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瀬戸内ムーンライト・セレナーデ(1997)戦後の記憶

映画 117分 公開:1997/03/15
監督:篠田正浩 原作:阿久悠 脚色:成瀬活雄 音楽:池辺晋一郎

出演:
笠原秀幸(三男)主人公、長男の遺骨を運ぶ
鳥羽潤(次男)闇屋の如き格好の二枚目、家出を画策
長塚京三(父)淡路島の真面目な巡査、一家で九州へ遺骨を届ける
岩下志麻(母)優しい妻
吉川ひなの(ひとりっ子の娘)空襲で家族を失った娘、九州の親戚へ金と共に預けられる
高田純次(闇屋)親切で愛想がよい
永澤俊矢(復員兵)かっこいい
羽田美智子(芸者になるという女)復員兵に惚れる
火野正平(映画巡回上映業者)親切
河原崎長一郎(先生)教え子を戦争で失い狂気に、船から飛び降り死ぬ
余貴美子(パンパン)愛想がよく明るい

感想

昭和21年の混乱した戦後の時期を楽しい時代と回顧する映画、長男の遺骨を神戸から九州へ送る一家の船旅を背景に様々な人物を描く。人物は一様に薄汚れず綺麗な身なりで、食事に困っている様子はなく、戦死や時代の変化にも深刻な意味合いあを与えず、むしろ騒々しく楽しいものと描いている。そのため映像的にもやや非現実的で、人物なども作り物的で悪い意味でお芝居じみている、いかにも作り物でありリアルさは意図的に排除されている、観客は物語に感情移入できず、楽しめない、又日本社会の集団的記憶としても、もっと悲惨・深刻であるべきで正しくない、監督の個人的趣味に共感できない愚作、中の下。
 淡路島の駐在一家が、戦後昭和21年の秋?に、戦死した長男の遺骨を九州の実家の墓に納めるべく、一家4人で神戸から大分へ船旅をするのを描く。エピソードも登場人物も時代を反映したものだが、いずれも酷く非現実的に見える。
 父は巡査であり真面目で厳格だが戦時中に、戦争協力をしたのを恥じているようには見えない。17歳で戦死した長男を志願させたのを悔いているようだがあまり正面化されない。
 18歳の次男はひどく美男で、戦後の新しい空気を代表し家出したがっているが、戦後闇市のヤクザのような格好なのに言動はまだ子供で、酷く非現実的な人物だ。これの恋人役の空襲でひとりっ子になった女の子も酷く綺麗な身なりで生活苦も悲しさも将来不安もなく、一層非現実的である。
 三男は長男の遺骨を運ぶ役目を仰せつかるが、「蛸の遺骨はない」という歌を歌い長男の死を思いやったり、軍人になろうとした行動を思う受けベル様子なく、まるで戦争などなかったかのようなぼんやりした子供だ。
 船で同席する人々も同様だ。赤い服を着たパンパンは堂々としており、次男に手を出しても周囲は咎める様子はない。戦死した戦友の家族に報告に行くという復員兵は口では「生きる価値がない」と深刻だが外見はやたらカッコ良く、芸者の求愛をすぐに受け入れる。芸者志願の女はこれもやたらと清楚な美人で金の為芸者になるという切実さがまるでない、上品で金もありそうで親切である。闇屋は陽気で気前が良く、うさんくささに欠ける。
 全体にあかるいお話だが、エピソードは描きようによってはリアルさ=深刻さを伴った物なので列記する。死んだ17歳の長男は、輸送船が大分沖で機雷で沈んだもので、遺骨は歯ブラシだけであり、戦争にまったく寄与せずしかもごく近くで死んでおり、家族の落胆は本来大きいはずだ。次男・三男は当然長男に続いて軍に志願するつもりだった筈で、廃船により大きなショックを受けているはずだ。神戸での宿の夕食は南瓜だけであり、食料事情は最悪のはず、実際神戸駅では浮浪時におにぎりを奪われる。ひとりっ子になった少女の九州への移動は「火垂るの墓」の主人公らと同じ運命をたどるはずで、金を奪われ食事には窮する可能性は大きい。しかし映画はその深刻さを少しも描写していない。

 おそらく篠田監督が意図的に戦後のこの時期を明るく描こうとしたと推測される、結果は大失敗ではないか?戦後を知る者には単に非現実的でリアルでない勉強不十分な演出に見え、戦後を知らぬ者には、見るべき特別な物のないつまらぬ映画に見える。