラエル人に聞きたい。なぜ、こんな小娘を殺せるのか」。ジャバリヤ難民キャンプの東部。農家のハレッド・アブドラボさん(30)は目の前でイスラエル兵に二人の娘を射殺された。もう一人の娘も重傷を負い、半身不随となった。今月七日、イスラエル軍戦車が家の隣で停止した。兵士たちはスナック菓子をつまみながら休んでいるように見えた。ハレッドさん一家が避難しようと白旗を揚げ玄関を出たところ兵士の一人が娘たちに自動小銃を乱射。長女(7つ)と三女(2つ)はほぼ即死だった。

 兵士たちはハレッドさんの家に射撃を続け娘たちを病院に運べたのは約二時間後。「娘を撃った兵士を覚えている。これは犯罪だ」とハレッドさんは怒りに体を震わせた。

 死臭が消えない南郊ザイトゥン地区。ジャラール・サムーニさん(36)は殺りくの夜を鮮明に覚えている。けが人を助けようとした弟が撃たれ、六時間後に死亡した。ジャラールさんは救助に行くこともできず、家族を連れてガザ市へ逃げた。停戦となった十八日、地区に戻ったジャラールさんらは、破壊された一軒の家から、十九体の遺体を見つけた。イスラエル軍が九家族を押し込めておいて砲撃した家だ。

 「私たちは野菜を育て、鶏を飼い、平和に暮らしていた。なぜ殺されなければいけないのか」。ジャラールさんは言う。「これを見てイスラエルを憎まない人間はいるか。復讐(ふくしゅう)できるなら、私はそうする」

生活のために海に出た漁師を砲撃するイスラエル東京新聞2009年1月23日)

◇砲撃の中、命がけの漁 ガザ沖合 負傷者も
 【ガザ市(パレスチナ自治区ガザ)=浜口武司】停戦が発効したにもかかわらず、ガザの沖合では連日、イスラエル軍の砲撃が続いている。標的はパレスチナ人の漁師が操る小さな手こぎボートだ。威嚇が目的とみられるが、二十二日には負傷者も出た。生活の糧を得るための漁も今は、命がけの日々だ。

 朝五時すぎ、沖合を警備中のイスラエル軍の艦艇から砲撃が始まった。ドーンという大砲の音に混じって、機関銃の連射音が聞こえる。時折、浜辺から遠くないところに水柱が上がった。砲撃は二時間以上も続いた。いとこ(12)たちと漁をするユニス・イルミナウィさん(20)は「ほかに仕事がないから」と笑う。普段使っている漁船だと、イスラエル軍に撃たれる恐れがあると、手こぎボートで漁に出る。

 漁の範囲はせいぜい沖合数十メートル。それでもイスラエル軍は容赦なく、砲撃を続ける。イスラエル海上が有力な武器密輸ルートの一つとみて、監視の目を光らせる。イルミナウィさんは「こんな小さなボートで密輸なんて。ガザの住民を怖がらせたいだけだ」と吐き捨てるように言った。

家族を家に閉じ込めた上で砲撃する(朝日新聞 2009年1月24日)

◇「閉じ込められ砲撃、妻子ら失う」 ガザ住民証言
 【ガザ市(パレスチナ自治区)=田井中雅人】イスラエル軍は住民を集めて砲撃を加え、民家を乗っ取って拠点にした――。パレスチナ自治区ガザを23日間、攻撃し続けたイスラエル軍の所業を、住民が詳細に証言した。「民間人の被害を避けようと細心の注意を払った」(オルメルト暫定首相)という説明とは正反対の実態で、「国際人道法違反だ」との批判が出ている。

 ガザ市南部ザイトゥン地区。壊れた家々のがれきが広がる一帯で21日、サモニ家の葬儀が営まれた。イスラエル軍の砲撃で、妻ハナンさん(35)と娘ホダさん(17)ら家族、親類29人を一度に失ったナエルさん(36)が、悲しみに身を震わせていた。 地上侵攻が始まった3日夜。突然、一家の壁が破壊され、機関銃を携えたイスラエル兵が侵入してきた。「家から出ろ」と、120メートル先の親類宅に追い立てられた。 周辺に暮らす親類約110人も同じ家に集められた。家が複数回の砲撃を受けたのは2日後で、計22人が死亡。近所への砲撃でも7人が死亡した。一帯の計21軒の親類宅が砲撃を受けたり、戦車やブルドーザーでなぎ倒されたりした。救急車は兵士らに妨害され現場に近づけなかった。

