zames_makiのブログ

はてなダイアリーより移行

戦場でワルツを(2008)イスラエル

イスラエル他 90分 アニメ 原題:WALTZ WITH BASHIR(「バシールとワルツを」)
日本公開 2009/11/28(2008年10月東京フィルメックスで上映し受賞)  
監督:アリ・フォルマン 音声:ヘブライ語 字幕:日本語
2009年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート
イスラエル人のアリ・フォルマン監督が、自らも青年時代にイスラエル軍兵士の一人として最前線に身を置いた80年代のレバノン戦争を題材に、戦争の本質を鋭くえぐり出す衝撃のドキュメンタリー・アニメーション。なぜか戦争当時のことを思い出せず最近になって悪夢にうなされるようになったフォルマン監督が、かつての戦友を訪ね歩き、失われた記憶を取り戻していく過程で次第に戦慄の真実へと迫っていく自らの姿を、アニメーションならではの幻想的な映像を織り交ぜ、真摯に語っていく。
公式HP:http://www.waltz-wo.jp/
=監督の仏雑誌への談話と土井氏の評価が全て、それ以上のものはない。勝者のほんの少しの譲渡、ジェスチャー。しかし戦争理解への手がかり
(受賞リスト)
全米批評家協会賞 作品賞 2008年10月
LA批評家協会賞 アニメーション賞
ゴールデン・グローブ 外国語映画賞 2009年1月 
ヨーロッパ映画賞 音楽賞 マックス・リヒター
放送映画批評家協会賞 外国語映画賞
セザール賞 外国映画賞 アリ・フォルマン
2008年10月 東京フィルメックス最優秀作品賞を受賞
2009年2月22日 アカデミー賞外国語映画賞を逃す(受賞したのは「おくりびと」)

アリ・フォルマン監督談(シネマトゥデイ 2009年2月26日)

http://www.cinematoday.jp/page/N0017091
→非常に控えめで問題を提起しない談話、意図的

アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたイスラエル映画戦場でワルツを』について、監督のアリ・フォルマンに話を聞いた。本作は、26匹のどう猛な犬に襲われる悪夢を毎晩見続けるという友人の話を基に、その悪夢を1980年代に従事していたイスラエル軍での経験上のものだと思い、かつての仲間を訪ねる旅に出るという物語。1982年に起きた、レバノン西ベイルートパレスチナ難民キャンプでの大虐殺を監督自身の実体験を基に描いた、ドキュメンタリー・アニメ作品だ。
 製作の過程で、一度ビデオで撮影してから絵コンテを制作したという本作。「まず最初に、レバノンの内戦について1年くらいビデオ・リサーチしながらストーリーを探っていったんだ。リサーチしたものを90分に編集し、それから絵コンテを描き始めてアニメーションにしていったんだよ」と独特な制作プロセスについて語ってくれた。
 受賞は逃したものの、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたことについては「カンヌ国際映画祭で同じことがあったよ。多くの人に受賞するって言われたが、結局は受賞を逃したんだ(笑)。ちなみにイスラエル映画は、外国語映画賞にノミネートされたことはあるが、オスカーを手にしたことはないんだよ」と教えてくれた。
 現在も混沌としているイスラエルパレスチナ間の問題について、本作で主張することはできただろうか? 「残念ながら、この映画で世界が変わるとは思っていないよ。ただ、あなた方の心が動かされ、このことについて学びたいと思わせたならば、わたしの仕事は完了したといえるだろうね。大切なのは、映画を観て知ったことを記憶として保存し、こういった出来事は少なからず阻止できたという認識を持つことなんだよ」とフォルマン監督は、体験した戦争からかみしめてきた重要な意味を伝えてくれた。(取材・文:細木信宏)

アラブの呪いにも関わらずイスラエル反戦映画がオスカーにノミネート(ロイター2009年2月3日)

Israeli anti-war Oscar bid draws Arabs despite ban By Joseph Nasr
http://uk.reuters.com/article/idUKTRE5123V220090203?sp=true
→趣旨:レバノン人はイスラエルがこの事件を映画にしたので驚いた。レバノンの新聞は、この映画は和解ではなく謝罪さえしていない、としている

You can't see "Waltz with Bashir" legally in Lebanon but you can buy copies of the Oscar-nominated Israeli anti-war film in Beirut's Hamra district where director Ari Folman saw his life change 26 years ago.

