zames_makiのブログ

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村上春樹のスピーチは頭でっかちで聞くべきではない

村上春樹イスラエル文学賞エルサレム賞を受賞時にイスラエル批判のスピーチを行った。テレビ・新聞のメディア各社はそれがイスラエル批判であると大きく取り上げた。ネット上でも昨日ブログ検索した感じでは「村上春樹偉いぞ!」という反応が大多数だった。


それでいい、そしてこの社会の反応を聞いて第2、第3の村上春樹が出て、イスラエルを訪れる文化人、ミュージシャン、スポーツ選手が皆「イスラエルパレスチナ人にやっていることはおかしい」と言うようになってほしいものだ。それでアメリカもイスラエルも変わるきっかけになればよい。


だが一方このスピーチを頭でっかちで聞く人がいる、上記のような素直な意味に取らず「自分のネタ」にだけして何もしないのを積極的に肯定し、ひいては村上春樹のスピーチさえ否定しかねない。また実際にメディアの一部、イスラエルのメディア(注1)や日本のフジテレビ(注2)はそうなっている。

だがそうすべきではない。村上春樹イスラエル批判しても何も変わらないと考えるべきではない。それはイスラエルプロパガンダに騙されていることだし、沈黙することは今や現実のものである国際関係論の観点から、結果的にはガザの人々を殺す手助けをしているようなものだ


以下は某所(id:hokusyuのコメント欄に書いたこと。少しでも社会のために、アンカーのために、

(1)

講演全文が出ていますが普通に読めば(聞けば)イスラエル批判は間違いないでしょう。ですので以下、
 >はっきり言えば村上春樹は最初から詰んでいた
は間違いだったという事ですね。ブログ作者は反省するように。

そしてもし哲学的に「世界は詰んでるんだ」と言いたいならその間にも、ガザの人々は苦しみあるいは殺され、その一方ブログ作者はスターバックスのコーヒーを飲み、ネスレキットカットをかじり、インテルのチップの入ったパソコンを買うことでイスラエル支援企業(http://palestine-heiwa.org/choice/list.html)の資金を補強し、かつ沈黙することで、間接的にガザの人々を殺している事を「考える」べきだろうね。

(2)

もう1点違う観点から書いておきましょう。

村上春樹のスピーチを聞いてあなたがそれを「詰んでいる」として自分のマスターベーションのネタにしかしないのは、それは「壁」に対してどういう態度を取ることなのか?今イスラエルという壁が厳然としてありパレスチナという卵を押しつぶしつつある時に、「壁は強いんだよね」と自分の脳の中だけで自己満足的に浸り、マスターベーションだけしていること、それは壁に対してどういう態度なのか?

これを最も鋭く指摘しているのは岡真理氏だろう。以下はそれをベースに私見を加えて書こう。

ここで大事なのはパレスチナ問題と国際関係論(安全保障論)の知識だ。サイードが明言しているようにイスラエルアメリカで圧倒的に強力なプロパガンダ(宣伝)を60年間行い続けている、今その目的は「他の国にイスラエルの行動を黙って見過ごしてもらうこと」だ。なぜならイスラエルパレスチナに対し圧倒的に強者なので、他国から干渉がなければ紛争を完全に支配できるから。今後何回でもガザ虐殺を繰り返し、パレスチナ人の抵抗の資源も意志も挫いて追い出せるから。他国から干渉がなければ、21世紀の今でもホロコースト(民族大虐殺)が可能なことをイスラエルは証明している。

 しかし今や国際社会は主権国家の軍事行動であろうと秩序に従わない行動は許さないようになった。その秩序は国連と国際法を中心とした曖昧なものだが、少なくともイスラエルオスロ合意以降やっている事を許すような基準では本来はない。
 それが許されているのはイスラエルに毎年50億ドルの支援しているアメリカの存在であり、その行動を批判できない国際社会だ。しかしアメリカ国民の98%は非ユダヤ人でありアメリカの民主主義、そして国際社会の民主主義が本来的に機能すれば、イスラエルのこんな蛮行が継続できるはずはない。

