日本ウィキペディアが低劣なのは管理者のせいだ(西和彦)
西和彦は2006年11月に激しくウィキペディアと対立し、2009年10月の今も批判している。最近のコラムでは非常に興味深い事を書いており、それによれば日本のウィキペディアがおかしいのは、ウィキペディアの仕組みが悪いのではなく、日本ウィキペディアの管理者がおかしいからだという。私も多少ウィキペディアに書き込んだ事があるが日本のウィキペディアの管理者がおかしいのはまったくその通りだと思う。私の感じた所は以下、
- 管理者がウィキペディアの正しい発展・運営に関心を持っているように思えない。彼らがしているのは自分の決めたルールを守ることだけだ。
- ウィキペディアでの振る舞いで何が正しい事かについて曖昧・不明である。対立すれば結果として管理者になじみのある長期参加者が勝つ様に思われる。(ウィキペディアでは参加者の執筆履歴も正確に閲覧でき、長期参加することが結果として大きな発言権につながっている)
- 長期参加者が新規情報を書き加える正しい執筆者であることは稀で、他人の執筆に手を加えたり削除する事だけが専門のような者が多いように見える。彼らの関心は新規情報や真実さではなく、編集で他人をやりこめて優越感を感じることのように見える。
- 更に困った長期参加者は、執筆などせずウィキペディア内での揉め事にしか関心がなくそれしかしない者がいる。参加者のアクセス禁止処置などウィキペディア内には多くの揉め事があり、揉め事自体を完全に閲覧できるようになっている。悪い意図の参加者にはこれらの揉め事は大変な魅力であろう。
- 管理者は多数決の投票で選ばれるが、その投票はそれに関心を持った長期参加者だけで行われており、上記のような変な関わり方をしてきた長期参加者の代表が管理者になっているように見える。
- ウィキペディアでは多数決で決めたことが正しいという偽の正しさが通っている。それは関心を持った者だけで行われるだけでも多数決でさえないのも明らかなのに、その問題点に自覚的な管理者はいないように見える。更に言えば悪い意図の参加者による多数決とは何なのだろうか?
- 偽の多数決から派生してローカルルールを守れという偽の正しさがまかり通っている
- 本来のウィキペディアには、参加者は正しい意図で加わるという性善説的な前提があると思われるが、今の日本ウィキペディアは悪い意図・誤った意図の者が集団で加わっている状態になっている場合が多いと思われる。これが日米ウィキペディアの差になっていると思われる。
- 日本ウィキペディアは悪い意図の者が集団で加わっている状態であり、2chと同じだと感じる。2chでは管理者の関与は少ないが日本ウィキペディアでは管理者によってその悪い意図の者の執筆や行いが保護されているように見える
- 誰が管理者であるか参加者にわからないまま、管理者が執筆に参加しており管理者がそれをおかしいと感じていない。執筆で管理者と対立した参加者は当然管理者から冷たく扱われるだろう。
- 根本的に百科事典には真実を書くという基本精神がなく、例え嘘でも本や雑誌に書いてあればそのコピーが正しいという偽の正しさがまかり通っている。それへの疑問や改善しようという問題意識が管理者にない。
(以下は参考記事)
Wikipediaはネットの肥溜 - 西和彦(アゴラ 2009年10月06日)
http://agora-web.jp/archives/767360.html
何年か前にWikiとネットで喧嘩した。売り言葉に買い言葉で、どんどんエスカレートした。今でも僕の項目は編集にロックされている。(中略)「そんなに文句があるならマスコミに言ってみろ」と管理人か誰かに言われたので、週刊誌やテレビ局、NET NEWSなどに、いかに日本のWIKIを運営している人たちが腐っているかを話した。(中略)
その次に、「本国のWIKIの代表に言いつけてみよう」と、「シンポジウムするから来ませんか」と誘ったら、出てくれた。話を聞くと、アメリカの代表はまともな人であった。私はそのときに、変なのはWIKI本体ではなく、日本のWIKIを運営している人たちだということに気が付いた。(中略)グーグルした結果を引用するだけで記事を書く人たちなので、中身が間違っていて、浅い、薄い、軽すぎる。今度、挑発されたら、また受けて立ってもいいかなと考えている。
