zames_makiのブログ

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<満蒙開拓団を扱ったドキュメンタリー>

◇『満州ニュース映画全10巻』1931年〜1945年 
製作:満州映画協会他、計454分、1931年〜1945年 [発売:カムテック、2005年]

◆1933 非常時日本 大毎活映部 →昭和館で視聴可能
 編集:近藤伊予吉・池田永造・開田靖一 指導:水野新幸 …荒木陸将の演説を元に満蒙の重要性を強調し欧米からの侵略を防ぎアジアに平和をもたらすため戦争が必要と説明、ドラマを挟む。ドラマ部菅井一郎他が出演。

 (NHK製作のもの)
◇ある人生「荒地の記録」 1965/04/11 30分 総合テレビ 
秋田県由利郡大内村の佐々木作治さん(55歳)は満州開拓農民時代の記録を綴っている。得意だった絵も入れて、ノートはすでに5冊になった。満州に渡ったのは昭和15年。記録には敗戦直後、ソ連兵に追われる間に3人の子どもを亡くした壮絶な42日間の逃避行が生々しく描かれている。由利郷開拓団の元団員たちは仲間の消息を訪ね、23回忌の準備を始めた。国策だった満州開拓の裏で、大きな犠牲を払った開拓民の戦争体験をたどる。

◇ドキュメンタリー特集「解体〜興安丸の一生〜」 1971/10/03 60分 総合テレビ
戦前から日本―中国間を行き来していた大型客船・興安丸が、その役割を終えて解体された。戦前は関釜連絡船として多くの人を大陸に送り、戦後は開拓団の入植者や釈放された戦犯たちの中国からの引き揚げ船としてフル稼働した。日本へ強制連行された中国人の遺骨を運ぶこともあった。35年間に500万人を運んだという興安丸の波乱に富んだ歴史と、乗船した人々の様々な人生をドキュメントする。

◆ドラマ人間模様「新・夢千代日記」第2回 1984/01/22 45分
煙草屋旅館に泊まっている中国の残留孤児の王永春(せんだみつお)がスミを母親とつきとめ、会ってほしいと呼び出したのだ。戦争中、満州の開拓団にいたスミは、ソ連軍に追われ、集団自決に臨んで長男のノドをかき切っていた。その子が今、自分に会いにきているのだ。

◇初めて戦争を知った鞘U91若者たちの旅第3回「そして少年たちは大陸に渡った 青少年義勇軍の満蒙開拓」 1991年8月3日 NHK総合
出演:篠田正浩、波多野貴男 戦争体験のない若者が戦争体験者を訪ねて体験談や当時の考えを聞くシリーズ、今回は中国残留孤児2世の波多野さんが、当時14才で青少年義勇 軍として満蒙開拓団に参加した長野県伊奈市の伊沢巌さんに聞く。

土曜ドラマ大地の子」 1995/11/18

その時歴史が動いたソ連参戦の衝撃 満蒙開拓民はなぜ取り残された」 2005年8月3日 NHK総合
松平定知 日ソ中立条約を破棄してソ連軍は当時日本の支配下にあった満州に侵攻。日本軍は敗退し、日本人居留民に多数の犠牲者がでた。ソ連対日参戦が引きおこした悲劇を描く。昭和20(1945)年8月9日、ソ連軍は日ソ中立条約を破棄し戦車5000台、兵員157万人の圧倒的戦力で当時日本の支配下にあった満州国(現在の中国東北部)に侵攻した。満州を守備していた日本軍は敗退。100万人を超す日本人居留民が戦闘に巻き込まれ、多数の犠牲者がでた。またこの侵攻は、シベリア抑留や中国残留孤児の問題を生むことになる。さまざまな史料や証言からソ連対日参戦が引きおこした悲劇を描く。

◆NHKスペシャル「満蒙開拓団はこうして送られた」 2006年8月11日 NHK総合
昭和7年に第一次移民が行われた満蒙開拓団。その計画がどのように起案され、どのように実行されたのかを記した関東軍将校の資料が残されていた。計画の全貌を検証する。「満蒙開拓の父」といわれた関東軍将校東宮鉄男の資料の公開が、遺族から許可された。昭和7年に始まった第一次移民から、計画がどのように起案され、実行されたか克明に記されている。それによれば、対ソ戦の防衛軍としての目的が主で武装農民を送ったが、精神的体力的に非常に厳しく、当初から破たんしていた。政府は、そうした実情を国民に知らせず、さらに100万戸計画を推進。終戦時の集団自決や残留孤児などの悲劇を生む。