 だからサイードイスラエルプロパガンダ(自分に有利な情報を流すこと)という事を指摘した。そして今回の村上春樹のスピーチはその知名度からしプロパガンダを破る非常によい行為だったろう。こうした事を理解すればガザの人々の敵とは、実際的にはプロパガンダにのって「詰まっている」として何もしない愚かな人間だろう。

村上春樹氏のスピーチを聞くまでは「それ」はあなたにとって知らない事、ですまされたかもしれない。しかし今こ れだけ関心を払い知識を持った今では、何もしないことは、あなた自身の問題として「壁」に対し何をすることなのか?

それを考えて欲しいものだ。

(注1)村上春樹さんの講演 イスラエルに批判的報道なし朝日新聞 2009年2月16日)
 【エルサレム=平田篤央】イスラエルのメディアは、15日に作家の村上春樹さんがエルサレム賞の授賞式で行った講演について、批判的には伝えず、授賞式に出席したことに力点を置いた。
 16日付の有力紙ハアレツは講演を「詩的」と表現し、村上さんが「ガザで多くの無実の人が殺された」と述べた、と客観的に伝えた。また「イスラエルに行くなと言われたが、自分の目で見ようと決意した」との内容を引用した。 英字紙エルサレム・ポスト(電子版)は「得意の難解さで受賞理由を説明」の見出しで、講演は「真にムラカミ・スタイルの、あいまいともいえるもの」としたうえで「時差と政治的反対を押し切ってエルサレムで受賞した」などと報じた。

(注2)2009年2月17日のフジテレビ「とくダネ!」でメインキャスターの小倉智昭氏は番組冒頭でこのニュースを6分かけて伝えたが、「村上春樹イスラエルハマス両方を批判した」「両成敗だ」と勝手に解釈して紹介した。またこれに答えたコメンテーターも「これはユダヤ人の悲惨な過去や、地下鉄サリン事件などテロの被害に抗議するもの」とコメントした。


(追加)2/19追加コメントしたので、プロパガンダへの無知と偏見を直すために

失礼だがやはり物事の理解が足りないようなのでコメントしておきます。もっと勉強して正しい認識でパレスチナ問題に向き合って欲しいものです。
(3)

>(村上春樹の)強い批判でさえも「大きな拍手」でむかえられた(hokusyu)
 一般に地位のある人が公的な場で批判された時に、それに強い反応を示したり正面から反論したりする事はありません。なぜなら反応することがその批判が自分にとって重大事だった事を公衆にしらしめてしまうから、又自分を相手に対し小さく見せてしまうからです。例え深刻な批判でもなるべく曖昧な形で誤魔化す、何もなかったかのように行動するのが普通でしょう。エルサレムの会場でもそれが公的な場であるので出席者には似たような事が起きたのでしょう。
 最近の例で言えばダボス会議でのトルコ首相とイスラエル大統領のガザ攻撃に関する議論http://d.hatena.ne.jp/zames_maki/20090201)がよい例で、ガザ攻撃を正当化するイスラエル大統領に対し、激しく怒ったトルコ首相に対しメディアはその怒りと退席した事を大きく取り上げた。即ちトルコ首相の反論の内容ではなく、トルコ首相の感情的な行動に大きな注意を払った。これはメディアの中立性の問題と同時に、公的な場では激しい(感情的な)行動をとった方が負けと見られやすい、という事を表しているでしょう。

 そして何よりこの拍手だけを取り上げて「詰んでる」とかいないとか書くなど、馬鹿じゃなかろうか?あなたにイスラエルの何がわかっているのか?あの会場で何が起きたか判っているのか?私も含め日本でブログを書いているような立場の人で判っている人がいる訳がない。
 その癖そのほんの小さな情報だけで詰んでいると決め付ける。こういう事がまさにブログ作者のマスターベーション(物事の正しい認識ではなく自分の好む方向で解釈する行為)そのものです。

(4)