ウィキペディア編集方針 西和彦がモーレツ批判(J-CAST 2006/11/30)
http://www.j-cast.com/2006/11/30004064.html
(中略)西和彦さんはJ-CASTニュースの取材に対し、「これまで細かく訂正してきたが、あまりに間違いが多すぎて大きく削除を行った」と「大量削除」を認めた上で、「事実とあまりに異なり、本当にめちゃくちゃで、耐えられる限界を超えていた」と語った。さらに、西さんは、ウィキペディアの編集のあり方について次のように不満をあらわにしている。
「編集世話人(ウィキペディアの編集に主に携わっている人)の独断によって編集され、ウィキペディアを書いている仲間内で転がしているようなものです。2ちゃんねるはすべてのことに批判的だが、ウィキペディアは自分のなかで閉じてしまって、『よそ者』を寄せ付けない。2ちゃんねるもウィキペディアも同じようなものですよ。日本のウィキペディアはカット、コピーペーストしているだけ。嘘で嘘を塗り固めているようなものです」
西和彦の事件へのはてな会員の感想
n_eulerxxx wiki 2ちゃんねるもウィキペディアも同じようなものですよ。日本のウィキペディアはカット、コピーペーストしているだけ。嘘で嘘を塗り固めているようなものです 2008/03/22
felix33xx 記事書いたことがある人ならわかると思うけど、日本版のWikipediaでは記事書いてないようなやつが熱心に削除や書き換えをし、編集優先権持ってるんだよね。バカが権力持ってる。だから2chらーより始末が悪い。 2008/03/23
nonxxx ほんとwikipediaって馬鹿ばっかだよ。融通が利かない。 面倒な言葉使えば説得あると思ってる。あほか 2008/05/14
池田信夫ブログ「2ちゃんねる化するウィキペディア」2006-12-27
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/47db22512dc2fe36b22b7596361760b9
(本文)「このようにウィキペディア日本版の質が悪い原因は、ウェブで匿名が当たり前になっていることが影響していると思われる。歌田明弘氏によれば、アメリカのブログの8割は実名だが、日本の9割は匿名だという。(中略)こういう「匿名文化」のなかで言論への責任意識が希薄になっているため、ウィキペディアまで2ちゃんねる化しつつある。日本人の品質管理を支えているのは、ムラの中で評判を守る恥の意識だが、それが機能しない匿名の世界では、質を維持するインセンティヴがないのだ。私についての項目のようないい加減な記述を表示するのは「百科事典」の恥である。もっとチェック体制を強め、一定の基準を満たすまで掲載しないなど、品質管理をきびしくすべきだ。」
(コメント欄より)◇2006-12-27「Wikipediaが2ch化しているというよりは、Wikipediaの論争になりやすい項目にしばしば2ch住民が押し寄せる、と言った方が正確だと思います。」
◇MILA 2007-01-02「私もウィキペディアに自分の項目があるのですが、非常に不快です。さんざん悩んだ末、削除したい項目としばらくにらみあったあと、遂に削除したらあっという間に元に戻されてしまいました。がっくりきてまた無力感に襲われた感じになりました。」
◇小田急ロマンスカー 2008-10-28「Wikipediaには最高責任者が存在せず、誹謗中傷や個人情報等が書き込まれても、なかなか削除されません。Wikimedia財団の日本支部も無く、責任も米国にある本部に丸投げです。納得が出来ません。」
◇元編集者 2009-01-26「私も元はWikipediaの編集者として参加していましたが、ここに来ていよいよその編集者の管理レベルの低下を肌で感じています。特にノートの状況は深刻です。自分達の論理につきあえない参加者は無視、よくて村八分、これが今の編集者の姿です。」