左翼/右翼という言葉の危険性、今それは何を指しているのか
大学教授という知識人の癖に「南京大虐殺があった」とは言わないとする東浩紀*1は、歴史に詳しく日本の戦争での歴史的事実をネット上で教えてあげるような人々、すなわち、はてなグループ「従軍慰安婦を論じる」メンバーやはてな会員Apemanなどを「はてなサヨク」とその2008/12/5の授業で呼んでいる。同じようにテレビで所得の再分配を論じる論者を、竹中平蔵などの新自由主義者や田原総一郎*2などは、直ちにそれは社会主義(社会民主主義)だとして、左翼思想による危険なものだと断じたがる。
しかしこの両者の対立は左翼/右翼とは関係ない。1つ目は歴史的事実を正しく知っているか否かの差だし、2つ目は同じ資本主義経済の枠の中で、適度な社会保障・社会福祉の大きさを論じているに過ぎない。だが、少なくともネット上ではこうした左翼/右翼という分類はよく利用され、読者がそれによりイメージ喚起され判断しているのも事実と思われる。
(1)陽月秘話ブログのこと
こうした問題に価値あるコメントをしているブログがあった。陽月秘話出張所(http://yougetuhiwa.blog39.fc2.com/blog-entry-513.html)の「「右翼」、「左翼」という言葉の問題性 」である。ここで花園祐氏は、
私はこの二つの言葉は今後五年間は一切使うべきではないと考えています。
この二つの言葉は元を辿ればフランス革命後の議会にて、議長席から見て右側に保守層の、左側に革新派層の議員が座ったことより生まれた言葉で、そういう意味でオリジナリィーな意味では右翼とは保守層こと従来の制度をどちらかといえば守ろうとするものに対して左翼は革新派層こと制度改革を推進するグループという意味になります。(中略)現在の日本政治で(中略)一概に右翼=保守、左翼=革新とはもはや言い切れない状況です。では何故このようにいろいろややこしくなってしまったのか(中略)元々の保守と革新という意味だけでなくいろんな属性や意味が右翼と左翼という言葉に含まれるようになってしまったからです。
私の私見ですが右翼という言葉には一般には以下のような意味が内包されている
・軍国主義、戦前礼賛、天皇制保持、格差是認、新自由主義、地方分配主義、新自由主義、改憲派、親米派、親中派、自衛隊容認
これに対して左翼を構成する要素というのはどんなものかというと、・平和主義、戦前批判、天皇制反対、平等主義、人権擁護、社会主義経済、護憲派、反米派、親中派、自衛隊否定、自衛隊容認
政治家はそれこそ千差万別であるにもかかわらず、メディアや国民はやっぱり右翼か左翼かの二者択一で判断したがるところがあり、その結果今挙げたようにこの二つの言葉に無数の要素が取り付けられ、かえって政治家の本質を見誤る傾向がこのところの日本にはあります。(中略)
二項対立にしたいのなら現在のところ最も大きな争点となっている「新自由主義」と「地方分配主義」の対立要素で見比べる方が全然マシかもしれません。
(2)私の意見
これに関して長いコメントを書いたので以下で再掲する。趣旨は少なくとも右翼という言葉と、歴史修正主義、軍国主義(力による外交)が実際結びついているのを指摘したかった事である。こうした結びつきは識者の間では長く言われてきたが自衛隊幕僚長田母神氏の「日本は侵略国家ではない」という論文の騒動の中で、田母神の発言として明確化された。こういう言葉とその動機の解明、これがこの問題についての進歩だと思う、すなわち歴史修正主義者の浅はかな動機が明らかになり人々が騙されなくなる事だと思う。
−−−−−−−(私のコメント)−−−−−−−−−−−−−−
初めて読ませていただきました。私は、はてなグループ「従軍慰安婦問題を論じる」で発言している者で、慰安婦問題に限らず日本の戦争責任全般でネット上の無責任な言葉に怒りを感じている者です。
さて貴殿の右翼/左翼の言葉の分析、その通りだと思います。こうした歴史的事実の問題で意見を述べると、慰安婦を肯定すれば左翼(サヨク)とすぐに言われてしまいます。また「南京大虐殺はあったとは言わない」と対談で言ってる東浩紀氏(東工大)などは、私のような者を「はてなサヨク」と呼んでいます。ちなみに私自身なんら思想的にも政治的行動でも左翼とは関係ありません。
