zames_makiのブログ

はてなダイアリーより移行

ネット上の人々への所感

macska
フェミニズムに関心のある学生、しかしそれはネット上でフェミニズムをネタに批判し「バトル」(論争ではなく言い合い)するのに関心があるのであり、実際の活動や問題解決には無関心というより冷笑的だ。雑誌編集に参加したことから専門家を装っているが、慰安婦問題に限らずその分野に関しても実際的な知識は乏しい。上野千鶴子や米山リサとメールでやりとりしていると「装う」など、専門家のフリをするのが楽しくて仕方がない。


最大の欠点は「バトル」に関心があるので自分の間違いを指摘されてもけして認めず居直ること、言葉の上だけで言い繕うのが大変好きだが、その言葉は空虚だ。macskaが問題解決と書いてもそれは単なる演技的な台詞、自分とは遠い場所の概念的な出来事にすぎず、普通の意味を伴っていない。バトルにおいても同様で、他人の言葉を捕らえてどうのこうのダラダラと言い訳を述べるだけで実際的な内容はない。


VAWW-NETジャパンの抗議文に文句を付けた経緯は不明だが、フェミニズム批判への関心、それと矛盾する実際の運動に対する知識のなさ、読売新聞社説などに関する背景知識のなさ、それらに加えて上野千鶴子に啓発されたと思われる運動体への批判的視点(偏見あるいは先入観)、があったと思われる。


macskaはもともと自分の無知を心配してはてなグループ従軍慰安婦問題を論ずる」に書き込んだが、たまたま他の人の支持を得て増長し、かつQ&Aの中で自分の知らない多くの事を教えられ刺激されたのが、最初の動機に加えてなおも妄言を書き続ける大きな動機だと思われる。


その行動全体から思考能力は高くない(いわゆる馬鹿)また以下で述べる「論理バカ」でもある。



「論理バカ」
 ここで言う「論理バカ」とは、発言批評活動の目的を忘れて、ただ目前の「言葉だけ」について、「論理だけ」で正邪・肯定否定を断ずるものを指している。その欠点は、以下のようなものがあげられる

対象となる議論の設定自体が正しいかどうか判断できない(しない)こと


よい例は女性国際戦犯法廷を歪曲して報道したNHKの事件(2001年1月30日放送 ETV2001「シリーズ 戦争をどう裁くか 第2回 問われる戦時性暴力」)について、それを期待権の問題とした最高裁や大手メディアの視点のおかしさを批判できず、それに乗ってしまう危うさだ。これは本来、慰安婦問題について衝撃的なアピールを行った女性団体の言論への、政治介入であり、期待権がどうのと論じても意味はない。


そして2007年の慰安婦問題や沖縄戦「集団自決」」に関する一連の政府や読売新聞など大手メディアを見れば、これら大きな影響力を持つ機関が事件の本来の問題点を隠し、違う論点に持っていこうとしていたことを我々は知っている。それらをきつい言い方で言えば「プロパガンダ」と呼べるかもしれない。であればその目先の話題が、本当にその見えている意味で良いのか、一度発言者個々が自分で確認するのが必要なことが分かる。


「論理バカ」が上記の過ちに気付かないのは、問題全体への知識のなさ、問題への関心の持ち方の誤りから来ていると思われる。また情報の乏しさからネット上で発言する基盤が弱い(言うことが他にない)ことが、ネット上の言葉だけに反応する「論理バカ」を引き起こしていると言えるかも知れない。