zames_makiのブログ

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南京大虐殺を否定した東浩紀・藤田直哉・崎山伸夫には啓蒙が必要だ

はてな会員Apeman氏によると東浩紀は、南京大虐殺があったとは「言わない」、従軍慰安婦(日本軍性奴隷)がいたと考えることは「ストップする」、と言っているようです。出典は、東浩紀ブログ「歴史認識問題についていくつか 」および「リアルのゆくえ」講談社新書、2008)、「思想地図 vol.1 特集ナショナリズム」NHKブックス、 2008)、雑誌「論座」2008年5月号ゼロ年代の言論」。および東工大での東浩紀の授業、(2008/12/5「ポストモダンと情報社会」、ノートを読める)。
これは虐殺はなかったとする剥き出しの否定論ではありませんが、彼らの社会的地位とその論調を見れば内容は実質的には明らかな否定論だと思います。また東の弟子の藤田直哉氏や12/15には崎山伸夫氏も同様なことをそのブログに書いているようです。


私はこうした愚かな人には素直にきちんと情報を与えること、即ち啓蒙が必要だと思います。啓蒙という言葉のもつニュアンスが彼らにはまさにあっていると思うのです。12/1312/14の集会を経て、これについてもっと詳しく書こうと思っていたのですが、とりあえず以下のように(1)はてなグループ従軍慰安婦問題を論じる」と(2)崎山ブログのコメント欄、に書いたので自分の所にもアップしておきます。

東浩紀藤田直哉氏には啓蒙が必要だ−はてなグループ従軍慰安婦問題を論じる」)

http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/6/58

>東さんは自分なりにいろいろ考えてこう発言しているのでしょうね。
>どう対応したらよいのか?

  回答:啓蒙したらいいのではないでしょうか?

実はこれは私の答えではなく、12/13に開かれた南京大虐殺に関する集会で弁護士の尾山宏氏が、平和と和解のために、私たちがすべきこととして提案したことです。尾山氏は啓蒙とは嫌いな言葉だが、私達の周りには善良だがこの事件について何も知らず、結果的に否定論にくみしてしまう人がかなり居ることを指摘し、その方に教えてあげることを参加者に提案したのです。集会とは以下のものです。


南京事件71周年 12・13集会」〜過去と向き合い、東アジアの和解と平和を
2008年12月13日(土)午後2時〜4時半
講演:野中広務氏(元官房長官、元自民党幹事長) 「戦争体験と歴史和解」
対談:笠原十九司氏(歴史学者)×能川元一氏(哲学者)「かつて百人斬りが賞賛された時代があった」
提案:尾山宏氏(弁護士) 「和解と平和のためのこれからの課題」
会場:明治大学リバティータワー3階 1032教室 (JRお茶の水駅徒歩6分)
主催:南京事件12・13集会実行委員会/子どもと教科書全国ネット21


この集会は昨年の南京大虐殺70周年記念国際シンポジウムを受けて、問題解決の促進のために開かれたものです。すなわち昨年のシンポジウムでは、日本政府に対し、和解促進のための活動を要求し、NGOで和解促進委員会をつくるという宣言をした、しかし2008年未だそれはできておらず、政治的状況も変わっていない。
 現在の状況では政治的イニシアチブはすぐには望めない、そこで和解のためには日本のNGOの活動が大事であり、それを促進する上で尾山氏は、上記のようなことを言ったのです。

 これはごく当たり前のことに思います。しかし現に今、メディア露出度の高い東浩紀氏やその弟子らしい藤田直哉氏(「東浩紀「歴史問題についていくつか」擁護してみた」http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20081208/1228726052)に対し、啓蒙は行われていないようですね。特に藤田直哉氏については「はてな」で活動し、コメント欄も書き込める状態なのに・・・。


 ブックマークなどで東氏や藤田氏に反駁をしている方は多い、しかし藤田氏に「教えて」あげた人はいないように見える。「教える」とはひどく当たり前で簡単に聞こえます。しかし実際には知識や勇気や根気のいる結構大変なことで、その為なかなか「教える」にならないように思えます。更に世間では著名人と言われ、自分で知識人*1と自惚れている東氏や藤田氏に「啓蒙」するのは気後れしている人が多いのではないでしょうか?

 でも私には面白く感じます。なぜなら「啓蒙」という行為を通して、世間では有名な方・知識人でも、実はこの件に関しては多くの「はてな」会員以下の知識しかもたぬ「啓蒙される存在」である事がはっきりしてしまうから。「啓蒙」という言葉自体が、正しく知識の豊富な存在(私たち)が、遅れた存在(東・藤田氏)を導く場合に使う言葉だからです。ネット上の無名の存在である私から見てこんな愉快な事はありません。


そして、何より本当に日本の平和とアジア諸国との関係和解による繁栄を望むなら、勇気を出して「教えてあげる」ことが、日本にとって必要だと思うからです。


(不用意に書いたら藤田氏ブログにTBしちゃったので判りやすいよう少しだけ書き足しました。12/15)

東浩紀を支持した崎山はすぐに撤回すべきだ−崎山伸夫ブログコメント欄12/15)