"It's one of the greatest films I've ever seen," said Lokman Slim, an activist with Lebanon's UMAM organization which aims to preserve the country's memories of war by screening movies related to its decades of bloodshed.

"I feel jealous that those we should consider our enemies have the courage to revisit events in which they were involved, while we Lebanese are in an endless silence regarding our history," Lokman told Reuters in Beirut.

"Waltz with Bashir" -- the title conveys Israel's alliance with Lebanon's Christian leader at the time, Bashir Gemayel -- mixes documentary and animation to depict the trauma of an Israeli invasion 26 years ago to expel Palestinian guerrillas.

The film ends with the massacre of hundreds of Palestinians by Israel's Lebanese Christian allies in the Sabra and Shatila refugee camps of Beirut.

Against a narrative based on buried recollections of former brothers-in-arms, Folman shows war in the nightmarish colors of a comic book -- until the final moments when it shockingly culminates with actual footage of piles of dead bodies.

Some 600 Palestinian women, children and old people in Sabra and Shatila were slaughtered under the light of flares fired over Beirut by Folman's army unit, ordered to help the Christian Phalangist militia secure the camps.

Folman was a 19-year-old conscript at the time. His movie has won a Golden Globe for best foreign language film of 2008 and was nominated last month for an Oscar for 'best foreign film'

BANNED

In Lebanon, "Waltz" is banned under laws that forbid trade with Israel. But there is huge interest, said Monika Borgmann, who acquired a copy from a German distributor and organized a private screening in Beirut in January.

"I invited 30 people but they brought their friends with them and we ended up being around 90," said Borgmann, who heads UMAM. "When the film finished, people were very, very silent and when they went out, some had tears in their eyes."

Pirated DVD copies now sell for $2 each in Beirut's Hamra district, which features in the film as the site of fierce battles between Folman's army unit and Palestinian guerrillas.

Not everyone is pleased by how Folman tells the story.

"It only presents part of the truth, not the whole truth. It is as if the director is saying, 'We (Israelis) did not commit this crime, the Phalangists did,'" said Ziad Moussa, a retired teacher in the West Bank city of Ramallah where "Waltz with Bashir" was screened at the Franco-German cultural center.

But despite his reservations about Folman's depiction of service in Lebanon as an ordeal that left deep psychological scars, Moussa said the film was a "step in the right direction" to healing the bloody past between Israelis and Palestinians.

Azzam Mansour, 30, a librarian at Ramallah's Franco-German center, said more than 200 Palestinians watched the film.

The Sabra and Shatila massacre prompted a world outcry, and in Israel a commission of inquiry found then-defense minister Ariel Sharon indirectly responsible, forcing him to resign.

It said Sharon, who later went on to become prime minister, ignored warnings that the Phalangists would massacre Palestinian refugees to avenge the killing of hundreds of Christian civilians by Palestinian guerrillas in southern Lebanon six years earlier.

Israeli film researcher Raya Morag said Palestinian criticism that "Waltz with Bashir" was one-sided was natural, given that it represented Folman's point of view.

"Every people has its own view and own narrative. It is a totally legitimate claim," she said of Moussa's remarks. "If it were a Palestinian filmmaker, it would have presented the Palestinian point of view."

Israel launched the operation in June 1982 to fend off attacks against its northern towns by Palestinian guerrillas led by late Palestinian President Yasser Arafat, who had turned war-torn Beirut into a base for attacks on Israel.

Israel hoped to end the war and seal a peace treaty with Gemayel. But the plan was sabotaged by Syria, which had Gemayel assassinated on September 14, 1982.

Lebanon's al-Mustaqbal newspaper in December quoted Information Minister Tareq Mitri as saying that the ban was useless because the film was available on the Internet.

But the Lebanese daily A-Safir, which is sympathetic toward Hezbollah guerrillas with whom Israel fought a war in 2006, said "Waltz" was simply an attempt by Folman to "purge his personal memory" of its ugly recollections of the 1982 offensive.