プロパガンダというのは、騙す者と騙される者がいて行われるわけではありません
>必ず、騙す者と騙され「たがる」者がいてなりたつのです。(hokusyu)
 違います。あなたの書いたのはプロパガンダという言葉を大変嫌う日本人の言い訳であり、神話(間違ったイメージの付与)というべきものでしょう。そもそもあなたは何を根拠にそんな事を言うのか?あなたがプロパガンダについて何かを知って書いたとは到底思えない。間違った事を勝手に唱えないでもらいたい。

 私はプロパガンダについては詳しいから以前から書いている。一般的にプロパガンダとは騙すというような行為ではありません。63年前日本、アメリカ、ドイツはそれぞれ映画その他を通じて自国民に盛んにプロパガンダを行いましたが、それらは国家にとって望ましい情報を優先して与える、好ましい点を強調するという意味あいであって騙している訳ではない。
 その一方条件が整いほぼ完全に情報がコントロールできれば、国民はメディアの示す情報を検討することもできず、その条件下で示されるプロパガンダには非常によく従ってくれるのも明らかでしょう。
 例えば、戦時中の日本のプロパガンダアメリカは強いが精神的には弱いから日本人が頑張れば勝てるという精神主義を強調するものであり、これは日本軍の公的なものであり騙している訳ではない。けしてアメリカは弱いなどとは描きません。
 また逆に戦後GHQは広島長崎の原爆被害の情報をプレスコードでほぼ完全に抑制し、その惨状を日本人一般に知らせる事を禁止した。この抑制期間に公開された原爆映画は「始めか終りか」のように原爆を英雄的な科学の進歩として、あるいは「長崎の鐘」のように戦争の一エピソードとして済んだ事として描いており、これに対し日本人から批判はなかった。これらは原爆に関する情報の不足が生んだものであり、日本人がそれを望んだからではないのは明らかでしょう。

 サイードの言っているプロパガンダとは後者のケースであり、今アメリカ、イスラエルでは日本で専門家から手に入るような情報は、主要メディアではほとんど流れない事をさしているのですよ。
 例えば アメリカメディアでは占領地とは言わず係争中の土地disputed landと言い、封鎖ではなく閉鎖closure、抵抗するパレスチナ人は過激派militant、一方イスラエルによるパレスチナ活動家の暗殺assasinationは標的になって死んだtargeted lilling、という曖昧な表現になる(「オスロからイラクへ」エドワード・サイード、p455)。これらの報道がもたらすのは「イスラエルパレスチナが対等の戦争をしているのでありイスラエル自衛権行使は当たり前だ」という認識でしょう。そしてこれ自体が最も大きなプロパガンダだという事です。

 これは程度の差はあるが日本でも同様で、ハマスは必ずイスラム原理主義組織という形容詞がつく一方、占領の不当性は伝えられない。このメディアの偏向は中東専門家酒井啓子氏から指摘されている所です(例えば1/11の緊急集会http://d.hatena.ne.jp/zames_maki/20090111)。


(5)

アメリカ人だって(−)50%以上は(−)イスラエルが悪いってことに気づいてます(hokusyu)
 アメリカ人全体を対象にイスラエルとパレスナどちらを支持するか」の質問に対しイスラエルが44%、パレスチナが9%、どちらでもないが25%です。好き嫌いを聞けばアメリカ人の71%がイスラエルを好きで嫌いは25%、一方パレスチナに対しては75%が嫌いで好きは14%しかない。更にアメリカ人全体の47%は「イスラエルは神からユダヤ人に与えられた」を信じると答えているという(「神の国アメリカの論理」上坂昇)。

 知りもしないことを勝手に決め付けてマスターベーションをしないでいただきたい。

 このようにあなたはプロパガンダパレスチナ問題に関し知識が足りないので、また国際関係論の視点を完全に欠いているので「壁は卵を完全に包む位すごく強い」「そこでは卵が問題」と思い込んでいるだけでしょう。例えばそもそもあなたは日本国がこの問題に対しとっている態度の評価さえできていないと思われる。あなたは自分の住む社会の仕組みを調べず、ただ上っ面だけを撫でて、それを変えるのは難しそうだと自閉し、自閉すること自体に喜びを見出しているだけでしょう。