◇BSドキュメンタリー「満蒙開拓団 ある家族の軌跡」2006年8月19日 NHKBS1
戦前、旧満州に開拓団として渡ったある家族の姿を、当時から現在まで見つめ、日本と中国の間に横たわる重い歳月を描いた番組。
製作:バオネットワーク 後藤和子ディレクター
→MediRで放映

◇証言記録 兵士たちの戦争「満蒙国境 知らされなかった終戦 青森県・陸軍第107師団」2007年8月23日 NHKBSHi
出演:石原良 旧満州中国東北部終戦後も14日間にわたって戦い続けた陸軍第107師団。彼らはなぜ戦い続けなければならなかったのか。元兵士たちの証言でたどる。
満州中国東北部で強大なソビエト軍終戦後も14日間にわたって戦い続けた部隊があった。陸軍第107師団。将兵の多くは東北地方出身の若者たち。青森県弘前市に集められ、満蒙(もう)国境のアルシャンに送られた。8月15日、終戦。しかし、圧倒的な火力と兵力を持つソビエト軍と、絶望的な戦いを続ける107師団に停戦命令は届かなかった。彼らはなぜ戦い続けなければならなかったのか。元兵士たちの証言でたどる。


(その他)
◆世紀の爪跡・太平洋戦争史 公開1967.02.04 配給:松竹 90分 →図[β]
製作:中央映画 ナレーション:?
ビデオ販売:CTA/K.N.CORPORATION (ビデオ題:激動の昭和史・世紀の爪跡)
張作霖爆死事件/満州事変/第一次上海事変/リットン卿調査団/満洲国建国

◇ドキュメンタリー信州の昭和史「満蒙開拓青少年義勇軍」 1975.06.27 54分 製作:信越放送
満蒙開拓青少年義勇軍には、長野県からは全国で最も多い5400人が参加。そのうち、約1400人の少年が大陸の土となった。義勇軍送出の原動力となったといわれる信濃教育会と時代背景に視点をおき、戦時下での少年たちの歴史を検証する。(日本民間放送連盟賞(第23回社会番組部門優秀賞)

◇電撃黒潮隊 死者たちの残像〜満蒙開拓青少年義勇軍〜 2001.05.05 26分 製作:熊本放送
鎮魂の絵を描き続ける一人の画家を通して、満蒙開拓青少年義勇軍とは何だったかを問い直す。熊本在住の画家、宮崎静夫さん(当時73歳)は30年前から「死者のために」と題するシリーズを描いてきた。軍服姿の少年達と骸骨、背後に広がる草原。それは、自らの体験の意味を改めて問い直すものだ。15歳で義勇軍に志願して満州(現在の中国東北部)へ。少年達は普段は農作業、有事には兵士となって闘う。「昭和の白虎隊」とほめそやされたが、現実は悲惨だった。寒気・シラミ・コーリャン飯。酷寒の荒涼たる原野で、少年達の心はすさんでいき、やがて一人の少年が集団リンチで命を落とす。宮崎さんが絵を描く原点は、この事件にあった。

◆映像100年史日本の記録 第6巻 「満州国」に見た夢  →図[β]
 1932年〜1934年(昭和7年昭和9年) 54分 制作:毎日映画社毎日放送 56分×33巻

◆嗚呼満蒙開拓団 2009/6/13 120分 自由工房 →劇場にて視聴
公開:岩波ホール 演出:羽田澄子 製作:工藤充 撮影:相馬健司 ナレーション: 羽田澄子
=2008年度キネマ旬報ベスト10文化映画第1位
中国東北部の方正県に、日本の敗戦の混乱下で亡くなった多くの開拓民の公墓がある。それは中国の故・周恩来総理の指示で建てられた…。日本の近現代史を考え、日中関係を考える、
http://www.jiyu-kobo.com/