"It did not contribute to seeking reconciliation and forgiveness or even apologizing from the Palestinians and the Lebanese," the paper said.

アリ・フォルマン談「武器との決別」(仏週刊誌 2009年3月)

仏週刊誌Le Nouvel Observateur  2009年3月5-11日号(通巻2313)に掲載
 L'adieu aux armes(武器との決別)
Le Nouvel Observateur 2313 5-11 MARS 2009 (個人による翻訳http://ameblo.jp/cm23671881/entry-10226129495.html)原記事:http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2313/articles/a395935-ladieu_aux_armes.html
→趣旨:この映画は明確に反戦だ。私は暴力を否定する。ガザでの虐殺もひどい。しかし私はイスラエル人であり、この映画は自覚的にイスラエルの視点で作った、だからこの映画に出てくるパレスチナ人は人形にすぎない、パレスチナ視点の映画は パレスチナ人にしか作れないから。同時にこの映画はイスラエル人が言うべき事「我々はパレスチナ人虐殺に責任がある等」は言っていない。私は自分の記憶の問題に限ることでそれを回避した。この映画はやや右翼的な受け取り方をされている。

  • イスラエルの右翼は「オスカーさえ取ればOKだ!、問題ない」
  • イスラエルの大衆は「これは新しい映像表現を楽しむもの、戦争は関係ない」
  • レバノン人は「イスラエル人が真面目に戦争描いた、偉い。でも?」
  • パレスチナ人は「真面目に戦争を描いたのはよい、しかしなぜ責任がない、謝罪さえない」
  • イスラエルの左翼は「パレスチナ人を人として扱っていない、全然駄目だ!」

Le Nouvel Observateur:『バシールとワルツを』で、あなたは若者向けに反戦映画を製作したかった・・・
Ari Folman:実際には、全ての人向けです。多くの青年が、戦争をあたかもアメリカの戦争映画であるかのように見ていると、私は考えます。そこでは登場人物がクールで、かっこよくて、勇敢で自己を確信しています。ジャングルにマリファナを吸いに行き、楽しみ、時に恐怖を経験し、しかし結局グループの精神のおかげで切り抜けるのです。私の映画では、そのようなものは全く見られません。連帯も、友愛も、勇気もありません。ただ単に、ある場所から別の場所へと歩かされ、何が起こっているかを少しも知らない人々のグループがいるだけです。そして知らないからこそ、彼らがそこに送られるのです。恐怖はいたるところにあり、主役たちは自分のいる環境について何も理解していません。彼らにとって全く未知の環境であり、彼らは全てから切り離されたと感じます。私の映画に普遍的なメッセージを与えていることです。

N.O.:あなたの映画は、ベトナムイラクから帰還したアメリカの退役者あるいはアフガニスタンから帰還したロシア人によって作られることができたはずだと、あなたは言われました。しかしツァハルの軍人にとって、レバノンは非常に近い隣国です・・・
A. Folman.:そう、確かにそれは違います。あるアメリカ兵がオクラホマの自宅に帰るとき、イラクから戻るのに6日間かかります。私に関する限り、許可を得たとき、両親の住んでいたハイファに帰るのにヘリコプターでちょうど20分でした。私は20分で戦争から市民生活に移動していました。その移行は非常に難しいので、頭がおかしくなるかもしれません。軍のヘリコプターから降りたら、海岸には可愛い女の子がいて、レバノンの海岸にも似ています。同じ空、同じ海、同じ砂、それは恐るべきことです。マリファナを吸う人々に囲まれて、至る所で音楽が流れています。戦争とともにあることからの移行は非常に暴力的であり、心に傷を残します。

N.O.:1948年以来、イスラエルはほとんど絶え間なく戦争状態にありました。それぞれの戦争にはその兵士の世代があります。レバノン戦争を経験した1982年のあなたの世代と比べて、この冬にガザで戦闘したイスラエルの若い兵士はどの点で異なっているのでしょうか?
A. Folman.:私の世代は、第二次レバノン戦争の期間、2006年に戦った兵士が、我々と同じ村にいたという限りにおいて、より近いように感じていると思います。それは、屈強な敵、ヒズボラに対する闘いのある、本当の戦争でした。私にとって、ガザでは本当の戦争はありませんでした。軍が、抵抗がないのに動く者すべてに銃撃しながらガザに侵入するだけのように見えました。暴力的で破壊的な侵略であり、戦争ではありませんでした。なぜなら、どこにも敵が見えなかったからです。それぞれの世代が異なった仕方で戦争を経験します。しかし全ての戦争は愚かで、恐ろしく、意味を失っています。戦争は破壊し、堕落させます。なぜなら政治指導者には常に新たな紛争をでっち上げる必要があるからです。

