zames_makiのブログ

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興味深いイスラエル人

http://keikosato.wordpress.com/2009/06/21/%e7%90%86%e6%83%b3%e3%81%a8%e7%8f%be%e5%ae%9f/#comment-319

イスラエルのガザ虐殺に関しての興味深いイスラエル人の反応

(略)ガザの話しになった。レゲヴの叔父さんが「ガザへの侵攻は、完全なるイスラエルの失策だ。民間人を500人以上殺して、いったい何が変わったのか?事態は一向に好転していないし、状況に何ら変わりはないではないか!」と言えば、レゲヴの叔母さんは「あれは必然だった。今こうして南部にロケットが飛んでこないじゃない。話し合いというけれど、ガザには話し合いをすべき相手はいないわ。ハマスは人間ではないもの」と声を荒げ、レゲヴの24歳の弟は「世界の歴史を見てみろよ、勝者の国がどういう戦争をしてきたか。皆殺しにしなければ、勝てないんだよ」と、語った。


レゲヴの家族たちは全員が左派であり、イツハク・ラビンの時代にはおばあちゃんと叔父さんを筆頭に、ラビン支援の要となって和平への運動をした人々だと聞いている。今でも、ラビンが暗殺された1995年11月4日のステッカーがおじいちゃんの家には貼ってある。そんな家族の中から、「ハマスは人間じゃない」「皆殺ししなければならない」などという言葉を聞くことは、非常に悲しいことであった。なおかつ、叔母さんは小学校の教師であり、子供たちを導く立場の人にも関わらずである。レゲヴの弟はちょうど多感な時を、ラビン暗殺、第2次インティファーダ自爆テロの恐怖の中で成長し、兵役を終えた若者である。部屋の中で極右的な発言をする二人に対して、反論していたのは叔父さんだけで、他の人はただ言葉をなくしてしまっていた。それは、本気としては受け取りがたい発言なので聞き流すということでもあったが、これが、今のイスラエルで主流となりつつある意見であり、左派であったレゲヴの家族の中でさえも露見してきているということに、私は今後のイスラエルを考えられずにはいられなかった。


コメント欄もなかなか興味深い

>24歳の弟は「世界の歴史を見てみろよ、皆殺しにしなければ、勝てない」と、語った。
  ・・・この言葉、興味深いですね。
 しかし、これは明らかに勉強不足のためのひどい間違いですね。その24歳の弟は実は歴史なぞ学んでいないのでしょう。世界の歴史を学べば、土地に根付いた民族の力がいかに強いかを繰り返し確認せざるを得ない。

 (A)世界1の強国アメリカは結局ベトナムに勝てなかった。その24歳の弟は、だから皆殺しにしろといいたいらしいが、1つの国の国民を皆殺しにできたのは、はるかな昔の話で、近代以降それは不可能になった。理由は2つ、
1:1国の国民の数が多く、皆殺しは大変難しい。
2:国際法が非戦闘員の抹殺を禁止している。いまや国際関係なしに国家は成立しえず、もし皆殺しをすれば北朝鮮のような経済的に孤立した、前近代のような哀れな国家にならざるを得ない。


=>従って、ちゃんと歴史を学べば結論はひとつしかない。「イスラエルはけしてパレスチナに勝利できない。イスラエル人はパレスチナ人(アラブ人)と土地を分け合うしかない」と。

おそらくその家族が議論に熱心なのは、その結論が感覚的にはわかっていながら目先の現象では圧倒的に有利で、いかようにも対応ができるように錯覚しているからでしょうね。しかし歴史的にも実際的にも冷静に考えれば長期的にはイスラエルの敗北は決定的です。


(B)もうひとつ、歴史を学んだ日本人なら言えるのは、武力による他国の支配という「力の論理」は、不幸しかもたらさない、という「経験」ですね。64年前日本は武力で他国を支配したがそれはとんでもない間違いだった。そのつけを日本人は手酷く支払わされた。

 戦争体験のある日本人なら、「どんなことがあっても戦争はいけないことだ」とはっきり言える。そういう日本人なら今イスラエルのしていることが、1930年頃の日本と同じだと直感的に言えるでしょう。すなわち武力併合して日本人とした朝鮮人を3等国民とさげすみ、武力で占領した中国人を「チャンコロ」と良心の呵責もなく殺す行為です。それは今のイスラエル国内のアラブ系イスラエル市民への扱いであり、ガザの人々へのイスラエル市民の言い方そのままですね。

戦後の日本は批判すべき点もあるが、少なくともそうした間違いは再びは犯さなかった。それは国民がもうこりごりだと平和を支持したからでしょう。それは自国に多少の不利益があっても「ともかく戦争より平和だ」という強い意識のもたらした結果だったでしょう。
 残念だがイスラエル国民には決定的にそれが欠けている。あまりに偏った武力への信頼、孤立主義国際法の無視、将来展望のなさなど、彼らは1930年頃の日本人と差がないように見える。その行く末が不幸なものでしかない事は日本人には明らかなことだ。


ここのサイトの方は、そうした日本の歴史を、イスラエルの方と一緒に話しあってみたらいいのではありませんか?

映画「レバノン」についてのコメント

http://keikosato.wordpress.com/2009/09/12/%e9%87%91%e7%8d%85%e5%ad%90%e8%b3%9e%e3%80%8c%e3%83%ac%e3%83%90%e3%83%8e%e3%83%b3%e3%80%8d/#comment-320

>(監督は)戦争について、映画という表現を使って何かを感じてもらいたい、と思っている

日本人なら、観客が戦争映画を見て期待されることは「戦争反対」しかないのですが、イスラエル人監督にはそれは期待できないでしょうね。私は未見ですがその点ではまず間違いないでしょう。
 なぜなら、もし明確に戦争に反対するような映画であれば、制作も公開もイスラエル映画としては困難だと思われるからです。その例が表向きはパレスチナ人との融和のふりをしながら、その実は堅固なシオニストアモス・ギタイの映画の経験ですね。彼のような実際にはイスラエルの戦争大賛成の映画でもイスラエル国家の反発は大きかった。
 そして何よりアメリカ映画の経験からしても不可能でしょう(アメリカの反戦映画って思いつきますか?)


この手の映画でできるのは戦場の極度の緊張感(恐怖・悲哀など)を映像にして、その表現の鋭さで評判をとる事であって、結局戦争自体には賛成も反対もしないものです。それがアメリカなど戦勝国の作る戦争映画の今までの結論ですね。ですので映画の評価がどんなに高くとも、監督は結局戦争を自分の功名心に利用しているだけなのではないか?という問いから逃れられないでしょう。

ここで大事なのは、世界の中でも日本の戦争映画は違うことですね。日本はたくさんの戦争映画をつくってきたがほとんどがはっきりした戦争否定の観念で作られている。そしてそれを見てきた日本人もそう考えている。「映画は戦争を否定すべきだ」と。
 この映画のイスラエル兵を太平洋戦争の日本兵に置き換えたとき、日本でどんな評判を得るか?それを考えてみたり、あるいはそうした視点をイスラエル人に提起してみるのが、日本人として一つの責任ではないでしょうか?