zames_makiのブログ

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新しき土[ファンク版 107分](1937日=独)精神性を賞賛する希有なプロパガンダ

映画 上映時間:107分(106分と記載される場合もある) 製作国:日本=ドイツ 製作:ファンク映画製作所=東和商事=J.O.スタヂオ 配給:東和商事映画部 日本公開:1937/02/04(伊丹版で)

監督:アーノルド・ファンク、伊丹万作 脚本:アーノルド・ファンク
撮影:リヒアルト・アングスト 音楽:山田耕筰 作詞:北原白秋西條八十 製作:川喜多かしこ(東和商事)
スクリーンプロセス:円谷英二
出演:
杉勇(ドイツ帰りの男、大和輝雄)主人公、西欧かぶれで個人主義を主張し、婚約者(光子)との婚約を破棄しようとするが、日本風物に触れ活火山にのぼることで目覚め、光子と共に満州に移民する
原節子(大和光子・輝雄の婚約者)16歳で幼い感じのする日本娘、婚約破棄に悲しみ活火山に身を投げようとするが輝雄に救われる
ルート・エヴェラー(ゲルダ・シュトルム・ドイツ人記者)輝雄と共に来日したドイツ人女性、輝雄の友人。恋敵仇と思われたが身を引く。日本の風物にふれ感動する。
早川雪洲(大和巖・輝雄の父)輝雄を養子にした資産家の父。光子の実父。やさしく日本の風物を紹介する
市川春代(日出子・輝雄の妹)輝雄の実の妹、東京の製糸工場で働く。
中村吉次(一環和尚)輝雄に日本精神を思い出させる
高木永二(神田耕作)輝雄の実父、追い返される
村田かな江(日出子の妹)輝雄の末の実妹
常盤操子(輝雄の母)輝雄の実母
マックス・ヒンダー(ドイツ語教師)大和家で光子にドイツ語を教える
英百合子(乳母おいく)大和家の乳母

…『新しき土』は、ファンクが監督する[ドイツ版]と同時並行で、同じコンティニュイティ・俳優・スタッフを用いて伊丹万作が監督する日本語・英語版が撮影された。2つのバージョンは、冒頭や風景ショットの編集などで異なり、日英版は「西洋」対「日本」という対立構造を弱めるように構成されている。円谷英二の協力により、日本で初めて本格的なスクリーン・プロセス撮影が行われた。

研究書

「新しき土」の真実:戦前日本の映画輸出と狂乱の時代 瀬川裕司 平凡社 2017.4

バージョン(瀬川裕司氏による)

  • 伊丹版 114分 1937年2月4日 日本で上映 NFA所有
  • ファンク版 127分 1937年2月11日 日本で上映 NFA所有
  • ファンク版 120分 1937年ドイツで上映、ゲッベルスが評(長すぎる)
  • ファンク版 107(106)分 DVD等で普及、1938年以降製作
  • ファンク版 112分 詳細不明、喪失
  • ファンク版 「ミツの恋」1942年編集 日独同盟を強調 喪失
  • ファンク版 「桜の花・芸者と火山」79分 全てドイツ語の政治的要素を取り除いた物

製作経緯(瀬川裕司氏による)

1934年 東和商事がファンクと交渉開始
1935年 川喜多がドイツ訪問、ファンクと交渉、この間にファンクのゲッベルスへの寝返りが起きている
 7月 ファンクがアウトラインを記者に話している「土地なき民日本人の満州進出、製作方法、神道と火山のテーマ」など
 この間に、ゲッベルスからの支援が決定、通常制作費の10倍、半分をドイツ政府が出し、半分を日本側で、外務省も少し
 11月 ファンクの日本来日=製作が決定
1936年 1年かけて日本で製作
    伊丹とファンクが共に監督、別々の版を作る、撮影も2回行う、脚本はファンクのもの
1937年 2月4日 伊丹版日本で上映=不評
    2月11日 ファンク版(127分)日本で上映=絶賛
 3月 原節子熊谷久虎、川喜多が映画宣伝のためドイツへ出発
 3月23日 ドイツでの披露上映会 120分版、以降好意的評がのる
 3月26日 原らがドイツ到着
 7月 原らが、アメリカを周り帰国

