映画「戦場にかける橋」
<映画「戦場にかける橋」>
(2022年夏の戦争映画)
映画「戦場にかける橋」1957年 アメリカ 見る。
泰緬鉄道を題材にした英国人のプライド回復と威張り散らしの映画だ、戦争中におきた事実との乖離が甚だしい。
この乖離(すなわち嘘)は意図的で底深い作為が感じられる。それが日本および西欧(英国)で戦争映画オールタイムでトップ10に入る有名作であり日本軍の戦争犯罪を描く最も有名な映画がねじ曲がってるのには深い悲しみを覚える。スケール感、俳優、演出など娯楽映画的にはよくできてる、中の中。
泰緬鉄道の歴史的事実については内海愛子教授(歴史学・戦争犯罪)が詳しい、特に最近では泰緬鉄道の建設運用面での技術的事実に着目し新しい事実を立証しつつある、NPA(新時代アジアピースアカデミー)での発表を参照すべきだ。
映画に関しての泰緬鉄道の歴史的事実には3つの見方がある
A歴史的事実
B西欧での受容&認識状況
C日本での認識状況
D映画の示した事実
A~Dは相互にくいちがってる。
A歴史的事実(NPAでの知見を含む)
日本軍は5.5万の英オーストラリア捕虜を鉄道建設に酷使し1.1万人が過労や病気で死んだ。長時間の過酷な労働、劣悪な捕虜収容所、日本軍からのビンタなど殴る行為、食料の少なさ、薬がなく医療がまったくない環境。その為西欧人のプライドは破壊された。
だが建設技術と指導は全て日本軍により行われ建設期間と環境を考えれば非常に優れた指導と結果だった。また10万以上のアジア人労働者(労務者)が雇われその中からより多くの死者が出たが数さえ未確認で、より過酷な目にあった人々がより不明なままだ。
それらの過酷な作業の原因はA415キロを1年で作る短期工事Bそれを更に4か月短縮しようとした過酷な命令C上記に伴う食料他の供給遅れにも関わらず作業を優先させた事にある。日本軍は捕虜の扱いに関するジュネーブ条約を批准していないが準用すると欧米に通告しており、捕虜を保全する意図はあったが、それよりも完成日時に間に合わせなければならない、との上部指揮官からの命令が上回った。急がせる為食料や収容所をまともな状態にする事もできなかった。
B西欧での認識
泰緬鉄道は「死の鉄道」であり「バターン死の行進」と並ぶ日本軍の犯罪性を示す2大事件である。鉄道の目的やビルマへの作戦行動などの歴史事実などどうでもよく、何より捕虜への虐待事件だとの認識。
英豪捕虜の過酷な環境と死はAと同じ。だが原因認識は異なる。日本軍は戦陣訓を大事にし捕虜は尊重すべき物ではないと最初から考えていた為おきた事と説明される。食料や医薬品など物はあったのに捕虜には意図的に供給しないと解説される。
また日本軍は理由なく突如なぐると英豪捕虜は言い、自分たちへの侮蔑と受け取った。これはおそらく日本兵から叱咤があったのに意思の疎通を欠いた結果そう認識したのではないか。また日本軍ではビンタ等は当たり前であったが、英豪捕虜はそれを重大なプライドへの侵害と受けとっている。
C日本人の認識
不明。少なくとも太平洋戦争の大きなテーマとなっていない、原爆や特攻、インパール作戦と比べても取り上げられない。映画公開時の批評家の評判は事実と異なるとよくない。日本社会で注目されておらずこうした事もあった、との漠然な認識になっているのではないか?
D映画の描く事実
英豪捕虜は収容所で住居・食料など普通の暮らしをした。橋の建設は日本軍の技術的未熟さ、指揮能力の拙さで当初遅れたが英がこれを補い建設できた。捕虜の中の病人は英国人軍医の診察をうけて病棟に入り作業を休めた。日本軍が病人を無理に働かせる事はない。また赤十字の慰問品を受け取れた。アジア人労働者はまったく存在しない。
上記のように映画は事実との乖離が甚だしい。
泰緬鉄道での日本軍の戦争犯罪は、戦後すぐに英豪が各地の戦争裁判所で裁いており、映画制作時には制作者は英豪捕虜への虐待を知っていたはずだ。その時点では映画は捕虜虐待を描く物になっていたはずである、
だが早川雪舟の忠告などで製作者は日本政府との紛争を避けるためそれを描くのを止めたと推測される(要調査)。
小山田淳子の分析(http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/handle/11173/667)では映画は基本的に原作に沿っているという。原作者ピエール・ブールは泰緬鉄道建設を体験しておらず1952年に書かれた原作のテーマは何だったのか?だがそこから更にリーン監督は脚本家を変更してまで物語を変えている。(カール・フォアマン→マイケル・ウィルソン)改変事項は日本軍将校を人間らしく描く事であり原作からより事実に近づく事だったろう(要確認)
そこで代わって映画のテーマとして現れたのが英国人のプライドの回復と思われる。捕虜体験者は日本に激しい怒りを吐露しており、それは「アジア人に優越する白人のプライドの傷つき」が大きな原因であろう、彼らは今まで馬鹿にしていた日本人に這いつくばる事を強要され従わざるを得なかったのだ。英国人デビッド・リーン監督や欧米の製作者は泰緬鉄道を映画にする意義に「プライドの回復」を求め、それに従って脚本を書いたと推測する(要調査)。
