zames_makiのブログ

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私はシベリヤの捕虜だった(1952)シベリア抑留

=USIS出資の反共映画、シベリア抑留者へのソ連の洗脳の恐怖
製作=シュウタグチプロ 配給=東宝 1952.04.03 10巻 2,361m 白黒
製作:シュウ・タグチ 監督:志村敏夫 阿部豊 脚本:沢村勉 田部敏也 音楽:横田昌久 工藤和子
出演:北沢彪 有木山太 重光彰 田中春男 伊藤雄之助 富田仲次郎
原作:宇野宗佑「ダモイ・トウキョウ」(葛城書房、1949年)=Wikipedeiaによる

上映 成蹊大学映画観賞会「映画を通じて知るアジア太平洋の世界」第3回

日時:2013年7月27日(土)
13:30〜16;30
場所・・成蹊大学(JR吉祥寺駅徒歩15分)3号館102教室
無料
主催:成蹊大学アジア太平洋研究センター
http://www.seikei.ac.jp/university/caps/index.html
「私はシベリアの捕虜だった」1952年制作、阿部豊監督、86分 タグチプロダクション 当日は冨田武(抑留研代表、成蹊大教授)の講演も併せ行われる

あらすじ

キャメラマンの藤村、元学生の吉田、元楽士の林、元商人の松本、元炭坑夫の金子の仲の良い戦友五人は、敗戦と共に捕虜となり、シベリアの流刑囚のいた建物に収容され、原始林伐採の強制労働へかり立てられた。寒気と空腹とを堪えながら苦しい作業に、体力の乏しい金子は倒木の下敷となって死に、彼らに同情した炊事係の加賀は私刑を加えられて死んだ。林は脱走を企て、自動小銃の音に追われて広原の果てに姿を消した。帰国「ダモイ」という言葉だけを頼りに、残る三名は新しい収容所へ移されたが、そこには将校に代わって民主委員という独裁的暴力者があって、彼等の生活をいっそう暗くおびやかすのであった。空腹に堪えかねた松本は野草を探して禁制区域へ知らずに立ち入り銃殺された。ある時、捕虜で組織された慰問演芸団がやって来たがその中に乞食のようになった林の姿があったが、便乗主義者の密告で彼が脱走者であることが知られ、トラックで何処かへ連れ去られた。広野に幾度目かの春が来て。残った吉田と藤村とはようやく「ナホトカ」へ運ばれた。そこにも民主グループのけわしい眼が光っていて、彼等に最後まで同意しなかった吉田は、日の丸をかかげた迎えの船を眼前にあとへ残された。幾多の苦難を経た藤村だけが、四名の戦友の暗い運命を想いつつ輸送船のタラップをのぼって行くのだった。