N.O.:これから20年の間にガザで戦った若い兵士が『ガザとワルツを』を作ると考えますか?
A. Folman.:恐らく、そうです。彼らがそこでしたことを私は知りませんが、彼らは敵からの発砲を全く受けなかったし、残酷な作戦だったと考えます。この作戦は、イスラエル国民の84%の支持を得て、次の選挙の強迫観念に取りつかれた政治家によって開始されました。アメリカ合衆国で起こっていることを見てください。4ヶ月前、アメリカにはまだ世界がこれまでに見たこともなかった愚かな大統領がいました。偏狭で、不寛容で、反知性的で、危険な。そして今、アメリカには真のビジョンと政治的確信を持った大統領がいます。そのことはあなたが理解できるしそう思うでしょう、これは我々の中の一人だと。彼は理性的で、知的であり、少なくとも事態を動かす可能性があります。全てはリーダーシップにあります。しかしイスラエルでもパレスチナ自治区でも、我々の現在のリーダーは人命を少しも気に留めないかのように無視しています。ハマスを御覧なさい、彼らが高齢者に配慮していると信じますか?彼らは高齢者を人間の盾として利用しています。私の考えでは、世界は二つの陣営に分かれます。非暴力を信じる陣営とそれ以外です。グレーゾーンはありません。あなたが非暴力を信じるとしたら、あなたには次の紛争を阻止する義務があります。今のところ、次の戦争を避けるために大きなことをしようと人々が試みるかどうか、私には確信が持てません。

N.O.:イスラエルの次期選挙の後に右翼への強硬化があることを心配しますか?
A. Folman.:タカ派の復活は私にとって非常に心配です。ネテニヤフは右翼であり、基本的に経済の範囲で思考し、特に金持ちが豊かになるように配慮しています。アメリカ流の新保守主義者です。他方のリーバーマンは、極右の人格障害者です。彼は思想の自由も表現の自由も認めません。精神病者であり、非常に危険です。

N.O.:あなたの映画はイスラエルで路線を動かしましたが?
A. Folman.:私の映画は9本のコピーしかされませんでしたが、12万人の観客を集めました。これらの観客は、アニメーションによるドキュメンタリーという新奇さに興味を持ったのであって、政治的メッセージにはほとんど興味を示しませんでした。ご存知のように、イスラエルでは映画監督は大して重要に見られていません。我々は重きをなしていないのです。これはかなり皮肉なことでもあります。国中が耄碌しつつあります。なぜならゴールデングローブ賞受賞後、マスコミで、誰もが『バシールとワルツを』がオスカーの最優秀外国語映画賞の本命であると確信していたからです。私が子供たちとサッカーの試合を見に行ったとき、本当のファシストで完全に右翼であるファンが、スタジアムで私に叫びました、「我々にオスカー像を持って来い、国にトロフィーを持って来い」と。この映画が完全に反戦的であることに気づきもせずに。彼らが狂ったように無視していることです。

