zames_makiのブログ

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村上春樹氏のスピーチをなぜ素直に聞かないの?

村上春樹氏のスピーチを頭でっかちに聞くべきではない(2):これは以前にid:hokusyuを批判した以前の記事の続き、または参考として
id:sionsuzukazeのコメント欄に書いたものをとりあえず記載する。

sionsuzukazeという酔っ払いのからトラックバックがあったので返答しておく。はっきり言ってこの酔っ払いの長文を読む価値はないが間違いだけは正しておこう。

最初に全体として私の言いたいのは、
hokusyuもこの酔っ払い(sionsuzukaze)も、プロパガンダパレスチナ問題に関する知識が十分でなく、自分がプロパガンダ(ここではメディアによる情報の偏りをさしている)による「自分の歪んだ認識」を認識できていない。彼らと私との問題(あるいは差異)はそういう彼らの知識不足による間違いであり、政治と文学、あるいは、社会学的観点と哲学的観点の差ではない。



そしてそれが明確なのが
>今更イスラエルという国を消し去ることもできません(sionsuzukaze)
>かといってパレスチナの難民が過去の土地を回復できるわけでもありません
>ここまで来ると最早終わりの無い螺旋階段を上っているような感じになってきます。
パレスチナ問題に関するこうした誤った認識がまさにイスラエルプロパガンダ(情報操作)の結果であるという事だ。この酔っ払いの認識がなぜ間違いかを説明するには相当量の情報が必要だがもし質問があれば答えよう。


(2)以下項目に従って

>「大きな拍手」については貴方の仰るとおりで、−それ(=拍手)以外の対応はイスラエルそのものの寄って立つ正義に疑義を挟むものとなる
 私は拍手をするという事が村上春樹イスラエル批判をあたかも何もなかったように誤魔化す行為だと書いた。会場では実際拍手をせず村上春樹を批判した男性がいたことを毎日新聞は伝えている。だから拍手の有無は簡単に書けば以下だろう
●会場の多くのイスラエル人が拍手をしたのは批判を誤魔化してイスラエルの正義を裏から保護する行為だ。
●会場の一部のイスラエル人が拍手をしなかったのはイスラエルの正義を正面から主張する行為だ。


>それが結果として「最悪のパフォーマンス」となった
 この酔っ払いは「最悪」と呼ぶ理由を書いていない(下記で言及)が、村上春樹のスピーチは(1)世界的に配信される、(2)大統領も同席するイスラエルの公衆の面前で、(3)正面から、(4)イスラエルを批判する、最良のパフォーマンスでしょう。


>理由は、村上春樹その人が極めて文学的人間であるにも関わらず、政治的に振舞おうとしたから
 村上春樹氏は非政治的人間だから、村上春樹氏の政治的行動も全て非政治的だという、結論と理由が結合した同語反復だ、理由になっていない。村上春樹はスピーチでは「普段は文学者としてわざと嘘をついているけど、ここでは真実を話す」とわざわざ述べている。そしてスピーチ内容は、この酔っ払い(sionsuzukaze)も知っている非人道的攻撃であった白リン弾にふれるなど個別的・具体的だった。そうした文脈を理解できず、同語反復に陥っている。マスターベーションもほどほどにしてもらいたい。


>文学はその表出する時代・場所、その他多くの同時代性と連続的歴史性の中に回収されるから
 私はアラブ文学者岡真理氏を引用した。岡真理氏はパレスチナ問題に詳しくイスラエルの攻撃が起きつつある今この時、文学にどういう意味があるか問うている。即ちまさにこの問題に触れて文学の出来ることを書いている。そういうのを勉強してから書いて欲しいものだ。


>当の本人は極めて文学的で、政治的人間になり得なかった
 勇気あるスピーチに対しての酔っ払いの勝手な解釈は村上春樹氏自身が一番迷惑だろう。そしてこうした「頭でっかちな解釈」をするなというのが正に私が書いたことだ。


レヴィ=ストロースの論理は、上記に引用した村上春樹の言葉を木っ端微塵に粉砕するほど強力
 酔っ払い(sionsuzukaze)が昔読んだ本を懐かしむマスターベーションをするのは個人の勝手だが、実際の社会では論理では人間は動かない。それは例えば2005年の小泉劇場が証明している。小泉純一郎は自分の政策に反対した参議院に対し、賛成している衆議院を解散するという恐るべき「政治的・論理的矛盾」を行い、かつその判断を国民に要求し、国民は圧倒的に小泉を支持した。そこで重要だったのは小泉のテレビでの感情的・雰囲気的訴求力の強さであって、解散&選挙の論理性ではなく感情だった。これはほぼ全ての研究者が考えていることだ。
 この酔っ払いがもし広告会社の社員なら、レヴィ=ストロースの論理に基づく広告を作ってみるがいい。本当に馬鹿馬鹿しい。


>あのスピーチの内容がともすれば「微妙」と評されるのは−表現を用いているから
 この酔っ払いはどうしようもない馬鹿だ。私はhokusyuのコメント欄で「普通に聞けば(読めば)」と書いた。スピーチは会場で聞かれるのを前提に書かれた。そしてその会場には数週間前ダボス会議で世界の前で正々堂々とガザ攻撃の正当性を主張したイスラエル大統領もいた。こうした文脈を無視して、ただ「字面」だけを事細かに分析して、自分勝手な結論を出す。まさにマスターベーションもいいところだ。



>日本のメディアはイスラエルのガザ侵攻に−なんら政治的な姿勢を示さない「極めてどうでもいいメディア」
 これはこの酔っ払いの個人的な感想に過ぎない。この酔っ払いが日本のメディアの報道と他国(例えばBBCやF2)を見て比較して書いているとは到底思えない。私はガザ攻撃に関するメディアの様子についてはBBCについて詳しく書いたつもりだ(参照http://d.hatena.ne.jp/zames_maki/20090207#p1)。日本のメディアはガザ攻撃に関してはBBCよりも、より政治的に中立だろう、しかしそれはパレスチナから見れば不十分に思える。そうした政治性からhokusyuやこの酔っ払いのような間違った認識が生まれるのだ。それをプロパガンダとサイードは呼んだのだ。