zames_makiのブログ

はてなダイアリーより移行

ブログ論壇の罪悪

http://watashinim.exblog.jp/9975529/よりメモ

今回の件は、「はてな」界隈で定期的に起こる集団ヒステリーの一例に過ぎないとも言えるが、「はてな」のブロガーでこういう集団ヒステリーを不快に思っている人は、そろそろ「はてな」をやめた方がいいのではないか。はてな」のサービスは、「論壇」的なものを極めて容易に形成する。雑誌ジャーナリズムの「論壇」が(ほぼ)死んだことは慶賀すべきことだと思うが、そのかわりに浮上したのが、「論壇」の病理性をより強化した「ブログ論壇」であったならば、救いようがないだろう。雑誌ジャーナリズムの「論壇」に対置されるべきなのは、新しい「論壇」ではなく、「論壇」的なものが解体された言論空間である。

ブックマークコメントなどのサービスが、一見ある意見グループを形成しているように見える、それは「おかしなもの」だというのはまったくその通りだと思う。ただ正面からそういっブクマに相対した経験から言えば、あれは言論などではなく(一部の人の)人気投票でしかないように思う。実はコメントを書いた人も大して気にしていない。一見言論のように見えるもの、即ち閲覧できる「言葉の連なり」から、リアル場面なら本来そこにあるはずの「内実」は、経験から言って実はそこにないように思う。


しかし人はほんの外見、表面的に読んだものでしか判断できないから、本当は内実はないのにそこにグループがあると思い込んでそのように行動する事もあるだろう、今のネットではそういう中味のないムーブメントが起きうる、それは愚かしい事だ。そして中学生(例え実年齢が40歳であろうとネット上での言葉や行動が中学生と同等な、精神的中学生も含む)や大学生(hisamatomokiとかいう金光翔氏も触れている騒いでいる人)などが、その表面だけに反応してしまう。


それは彼らにとって不幸だ。ネット上の言葉遊びだけで済むならよい。しかし実際hisamatomokiとかいう大学生ならそういう認識や考え方を身につけてこれから社会に出て行くだろう。彼らは人々の本当の意見の分布を見誤ったまま、ネットで得た誤った観念の下に行動することになる。本来あるべき内実のある意見交換の結果ではなく、「偽りの言論」の結果で成長する(行動する)。それが実社会にどんな弊害をもたらすのかは、その主題など、その時にならないとわからないだろう。その時が本当にネット(ブログ言論)の社会に与える問題性(悪い影響)が焦点になるときだろう。


(追記)ただ私は雑誌論壇は存続されるべきだと思うし、ネットでも人々が真面目にリアルと同じ意図と誠実さで相対すれば、人々によい結果をもたらすと思う。その点で金光翔氏とは異なる。今の日本のネットの問題性はそのシステム的機能(はてなブックマークとか)にあるのではなく、使う方の意図や意識の幼稚さにあるように思う。だから「はてな」ではなく他のブログシステムでも同様の事は起こるだろう。簡単に言って今のネットは中学生(精神的中学生を含む)がその幼稚な関心や行動を満足させる場・させやすい場になっているように感じる。
 実年齢の大人も含まれる多くの日本人が、ネットなら何でもし放題と平気で恥を掻き捨てている、その結果へんな意見がたくさん露出する(頻繁に目に入る)、それが一番の問題だろう。