私はまず貴殿の分類に、右翼=歴史修正主義者、天皇の戦争責任否定、日本の戦争犯罪否定/左翼=正統的歴史支持者、天皇の戦争責任肯定、日本の戦争犯罪肯定、を加えていただきたいと思います。
私はこうした歴史認識問題では、歴史修正主義という言葉が適当だと感じています。貴殿はご存知かわかりませんがドイツではホロコーストを否定する言論・者がありこれを歴史修正主義者と呼ぶのが定着しているようです。日本でも加藤典洋氏の「敗戦後論」に端を発する高橋哲哉氏との論争がこうした現代的歴史論争のはじまりだと言われています。
そして今も南京大虐殺否定など同じ事が起きており、慰安婦問題告発で有名な西野瑠美子氏などジャーナリストは歴史修正主義者という言葉を使っています。ただこれは日本ではあまり使われていないですし、残念ながら歴史修正主義者(安倍晋三氏)が首相になってしまった日本ではインパクトが強すぎるかもしれません。
今私から見て最も大きな問題は歴史修正主義者との議論において、日本の犯した過去の過ちの事実を認めるという通常の思考を、それに左翼というあだ名が使われることで、思想的な偏りからでた一方的な意見だという言い方が素人目には通用することです。これはしっかりした細かい歴史的知識を持っている我々には大変な迷惑です。これは貴殿の指摘する関係ない要素を勝手に混同している例でしょう。
一方この歴史認識問題ではいくつかの要素が実際に連結しているのも事実です。正統的な歴史を認め、種々の日本の戦争犯罪を認め、その結果過去の戦争を反省し、平和主義を指向するのは、論理的に因果関係があるからです。
逆も真であり、安倍晋三氏など日本を戦争のできる国にしたい人が、国民に軍隊保有を許す改憲を進めるため旧日本軍のイメージをあげたいという衝動に駆られ、旧軍の悪行を隠す必要が発生し、その結果歴史をゆがめる歴史修正主義者となるという論理的関係性もあります。これは今回の田母神氏の発言「日本がいい国でないと自衛隊は守る意欲が出ない」の中で明らかになっていますね。
更に今の日本で決定的に問題なのは、安倍晋三を代表とするこうした「戦争をしたい集団」が自民党政治家の中枢を占め、同時にそのほとんどが実際に右翼だということです。安倍政権では閣僚の9割が日本最大の右翼団体「日本会議」に属していましたし(正確には日本会議国会議員懇談会)、現在の麻生政権でも非常に多いです。権力を持つ彼らは2007年米国新聞に「慰安婦は売春婦にすぎない」とする恥さらしの広告を載せ、2008年末には国会議員の名で「南京大虐殺はなかった」という報告(「南京の実相」日新報道、2008年)を平気で出すくらいなのです。
現在ネット上で南京大虐殺はなかったと正面から本気でブログで書くような輩は、少なくとも「表面上は」明らかに右翼です、彼らのほとんどは同時に反日を叫び、中国の脅威をなんの根拠もなく強調し、更に天皇を崇拝しています。これらは深い決意などない流行のようなものかもしれませんが、見た目という表面しかないネット上では結果的に同じではないでしょうか。
従ってこうした背景や経緯を知る私から見ても南京大虐殺否定論者をよぶ場合、右翼(ウヨク)と簡略化した方がよびやすいのもある意味事実です。しかし相手にこうした知識がない場合それがかえって誤解を招くのも確かですので控えるべきでしょう。
こうした言葉に起因する認識の誤り(誤ったイメージ)は政治の対立を曖昧にし、最終的には有権者の選択を誤らせかねないと思います。実際選挙では有権者は2者択一を迫られるのであり、そこにはやはり論点を明確にする名称が必要です、政治でのこの過ちの例が本来論点でないはずの2005年の郵政民営化だったでしょう。そこでは民主党も含めそれぞれの様々な政治的主張を持つ者も、抵抗勢力という名の下に全て保守・旧弊のイメージを押し付けられ排除されてしまったのが2005年の衆議院選挙の経緯と言えるでしょう。
対立者に適当な名称がない事が現在の政治的混迷の一因と言ったら言いすぎでしょうか。私の希望を述べれば、識者にはこうした両者の対立を整理する名称を発明してほしい、という事ですね。その候補の一つには、アントニオ・ネグリの言う<帝国>とマルチチュードも当たると思いますが、貴殿の意見は如何ですか?