N.O.:アラブ人の観客はあなたの映画にどのように反応しましたか?
A. Folman.:サブラとシャティラSabra et Chatilaで海賊版の上映がありました。犠牲者の家族は私がしたことに敬意を払ってくれました。しかし映画はレバノンでは上映禁止になりました。ヒズボラキリスト教徒も、それが見られることを望まなかったからです。ヨルダン川西岸地区、ラマラーでも上映されました。私の安全を保証できない、誰もこの責任を引き受けたがらないという限りにおいて、私は上映に招待されませんでした。パレスチナの観客は、先験的に好意的でした。私の映画を好みたがっていましたが、レバノンで起こったことにおけるイスラエルの責任を前面に出していなかったとして私を非難しました。私は記憶の問題に集中したのであり、私に期待されていることを言ったのではありません。例えば、「我々はこの国を出鱈目に放り出した、我々はキリスト教徒と恥ずべき同盟をした。」などと。彼らは、私が「我々」よりも「私」という言い方を選ぶこと、個人的な視点を優先することを理解しませんでした。それが彼らには気に入りませんでした。しかし最も容赦ない批判は、この映画を嫌う、イスラエル極左から来ています。極左は映画の中でアラブ人がしゃべらず、単なる身体であることを認めません。そして私は彼らに、自分が偽善を拒否し、映画を決してアラブ人の視点に基づくものにはしない、なぜならアラブ人自身の映画を作るのはアラブ人だからだ、と応えます。私のようなイスラエル人、元兵士で侵略者であった人間が、パレスチナ人にインタビューしに行くこと、歴史のアラブ人による解釈を至る所で叫びに行くことは不可能です。それは恥ずべきことでしょう。そうするのは、そしてサブラとシャティラで起こったことの彼ら自身による解釈を与えて解放を達成するべきなのは、彼らアラブ人です。

N.O.:最近の「ガザ戦争」の際に、「平和陣営」の知識人が行動した方法に対して、あなたはどう反応しますか? A. Folman.:彼らは臆病だということを自ら示しました。私は大いに失望しました。イスラエルの多くの人々のように、知識人は安楽椅子に座ったまま何もしないままでした。私は真剣に非暴力の原則を信じています。彼らはこの道を守ろうとしていた人々を支援するためにそこにいませんでした。ガザで毎日起こっていたことを見る必要があります。子供たちが大規模に殺害されていました。彼らは感情を表に出しませんでした。したがって私は彼らに政治的信頼を寄せることはできません。彼らは何が起こっていたかを知りませんでした。しかしイスラエルという国は非常に右に偏向してしまったために何も見ないふりをしました。彼らは自分の役割を果たしませんでした。それは絶望的なことです。

超映画評90点(岡本太陽 2009年3月1日)

ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞受賞の超話題作! (90点)
http://www.cinemaonline.jp/review/bei/5786.html
→背景知識がないため映画の政治的内容に踏み込めず、幻想的な表現と記憶喪失の点からのみ誉める力のない批評の典型

「アニメ・ドキュメンタリー」という新しいジャンルを定義する映画『戦場でワルツを(原題:WALTZ WITH BASHIR)』はカンヌ映画祭やニューヨーク映画祭で披露され、また第66回ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞に輝く等、現在その話題性は急速に世界に広まっている。
 イスラエル人映画監督アリ・フォルマンによって監督された『戦場でワルツを』は監督自身のメモワール(回想録)であり、歴史を紐解くドキュメンタリー映画だ。本作はリチャード・リンクレイター作『ウェイキング・ライフ』にも似たビジュアルを呈しており、観るものにアニメと現実の狭間の不思議な、トリップでもしている様な感覚を与える。
(中略)
 これは監督にとって事実を知ると同時に、彼自身の心を癒すドキュメンタリー映画でもあり、"記憶を取り戻す事=自分自身を許す"、がフォルマン氏にとって一種のセラピーになっているのだ。今真実を知るという事は自分自身を許す以外、フォルマン監督にとって何を意味するのか。それはわたしたちには分からないが、イスラエル軍がガザに侵攻し虐殺を繰り返している今、この映画は何らかの意味を持つのかもしれない。

2008年東京フィルメックスでの受賞理由(イザベル・レニエ氏)

最優秀作品賞の「バシールとワルツ」は、1980年代初めに起きたレバノン戦争がテーマ。ドキュメンタリーをアニメーションで描く斬新な手法で、大量虐殺の記憶を浮かび上がらせる。受賞理由について、審査員のイザベル・レニエ氏は「新しい映像言語を発明しつつ、観客に強烈なインパクトを与える。幻想的なビジョンを史実と交差させる知性、語りの手法としての音楽の使い方に感心した」と説明した。

