zames_makiのブログ

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歴史修正主義と闘うNHKプロデューサー

NHKスペシャル日中戦争〜なぜ戦争は拡大したのか」「日本国憲法誕生」など優れたドキュメンタリー番組を生み出してきたNHK塩田純氏(現役プロデューサー)。
 私のつけたタイトルは少々宣伝のしすぎだが塩田氏は現代史を鋭く見つめ、あまり知られていない歴史の事実を正面から描く非常によい番組をたくさん作っている。以下は2009年3月29日原宿で開かれた放送を語る会での塩田純氏の講演から、主に南京大虐殺を扱ったNHKスペシャル日中戦争〜なぜ戦争は拡大したのか」についてだけ記す。


 NHKスペシャル「日中戦争〜なぜ戦争は拡大したのか」は2006年8月13日放送された、タイトルは日中戦争だが最初から南京大虐殺南京事件)を主題に制作している。タイトルや番組紹介文に南京大虐殺が触れられていないのは、その方が企画が通りやすいためと、南京大虐殺の事件の詳細よりなぜそれが起きたかという全体の構造こそを描くべきだという、塩田氏の視点のためだという。


 この番組で塩田氏は南京大虐殺否定論者(歴史修正主義者)から激しい批判が来るのを予想し、否定論者の攻撃を許さないよう論理の組み立て・明確な事実根拠の提示、全て1次資料での構成など、非常にきちんとした番組つくりを目指した。南京大虐殺の存在を示すのに、単純に証言に頼らず、日本軍の方針から始めて、従軍日記などの批判に耐える資料を細かく積み上げてその構造を説明している。文書の内容で重視しているのは、当時日本が国際法を守る方針であったことを示す事で、番組ではハーグ不戦条約?の天皇の御璽(!)のある日本語原本を撮影している。これは南京大虐殺否定論者(歴史修正主義者)から、当時は捕虜を殺しても戦争犯罪ではないなどの抗議がくるのを想定したためであり、塩田氏はそうした否定論者の著書もリスク管理のため一通り目を通したという。


 この企画は10年ほど前に提案したが通らず、再び提案して通したもの。1年前から準備し中国、ドイツ、アメリカなど4人のディレクターに分担させて取材・製作している。番組では元日本兵の証言者2人を登場させ、民間人も便衣兵として区別なく殺したことなどを証言している。この2人は塩田氏らが新たに見つけ出した方で、既に知られている方からは意図的に聞かなかったという。なぜなら証言を得る上での扱い方でも否定論者(歴史修正主義者)から攻撃される可能性があると把握していたからだという。同時に被害者である夏淑琴さんにも取材を行ったが、最終的に番組で使用する事は見送った。なぜなら当時夏さんは否定論者(歴史修正主義者)の歴史学者である東中野修道氏から南京大虐殺の被害者ではないとされており、その点で夏さんは名誉毀損での訴訟中であったから。即ち番組で夏さんを登場させるのは、裁判中の当事者の一方の言い分をNHKが支持することになり、否定論者(歴史修正主義者)から攻撃される可能性があると判断したためだという。


 編集の終わった番組はNHKの上司に見せたが特別な反応はなく、ほとんど手直しもなくそのまま放送された。視聴率は8%、好評で3回の再放送を行い合計15%程度の視聴率(視聴人口)を得たという。またテレビ関係の賞を受賞し*1、大学などで教材として使用したりしている。学生の反応もよいという。放送後にはやはり批判の電話やメールもきたようで、多かったのはやはり当時は捕虜を殺すのは違法ではないとするものだった。塩田氏はこれらに細かく回答している(ご苦労様です)。


 塩田氏は現代史に関心が高く、これ以外にも、憲法改悪をはかろうとしていた安倍首相などにとっては大変な問題作であった「日本国憲法誕生」や、従来単純に被害者であると認識されてきた戦犯にその加害性を問うた「シリーズBC級戦犯」など、タブー破りとも言える秀作ドキュメンタリーをたくさん制作している。NHKにはこれは制作できないのだというタブーはないという、確かに正面から南京大虐殺をテーマとするのは難しかったが、きちんとした事実根拠にもとずいた公正な番組なら、何でも制作が可能な事に自信を持っている様子であり担当しているETV特集などでこれからもこうした番組を制作していきたいと具体的に語っていた。


(感想)
塩田氏は明るく前向きで明快、NHKにもこんな素晴らしい人がいるのだと実感させてくれる。NHKは2001年、従軍慰安婦問題で安倍晋三からの番組への政治介入を自ら許し、ETV2001「戦争をどう裁くか・問われる戦時性暴力」では従軍慰安婦問題を捻じ曲げる作品を放送し、大変な問題となり今もBPO放送倫理・番組向上機構)(http://www.bpo.gr.jp/)でその番組の公正さについて審理が行われる予定がある。そうしたNHKでも多くの素晴らしい歴史ドキュメンタリーを制作してきたのが不思議だったが、塩田氏らがNHKにおり活動しているからと納得できた。


 私たち市井の者は「南京大虐殺をしっかり説明しろ」「従軍慰安婦を見せろ」と簡単に言いがちだが、日本人全てからの評価と批判にさらされる放送当事者の苦労と配慮、特にこうした強い批判者の存在が明確な問題は、大変扱いにくい事がよく納得できた。


 ただ奇妙なことに番組への私の記憶は薄い。番組では南京大虐殺は後半30分で扱われているが、自分の記憶では日中戦争の成り行きに関心があり、南京大虐殺が出てきたときには逆に戸惑ったように覚えている。これは南京大虐殺否定論者(歴史修正主義者)への批判で有名なはてな会員」Apeman氏の感想(2006年08月14日)でも同様であまり高く評価していない。これはこの問題に関心の高い者にとっては、番組がどれだけ厳しく日本軍の蛮行を批判するか、映像など新しい物を見せてくれるかに関心があり、南京大虐殺否定論者(歴史修正主義者)との対峙を余儀なくされ、一分の隙も許されない番組製作者と目的が異なるためだろう。


 最後に塩田氏は番組がよければ「よかった」「再放送してほしい」などの視聴者の声が欲しいと述べていた。現在塩田氏の制作しているETV特集は再放送は基本的に行わないが、100件程度の再放送を求める声(電話でもメールでも)があれば検討されるという。市井の人間はただ傍目で言いの悪いのと勝手な感想をつぶやくだけでなく、その声を届けることが大事だと気づかされた次第である。

*1:2007年度「ニューヨーク・フェスティバル」歴史社会番組部門・銅賞、2007年度「放送人グランプリ」グランプリ、2007年度「放送文化基金賞」テレビドキュメンタリー番組部門・番組賞