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美帆シボ氏のNHK講演「シリーズ記憶を残す〜つるにのって〜」 

NHK視点・論点「シリーズ記憶を残す〜つるにのって〜」2009年08月10日放送 美帆シボ(フランス平和自治体協会)

 皆様、こんにちは。今年は広島と長崎に原爆が投下されて64年目になります。私はフランス人の夫と共に、8月6日に広島で、8月9日には長崎で平和記念式典に参加いたしました。今や、被爆者の平均年齢は70歳を超え、被爆体験を語ることが出来る人の数が年々減少しています。一方、原爆が投下された日さえ知らない日本人が増えています。8月15日の終戦記念日をひかえて、若い世代にどのように戦争の記憶を伝えたら良いのでしょうか。ご参考までに、いくつかの試みについてお話させていただきます。


 私は1982年からフランスで原爆の実相を伝えてきました。その最も大きな理由は、一日だけ預かったフランス人の子供、8歳のニコラが叫んだ言葉にショックを受けたからです。ニコラは私の家の居間で、模型飛行機を片手に戦争ごっこを始め、「だめだ、今度は原爆投下だ!」と叫びました。「戦争に負けそうだから、最後の手段として核兵器を使用する」という戦略が子供の口から飛び出したのです。私は書棚から原爆写真集を取り出すと、ニコラに説明しました。そして、自分の子供が大きくなったら、原爆について語ろうと思ったのです。けれども、核兵器保有するフランスでは、原爆について知識を持っている大人もそれほど多くありませんでした。そこで、日本で制作された原爆写真集やパンフレットを広め、原爆展や被爆者証言、原爆映画の上映運動を行いました。

 フランスでは、このような催し物の後で、必ず討論が行われます。各地で行われる討論会に参加するうち、核兵器の破壊力の強さを知っていても、残留放射能についてはあまり知られていないことに気がつきました。以後、フランスの科学者や医師の協力も得て、原爆に関する本を出版しました。と同時に、子供たちのために、千羽鶴キャンぺーンを行いました。どのようなキャンペーンかと申しますと、原爆のために白血病になり、鶴を折りながら、12歳で亡くなった広島の禎子ちゃんと、「原爆の子の像」を建てた禎子ちゃんの友人たちの話を伝え、鶴の折り方を教えることです。禎子ちゃんは原爆で亡くなったすべての子供の象徴として、「原爆の子の像」を築いた子供たちは平和な世界への希望として、このお話を語るたびに子供だけでなく、大人も熱心に聞いてくれました。このようにして、小学校の子供たちが鶴を折り、平和をテーマにした絵を描いて校内に展示する取り組みも行われるようになりました。けれども、私一人でフランス各地を回ることには限界があります。学校の教師や市の学童保育などで活用できる平和教材が必要だ、と考えました。そして思いついたのが、日本のアニメーションでした。

 1980年代半ばに、フランスのテレビで放映されたアニメの80%以上が日本製で、子供たちに大きな影響を与えました。たとえば、バレーボールのアニメが放映された時に、バレーボール・クラブの登録が三倍に増えたのです。そこで、日本の友人たちに呼びかけ、「世界の子どもに贈るピース・アニメの会」を結成して、制作運動を始めました。そして、1993年に虫プロダクション有原誠治監督によるピース・アニメ「つるにのって」が完成したのです。

 物語は小学校6年生の少女とも子が、原爆について学ぶため、一人で広島の原爆資料館を訪れるシーンから始まります。資料館では投下された原子爆弾の模型や石段に残った人影、さびた三輪車、被爆した少年・少女の衣服、薬の包み紙で折った鶴などがとも子の目を引きました。とも子は原爆の犠牲になった人々に思いを馳せ、事実の重みにうちひしがれてしまいます。そして、資料館を出るとき、家に電話しました。すると、電話に出たとも子のお父さんが、平和公園の「原爆の子の像」を見てごらんと勧めてくれました。その像の前で鶴を折って飛ばすと、地面に落ちそうになった折鶴がふうっと舞い上がって、「原爆の子の像」のてっぺんに触れました。すると不思議な事が起こりました。像の上に立っていた少女が飛び降りて、とも子に話しかけてきたのです。その少女の名前はサダコ。とも子と同じ歳でした。一緒にかけっこをしたり、おしゃべりをしたりして仲良くなると、サダコはとも子を原爆ドームの中に誘います。そこでとも子は1945年8月6日にタイムスリップして、その日、広島に起きたことを目の当たりにします。原爆投下から10年も経ってサダコが病気になって死んだことを知ったとも子は衝撃を受けますが、悲しむとも子を励ましたのは「原爆の像」に寄せられた平和のメッセージでした。とも子は「原爆の像」の上に立つサダコとつるにのって、平和への願いを伝えようと広島から長崎に向かい、さらに世界へと飛んで行きます。ふたりが空からみおろすと、地上には同じように平和を願う人々の群れが見えるのでした。

 この「つるにのって」の日本語版が制作された翌年、私はフランスの吹き替え会社に依頼して、英語版とフランス語版を制作しました。この折、制作会社のマネージャーが作品に感動して、様々なサポートをしてくださいました。また、アメリカ人の吹き替え監督と声優たちは、「このような作品の吹き替えをした事を誇りに思う」と言って、私を励ましてくださいました。

フランスではたくさんの映画祭で上映された他、学校や市民団体が子どもたちの平和教育に活用しています。そして、「つるにのって」の絵本を作ったり、ミュージカルにして上演した子供たちもいます。またカナダのモントリオールの小学校で上映した後、子ども達は自発的にカナダの首相に手紙を書き、「世界から核兵器を無くし、平和な世界を作るために、カナダがイニシアチブを取って欲しい」と訴えました。ピース・アニメ「つるにのって」はビデオ・カセットやDVDによって、少なくとも世界の65ヶ国に寄贈され、上映されました。また、原爆が投下されて60年目にあたる2005年には、NHK国際放送がラジオ・ドラマに制作して、24の言語で世界に発信しました。

子供たちにはただ戦争の映像を見せたり、話したりするのではなく、その後に子供が質問をしたり、自分が感じたことを書いたり、絵に表現したりすることが大切だと思います。かつて、フランスの高校で原爆映画を上映し、被爆者の証言を行った後、高校生たちが議論して、こんなことを言いました。「原爆体験を語る人がいなくなってしまったら、私たちはどうしたらよいのだろう。その日がいつかやって来る。そうだ、私たちが『集団の記憶』となろう。」

確かに、個人の戦争の記憶はその人の死とともに消えてしまいます。けれども、個人の記憶を他の人々が共有すれば、「集団の記憶」として生きる続けることができます。「つるにのって」は世界の子供たちに原爆の記憶を受け継いでもらうために作られました。これからも多くの人にメッセージを伝えて生きたいと思います。