土井敏邦氏の評価(2008年12月7日)

http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20081207.html
日々の雑感 127:イスラエル映画バシールとワルツを』を観て
→趣旨:2つの欠けているもの、1=パレスチナ人を自分と同じ人として見る視点、2=なぜ戦闘がおこったのかの経緯・背景・構造・政治

「たとえイスラエルの政策に批判的と思われる映画も、私たちがきちんと伝えようとしている姿勢を見てほしい」。この映画に招待してくれたイスラエル大使館の担当者は私にそう言った。


(中略)実際に参戦したイスラエル兵の等身大の視線からは、あのレバノン侵攻はこういうふうに見えていたのかと、私はこの映画で初めて知った。その兵士たちの深層心理と“心の傷”、さらに祖国の「暗部」を描いたこのイスラエル監督の勇気と志には素直に敬服した(中略)レバノン侵攻とサブラ・シャティーラ虐殺事件を、参戦した当事者である元イスラエル兵自身が、どこまでその問題の本質を描ききれるのか。それこそ、私が一番知りたかったことだった。(中略)たしかにこのアニメ映画では、「イスラエルの暗部」の一部が描かれてはいる。


(中略)だが、この映画には、すっぽりと抜け落ちている部分がある。その1つは、ここで描かれるパレスチナ人、レバノン人には、「バシール」というファランジストの指導者以外、固有名詞も“顔”もないことだ。つまり「敵」であり「テロリスト」であり、せいぜい「虐殺の犠牲となった民間人」というマスなのである。(中略)“顔”のない「敵」「テロリスト」せいぜい「虐殺の犠牲となった民間人」として登場するパレスチナ人やレバノン人は、この映画のテーマである戦争の恐怖と「虐殺を黙認した」加害の自責による元イスラエル兵個々人の“心の傷”を浮かび上がらせ際立たせるための“背後の風景”“舞台装置”でしかないようにも見える。


 欠落の2つ目は、まさに前述した“背景”と“構造”だ。戦車部隊が越境しレバノン領土へ進軍していく象徴的なシーンがある。南レバノンの村々の美しい光景に見とれながら兵士は「まるでピクニックに行くような気分」と語り、鼻歌を歌う。そこには他国へ侵略する軍の一員なのだという自覚は微塵もない。そして突然、銃撃され「被害者」になるのだ。このシーンに限らず、映画で描かれる兵士たちの言動に、「なぜ自分が他国レバノンで闘っているのだ」という自問も、この「戦争」はどういう戦いなのかという問いかけもない。あたかも「テロリスト討伐の正義の戦い」という国家と軍指導部の大義名分が自明のことであるかのように映画は進行する。しかしこのレバノン侵攻の“背景”と“構造”こそ、イスラエルが抱えるもっと根深い“暗部”であるはずなのだ。


(中略)“沈黙を破”ったその将校はこう付け加えたのだ。「でも、ほんとうの犠牲者はパレスチナ人です。自分たちの苦しみは、住む家を破壊されたり殺されていくパレスチナ人たちに比べることはできない」それは、自分が向かい合う相手を“同じ人間”と見る視点であり、その“痛み”に対する“想像力”である。


東京フィルメックスコンペティション」で最優秀作品賞を受賞した。その受賞理由に(中略)、私が言及したような内容についてはまったく触れられてはいない。この映画祭での候補作品の評価にはそういう判断基準はないのだろう。

朝日新聞(2009年11月27日夕刊)

アリ・フォルマン監督に聞く
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イスラエルによる82年のベイルート侵攻にかかわった兵士の記憶をアニメでたどるイスラエル映画戦場でワルツを」が、28日から公開される。一兵卒として自ら作戦にかかわったアリ・フォルマン監督は「兵士を英雄として描いた場面は一度もない」と話した。
「記憶は消え去ったのではなく、私自身が忘れようと決めて消し去った。自分は新しい人生を歩むんだと」
 「下っ端の兵士が戦場で感じる、夢のような感じをだしたかった。戦場にいると、家のことやガールフレンドのことなど夢と現実が交錯する」
「私の個人史や記憶がどうであれ、結末はこういうことだったんだ、と。本当の被害者は兵士ではない」
「この映画を見るのに、中東の政治なんか知らなくてもいい。これは、戦争のおろかさを伝える、とても普遍的な映画だからだ」