 「家畜のように閉じこめられ、殺された。許せない」とナエルさん。赤十字国際委員会は「衝撃的な事件だ。イスラエル軍は我々が救援に向かうことすら許さなかった。国際人道法違反だ」と激しく非難する声明を発表。AP通信などによると、国連人権理事会のパレスチナ地域特別報告者、リチャード・フォーク氏も軍の一連の攻撃について「戦争犯罪にあたるか独自に調査をするべきだ」と主張している。

 自宅を占拠された住民もいる。ガザ北部ジャバリヤ難民キャンプ東方、アタ・シアムさん(61)の4階建ての雑貨店兼自宅は今、ゴミの山が悪臭を放っている。12月28日夜、暗視装置をつけ、顔を黒く塗ったイスラエル兵約60人と、首に小型カメラをつけた犬2匹が乗り込んできた。兵士らはシアムさんの頭部に機関銃を突きつけ、21人の家族全員を1階の一室に集めて外出を禁じた。

 兵士らは連日、店の菓子やジュースを勝手に取り、イスラエルから持ち込んだサンドイッチや果物を食べ散らかした。空腹の孫が「分けてほしい」と泣いても、「これは兵士の食べ物だ」と拒んだ。一家は毛布まで兵士らに取り上げられ、震えながら眠れぬ夜を過ごした。息子の妻(27)が産気づいた9日、一家はようやく着の身着のままで学校や親類宅に避難することができた。

 「停戦」後に自宅に戻ってみると、兵士らが食べ散らかしたゴミと汚物の山が室内に残されていた。4階のバルコニーには、射撃口にした穴がいくつも開いていた。店に隠しておいた財布からは現金1200ドル全額が抜き取られていた。「こんなことは長い人生で初めて。あいつらは戦闘ではなく、盗みにきたんだ」とシアムさん。子や孫は「怖いから家に帰りたくない」と訴え、20年の思い出の詰まった家を捨てる決心をした。今、アパートを探している。

戦車は見境なく砲撃した(しんぶん赤旗 2009年1月25日)

◇“戦車は見境なく砲撃した”本紙記者が見た ガザ「停戦」1週間
 イスラエル軍の激しい空爆と地上攻撃を受けたパレスチナ自治区ガザ地区は、25日で「停戦」一週間を迎えます。本紙記者が24日、「停戦」後初めて現地入りしました。
 【ガザ市=松本眞志】エジプトとの境界ラファから入ったガザでは、空爆と戦車による砲撃のすさまじいつめ跡がいたるところに残っています。ラファでは検問所の直近まで砲爆撃が行われ、検問所内の建物のガラスが爆風で吹き飛ばされていました。ラファ検問所からガザ市までの道はイスラエル軍戦車によって、いたるところで寸断され、道路はきわめて悪い状態です。街には電気と水の供給が復旧しつつあります。学校の授業もスタートし、活気も取り戻し始めています。しかし、ガザ市内ではパレスチナ評議会の議事堂、行政各庁の建物、警察本部、赤新月社、国連の建物などが最大の標的となり、徹底して破壊されていました。

 悪路を案内してくれたタクシー運転手のファエズ・アブドラさん(42)は、空爆中の二十二日間、仕事がまったくできず、家のなかでじっとしていたと語りました。電気がないので、ろうそくでの生活。テレビを見られずラジオで情報を入手していました。「イスラエルの無法も許せないが、ハマスのロケット砲攻撃もまっぴら。平和が一番」といいます。

 ガザ市中心部に住むムハンマド・シャミさん(55)は、イスラエル軍の戦車が自宅から百メートル付近まで近づくのを見ました。「とても怖くて生きた心地がしなかったよ。イスラエルハマスだけを標的にしたというが、とんでもない。戦車は見境なく砲撃した。私の家族は運良く無事だったが、隣人二十五人が亡くなった」と語りました。