結果として映画は、英軍が橋の建設技術も兵の統率でも日本軍を上回り指揮を実質日本軍から奪う、という英国人の優秀性を見せつける物語になってる。主題に必要ないアジア人労働者は完全に無視され、プライドを傷つける英豪捕虜の悲惨な収容所生活はカットされ、物語は建設労働にだけ集中してる。
橋が完成してお終いではつまらないので、戦争中におきた橋への攻撃を特殊潜入部隊による攻撃として挿入し、そこで起きる皮肉で物語全体を引き締めた。これがこの映画の成り立ちだろう。
事実にない特殊潜入部隊による攻撃を描くため、後半はでっち上げの娯楽的戦争映画の如くなる。映画はそれをより強調してる。嘘くささ前面に出し全体を皮肉や言外の意味としてとって貰えるよう、監督は工夫したのではないか。巨大な捕虜虐待事件を英国人のプライド賞賛へ捻じ曲げる「ついで」に皮肉に見えるようにする「嘘をつくなら骨まで」である。
その結果この映画の主役は皆自分の当初の意思と矛盾した行動をとる、監督はそれによりこの映画は嘘だと観客に警告してるようだ。
・英指揮官=英国プライドを示す努力のあまり日本軍に代わってかえって優秀な橋を作ってしまう。日本軍でさえできかった将校への労働、病人の労働をやってしまう。更にラストでは英米の橋への攻撃を防ごうとしてしまう。
・米将校=中佐と名乗るが実は二等兵であり女好きで戦争は嫌いだ。しかし成り行きで英国の特殊作戦に加わり、作戦遂行の為に我が身を投げ出す英雄になってしまう。
・日本将校=最初は日本軍は戦闘に勝利し英国に圧倒的に優越していると誇る。だが、期限までの橋の建設の為に英指揮官を許し、最終的には設計や指揮など全てリードを奪われてしまう。映画後半ではほとんど出番がない、完全な主客転倒である。
・捕虜収容所以外でも描写は異常=嘘だらけだ。脱出した米将校は現地のビルマ女に好かれかしづかれハーレムの如き状態だ。ビルマ男はいない設定になっており監督は意図的に女だけをはべらせてる。米将校が訪れる英のスリランカ基地での対日特殊作戦訓練はまるで庭で鬼ごっこをやってるような雰囲気であまりに嘘くさい。基地の作戦室は山稜の風景が一望できる素晴らしい見晴らしでまるで観光施設のようだ。これらは全て意図的演出だろう。
この映画は英国で戦争映画トップ10に入る(https://thependragonsociety.com/channel-4s-100-greatest-war-films-of-all-time/)。事実と異なるこの映画を英、そしてその他西欧人はどう受容し、どう意味づけてるか分析すべきだ。
又日本でも推薦する戦争映画としてトップ10に入る(2015年調査、ミリタリーカルチャー研究、2020、P142)。トップ10中で唯一の50年代に作られた古い作品であり、スペクタクル性や演出感などでは近年大作に劣るはずなのになぜだろうか?どういう意味で受容されてるのだろうか?
監督:デヴィッド・リーン(英国)
製作:サム・スピーゲル
原作:ピエール・ブール(1952年作、泰緬鉄道は体験してない)
脚本:カール・フォアマン→マイケル・ウィルソン
主な人物
アレック・ギネス(ニコルスン隊長)自分の主張を通し日本軍将校と厳しく対立するが勝つ。橋の建設を指揮。爆破を阻止しようとして英兵に殺される。
ウィリアム・ホールデン(シアーズ中佐)米軍将校実は二等兵、収容所から脱走するが爆破作戦の為に不本意だがもどって来る。女好きで看護婦やビルマ女に持てる。爆破遂行の為に死ぬ。
早川雪洲(斎藤大佐)捕虜収容所と建設指揮を兼ねる指揮官。英国留学経験がありスコッチを好む。英指揮官に負けて主客転倒に。爆破の際に死ぬ。
(参照すべき図書:日本語)
〇新しい戦争の寓話--戦場にかける橋(座談会) 松山善三他 映画評論 15(1) 1958.01 p.66~71
〇国際映画のプロデューサー--サム・スピーゲルと「戦場にかける橋」今日出海 芸術新潮 9(2) 1958.02 p.211~215
〇戦場にかける橋 : 泰緬鉄道の栄光と悲劇 クリフォード・キンビグ サンケイ新聞社出版局, 1975
〇「戦場にかける橋」のウソと真実 (岩波ブックレット)永瀬隆 1986.8
〇スクリーンの中に英国が見える 狩野良規 国書刊行会, 2005
:日本軍捕虜収容所における「文明の衝突」//353『戦場にかける橋』、『戦場のメリークリスマス』
〇デイヴィッド・リーンの現代イギリス叙事詩--『戦場にかける橋』試論 小山田淳子 英文学論叢(京都女子大学英文学会) (51) 2007 p.35~50
http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/handle/11173/667
〇『戦場にかける橋』その虚構と史実 泰緬鉄道 中西正紀 歴史群像 18(4) (通号 96) 2009.8 p.96~103