感想

 研究書を読みアウトラインを知った上で見た感想では、精神性という難しいテーマを扱う興味深い映画、丁寧に撮影されており、日本の自然・風物・産業が随所に挿入され、西洋と東洋の対立のテーマも明確に示されている。物語はやや単純にすぎる。その中で西洋かぶれから日本人らしさを取り戻した主人公が、自然(火山)に触れる事で決定的に目覚め新天地である満州を美しい妻と共に目指すという、思想性の豊かなプロパガンダ&自然映画になっている。107分版では物語は途中意味不明部分あるも簡潔でありわかりやすい、中の上。
 これは当時の日本にとってのプロパガンダ映画であり、ドイツにとっては観光&紹介&ドイツ同盟国の力強さの宣伝、そして対外進出の奨励映画である。主人公は日本人と日本であり、それをドイツ資本でドイツ人の監督と撮影者で製作しているのが興味深い、ドイツ主体の映画でないのは、日本側からの企画で映画製作が立ち上がって経緯によるものだろう、それが実現したのは日独同調を映画で宣伝したいゲッベルス宣伝大臣が居た為であり、希有の映画となっている。
 この映画への現在の評は知らないが瀬川氏の評は厳しい、テーマ(西と東、満州進出、精神性)への言及はなく、おそらく107分版でもまったく誉めたくないのだろう。しかし当時の日本人から見て、これらのテーマは当然克服すべきものであり当面の大問題であり、それが映画的に示されたこの映画を高く評価した(ファンク版)のは当たり前の事だろう。
 伊丹版への当時の不評が、ほとんどが「日本とはこういうものだ」(火山に電車では行けない、とか)という表面的・細部のものであり、テーマ性への不満はない。最後に日本軍兵士が登場するのは、満州の現状から当たり前の事であり、むしろ日本軍勝利の栄光と解釈したのではないか?当時それを否定的に受け取る日本人はいたとしてもごく僅かであり、特に映画関係者にいたとは思えない。軍の力で領土拡大を積極的に行うのが「正しい行為」であり、映画も観客も、日本でもドイツでも、それに疑問を感じる観客はいないはずだ。
 当時の関係者(ファンクやゲッベルスなど)にとって、問題はそれを物語や具体的事物でいかに感動的に・積極的に見せる事ができるかであり、山岳映画(火山への登攀)はその手段としてゲッベルスは歓迎したのではないか?ただし120分では冗長だという事だろう。兵士が登場するから失敗作(監督は本心では否定的に描いている)などというのは当時の状況を知らない現代人の誤まった解釈である。

瀬川氏研究書について

 一つの映画に関してこれだけ大部の書籍を書くことに関心する、しかし大部なだけに不満点が多い。まず全体にキネ旬など当時のメディアの調査が大半で研究者としての分析・評価・結論(研究主題を定めた上で)が乏しい、その上で

  • 「新しい土」を輸出映画と捉えているが、輸出はまったく成功しておらずプロパガンダ映画であるべきでは?映画の政治性への言及、調査がほとんどなく、調査としても不十分だ。
  • ゲッベルスがなぜ出資したのか?ドイツ側からみた日独関係との関係性は?
  • なぜファンクは心変りしてゲッベルスの支援を受けたのか?なぜ日本人の精神性や大陸進出を応援する脚本を「自分から」書いたのか?ゲッベルスからの要請か?日本側からの要請か?川喜多の入れ知恵か?
  • 映画へのドイツ側の評価調査が不十分だ、公開当時はある種の検閲があり好評しかないとしても、映画関係者の本心はどうだったのか?日記、書物、映画評以外の雑誌、戦後の回想など調査すべきものは多くあるが、まったく参照されていない。
  • 1937年の伊丹版への不評と、ファンク版(127分)への好評の分析が行われているが、ファンク版(107分)との比較はどうなのか?127分版と107分版は同じ評価に「なるはず」なのか「違う」のか?研究者として整理し結論を出すべき点だ。127分版が流布していない点で、127分版との差異を分析しても今日的意味はあまりない。
  • ファンク版は127分→107分へとその政治性を強めるため、ゲッベルスの感想通りに整理されたように見える。伊丹版とファンク版(107分)をその視点で比較すべきではないのか?また、複数ある版の研究が待たれる。
  • 「新しい土」をファンクの山岳映画シリーズの一つとして捉えた場合はどんな評価になるのか?ドイツではそうした評価がどうなっているのか?
  • 輸出映画であるなら、具体的にどんな理由で欧州、アメリカへ伊丹版が輸出できなかったのか?東南アジアなど日本の占領地でなぜ上映しなかったのか?