「今般の東浩紀の言説をめぐる騒動で断固として東氏を私は支持する」(http://blog.sakichan.org/ja/2008/12/14/on_attacks_against_hiroki_azuma#comments

こんにちわ、私は慰安婦問題に関して発言してきたものです。さて、貴殿のブログですが、即刻撤回すべきだと思いますよ。「絶対真実」はどうか知りませんが、南京大虐殺についての「常識的な真実」は既に定まっています。それらの真面目な議論の経緯自体が既に研究者により成書としてまとまっています。
 あなたはそれを知らないで南京大虐殺を題材に「絶対真実」云々と書いているようだが、それは「地球は丸いか否か」を論じているようなもので、ほとんどの大人はあなたのそうした意見そのもを無視するでしょう。あなたの書いている事はそうした馬鹿げた事です。


 もし「絶対真実があるか?」について意見を書いてまともな読者を得たいなら、もっとあやふやなもの、例えば「神は存在するか」などを題材にするべきです。今の状態では、あなたの提起したい議論以前に、あなた自身が常識のない人間、従ってまともな思考能力のない人間として、ほとんどの大人から分別され、歴史さえをまともに論じられない人間が馬鹿な事を書いていると思うでしょう。


おそらく、あなたは南京大虐殺自体については関心もなく、それがあろうとなかろうとどうでもいいのでしょう。しかし日本と中国の社会はあなたのそうした態度を許しませんよ。
 私が12/14(http://d.hatena.ne.jp/zames_maki/20081214)見聞きした南京大虐殺の生存者(黄恵珍さん)は60年以上もその被害を他人に話せず(つまり認めてもらえず)ひどい苦しみを感じていた、何年も経ちやっと話せるようになったがそれでも今も苦しみは続いているという。又中国社会は今も「発言者が誰であろうと」(!)、日本からの否定論に厳しい目を注いでいます。
 あなたは机上の空論が好きなようで現実の社会を理解できないのかもしれないが、この事件は個人にとっても国家にとっても、それほど大きな問題なのです。そして日本と中国の社会がこうした悲惨な事件の「常識的な真実」を受け止め、分かちあうことが和解と平和の前提なのは、その「場」にいれば直感的にわかることです。


 私は東氏が問題のブログを書いた理由は、「南京大虐殺はあったとは言えない」と書いた方が、先端的に見える・目立つ・あるいは右派の論者に注目してもらえる、という非常に「打算的な動機」だと推測しています
 なぜなら、大学など対面でまともな情報交換のできる場にある人間なら、意見交換で「南京大虐殺はあった」とすぐに納得するし当然その前提で物を考えると、自分の学術的な経験に照らして思うからです。あなたには東のような醜い根性に倣ってほしくないのです。g

 私は南京大虐殺にはそう詳しくないが、こうした歴史認識に関する議論には詳しいと自認しています。あなたが私のコメントに納得できないなら、学会でのトンデモ発表がどう扱われるかなど、いくらでも答えてあげますよ。

あなたの書いたものは愚かしい恥ずべきものです、反省し撤回すべきです。

(追記)
この記事を読む人のために、そして東浩紀を批判する人はアホな左翼だと思っているらしい藤田さんを啓蒙するために書いておきます。
 私の政治的立場は穏健な保守、今の政治状況に沿って言えばえだの幸男氏がその講演会で主張している「ような」事ですね。それは経済原理主義新自由主義を批判して再分配による国民全体の幸福増進を望むもの。日本の過去の歴史を真摯に受け止め軍事力が紛争解決に重要な要素であることを認めた上で憲法9条を堅持し、絶対平和主義に近い立場で外交による紛争解決を推進するものです。今日の天木直人ブログで天木氏が絶賛しているように私も湯浅誠氏を支持します。湯浅氏は「難しそうな顔をして財政の危機を語る政治家に、私たちは一瞬もひるむことなく、この命、この生活を守れないならば、あんたは政治家失格だから退場しなさい」と書いた、私も倣って書きたい
難しそうな顔をして机上の空論を語る知識人に、私たちは一瞬もひるむことなく、和解によるこの平和、人権を尊重するという普遍的な正義を守れないならば、あんたは知識人失格だから退場しなさい」と。
 湯浅氏の立つ基盤はどうしようもないリアルさでしょう、東浩紀など机上の空論の中で活動してきた人にはそうしたリアルさは口で言ってもやはり理解できていないように見える。そういった様相が啓蒙という言葉が必要な理由でもありましょう。

*1:本当の知識人とは何か、東のやっている事は知識人と言えるのか?私は「知識人とは何か」エドワード・W. サイード平凡社ライブラリー)を思い出しました。amazonの紹介文ですみませんが、これだけでも東や崎山が知識人ではないとすぐ判るでしょう。「知識人とは−知識、批判、議論を自己目的化してはならないという論点(を重んずる者)。常にマイノリティーの立場に立ちながら、その集団に属することなく、むしろマイノリティーを選別する境界線の存在を否定していく(ような人)」「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である」・・・・・『知識、批判、議論を自己目的化してはならない』東浩紀はこれをよくかみ締めるべきだろう