 しかしそうではありません。アメリカ人の98%をしめる非ユダヤ人に正しい情報が行き渡れば、あるいは国際社会から強い批判があれば、アメリカもイスラエルも変わるでしょう。それなのにそういう可能性を自ら自閉的に否定してマスターベーションをしてるなんて、なんて哀れなんだろう、いやそれは犯罪的ではないのか?と思わざるを得ないですね。

(6)

検索の結果イードプロパガンダを説明している文章がネット上で読めるのを発見したので記載します。
http://www.canaanite.net/(サイト運営者はサイードの著書の翻訳家中野真紀子氏)
オスロになんの値うちがある?」What price Oslo?
Al Ahram Weekly 2002年3月14〜20日 No.577号

                                                                                        • -

記事中、以下の部分がアメリカでのプロパガンダのありようを示している。

「合衆国ではCNNやNYタイムズのような新聞が、恥知らずにも、「暴力行使」が一方的なものであることを指摘するのを怠っており、本当は二者が対立しているのではなく、一つの国がその強大な軍事力を全開させて、武器も真の指導部も奪われた無国籍で難民化を繰り返す追放の民を壊滅させるために猛攻撃を加えている(「手ひどい一撃を食らわせる」というのが、イスラエルを率いる戦争犯罪人の恥知らずな言い草だ)のだという真相が示されることは決してない。」

「それでもCNNは決して「占領」地とは言わない(代わりに「イスラエルでの暴力行使」と呼ばれるのが常だが、それではまるで主戦場はテルアビブのコンサートホールやカフェであるかのような印象を与え、本当は、すでに150カ所もの違法なイスラエル入植地に取り囲まれたパレスチナ人のゲットーや包囲された難民キャンプが戦場なのだという事実が見えてこない)。 」

「ここ(合衆国)で与えられる状況説明では、イスラエル人が戦っているのは自分たちの生命を守るためであり、パレスチナの占領地にある自分たちの入植地と軍事基地を守るためではないということになる。アメリカのメディアではここ何カ月も、地図というものがまったく放映されていない。」

「「和平プロセス」とか「テロリズム」というような語句は、どのような現実の指示対象を示すこともなしに定着した。」

「歪曲のなかでも最悪なのは、1948年以降の54年間を通じて、パレスチナ人の勇気と苦難を語るナラティブ(物語)が決して出現を許されなかったことだ。 わたしたち全員が、乱暴な狂信的過激主義者とされ、ジョージ・ブッシュとその一味が、当惑し系統的に誤情報を与えられた国民の意識に植え付けたテロリスト像とほとんど大差のないものとされている。これを助長し無批判に煽ったのは解説者やマスコミのスターたちの大群だ − (ウルフ)ブリッツァー、(ポーラ)ザーン、(ジム)レーラー、(ダン)ラザー、(トム)ブロウコウ、(ティム)ラサートなどや[いずれも米主要ネットワークのニュース・ショー花形アンカー]その同類。このような忠実な門徒がいそいそと付き従ってくるのなら、イスラエル・ロビーはほとんど必要ないくらいだ。 」

オスロは、結果的に占領を容認し、それ以前の25年間の占領で起こった建物と人命の破壊に容赦を与えた。」(日本でも一般的にはオスロ合意で和平への道が開かれたと認識されているのと対比されたい)

>批判がどれほど強くともそれを容認する寛容なイスラエル(mojimoji)
どこにそんなイスラエルがあるのですか、示して頂きたい。
逆は示せる。ダボス会議という公的な場でイスラエル大統領はえんえんと自国の正当性を訴えた。そこには国連事務総長がおり、数週間前にはイスラエルが国連現地職員を殺し、当の事務総長から強く批判されたにも関わらず。大統領という国家を代表する者であり、国際関係からしてもともかく批判をかわす為に寛容を装っても不思議はない場面なのに、まったくそんな行動をとらなかった。
この姿のどこが「批判に寛容」なのですか?