(3)私の意見その2
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>歴史が正しいかどうかについて右翼とか左翼という概念を持ってくること自体−間違い
誤解を解消するためにコメントしますが、私は正統的な歴史学研究をそのまま受け入れているのが、日本の大多数であり「かつ」左翼陣営だったと思っています。一方右翼にも受け入れているはかなりあると思います。しかし田母神問題のように、歴史認識が問題として現れた時には「右翼の多数に正統的な歴史学研究を受け入れていないのが見られる」という事です。
私はあなた自身が書いているように、全ての右翼が歴史修正主義者などと言うつもりはない、貴殿がここで書かれているのは言葉が喚起するイメージの問題であり、実態がどうかとは異なる。その意味においては、私は現在右翼=歴史修正主義というのは、かなりあてはまるし、また実際に論理的・活動的な因果関係があると書いたのです。
>一番理想なのは−たとえ困難であろうと議論する、選択する要素を事細かに個々に分類、理解、比較する
理想論の願望としては貴殿の言っていることに賛成です。しかし現実、特に歴史認識問題と目の前の政治においてはそうではないと思いますね。
1点目:(歴史認識問題)まず安倍晋三や中川昭一を指すときに常に「歴史修正主義者の××」という言葉が使われれば、社会的に大変なインパクトがあるでしょう。その意味が常に喚起され、議論され固定されるからです。これにより日本の今の歴史認識問題は大きく変わるでしょう。残念ながら今の日本ではそれができません。
この効果は今のパレスチナ問題の例ですぐに理解できます「公正な選挙で市民から選ばれた集団である」ハマスを指すのに、多くのメディアは「イスラム原理主義組織」という形容詞を常につける、この意味をお考え下さい。もしハマスに私のつけた形容詞が「常に」ついていたら日本の人々の反応は大分異なるでしょう。
2点目:(政治選挙)いまや日本もテレビ政治の時代になりました。2005年の小泉劇場以降政治はテレビで動くという事が明らかになり、かつそれを誰も止めようとしていないし、恐らく止められないという事です。2005年の小泉劇場には、主に学者から多くの批判がなされていますが、フジテレビもTBSもそうした放送が過ちだった、改めるべきだとはしていません。むしろ逆で「同じ扱い方のまま」今年の選挙に向けてよりたくさん扱おうとしています。
小泉劇場が明らかにしたのは、国民の政治的行動がドラマ的な興味を主軸に動き、短い原始的な形容詞による分断を忌避しないこと。それをテレビも、国民も好み、政治家はそれを利用することです。これはテレビでは「わかりやすい政治」「論点を明確に」にして欲しい、などという表現で伝えていますね。貴殿の主張は最もです、しかし実際的には誰もそれに振り向かないと思います。
おそらく今必要なのはメディアのアジェンダ設定能力(何を政治的論点とするかメディア自身が自分で検討し設定し執拗に行うこと)でしょう、しかしメディア自身がそれに無関心な今の日本では、テレビ政治に乗った上で対応していくしかないと思われます。
(4)森永卓郎氏の左翼/右翼に関する意見
(付記)上記に関して森永卓郎氏が似たような事を書いていた。森永氏はまず現在のアジェンダ(論争点)は経済政策の違いだ、今までの小泉構造改革路線(即ち新自由主義的政策)に対しての可否の判断がアジェンダだと設定をしている。その上で選挙では、(1)まず自民党・民主党の政治家全体を「新自由主義」と「格差社会は行き過ぎだとする人」の2つのグループに分かれてもらって、(2)その名前が右翼/左翼でもいいとしている。私としてはその名前は「右翼」と「リベラル」がいいと思う。
森永卓郎氏:「右翼」対「左翼」の二大政党に再編せよ(2008/09/01)より
今の自民党も民主党も政策で集まっているわけではなく、その内部は、右から左まで入り乱れている。(中略)政界再編をするときには、ぜひとも国民に分かりやすいよう、自民党と民主党をごちゃまぜにした後に、「右翼」と「左翼」の二つに分かれてほしい。
「右翼」に所属するのは、今後も新自由主義で突き進もうという人たちである。弱肉強食の世の中でかまわないとし、庶民に増税をして金持ちには減税するという政策をとる。そして、米国につき従うためには集団的自衛権も辞さないとする。
「左翼」に所属するのは、今の格差社会は行き過ぎだとする人たちである。財政を通じた所得の再分配効果を高めることを目指す。大きな成長はできないかもしれないが、みんなで楽しく、ちまちまと生きていこうとし、そのためにも戦争に加担するのは嫌だから、憲法9条を変えることなく平和を守りたいと主張する。
このように政界を明確に二分して、「あなたはどちらを選ぶか?」とするのが一番いいのではないか。「右翼」と「左翼」で聞こえが悪いなら、「新自由主義」と「社会民主主義」の戦いと言い換えてもいい。
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