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シンポジウム「歴史和解のために」【第2部討論】

【第2部討論】「何が私たちにできるのか」

外岡
どうもありがとうございました。
具体的な教科書づくり、どうやって記述しているのかも含めて、大変興味深いお話でした。とりわけ、単なる2国間で通用するだけではなくて、国家の内部に移民を抱えている社会の中で、そのいわば第三者にも通用するような価値、これが大事だというお話を伺って、そこまで来ているのかと、今驚きを感じたところです。
ただ、ドイツと日本と、あるいは、東アジアを比較する場合に留意しなくちゃいけない相違点が2つあると思うんですね。
1つは、先ほど北岡先生がおっしゃった、冷戦体制が終わるまで東アジアではその対話の道が閉ざされていたという点がヨーロッパとは決定的に違う。今のお話を伺っても、戦後すぐに、つまり西ドイツとフランスが戦後ヨーロッパの要であると、共通の利害を持っているということで、そこがEU(欧州連合)の出発点だったわけですから、そことの違いがかなり大きかった、これが1つですね。
もう1つは、日本は台湾、朝鮮、満州と植民地の歴史を持っているということです。これもドイツとは違うと思います。つまり、戦争と植民地と、二重の歴史を東アジアは持っている。ところが、これについて、戦争が終わった途端にそれを少なくとも日本は忘れてしまった、あるいは、忘れたことも忘れてしまったというふうに指摘する人もいます。ここが大きな違いだろうと思います。これは多分、第2部で朴さんをはじめとする方々がご指摘になる点だろうかと思います。
そこで、これからパネリストの方に10分ずつお話をいただくんですが、そのときにちょっとお願いがあります。今、教科書、ジモーネさんのお話で中心的な話題になりましたが、教科書制度というのは4つの国、地域で違う扱いを受けていると思うんですね。日本でも検定制度がありますけれども、それが最近になって大きく変わっているということがなかなか共通理解として伝わっていない面もありますので、ここでご発言なさるときに、簡単に今の教科書の仕組みといいますか、検定はどうなっているのか、それは国定なのか、それは採択する場合はどうなっているのかということを簡単にご説明していただけたらなと思います。これは三谷さん、君島さん、周さん、それから、鄭さん、それから、歩平さん、それぞれ数分程度で結構ですので、教科書はこうなっていますということを簡単にご説明いただきたいと思います。
それでは、まず三谷さんからお願いします。
三谷
この制度の問題は多分オーディエンスの方々はよくご存じで、外国の方々もかなりご存じで、あんまり制度の説明は必要じゃないんじゃないかと僕は思うんですけど。
それで、レシッヒさんに対しては、今年6月にカリフォルニア大学(UC)サンタバーバラ校の先生たちが中心になってつくった本ができるはずで、英語で私が教科書制度の解説はしていますので……。
外岡
わかりました。
三谷
そちらをごらんいただければ済むと思うんですね。
それで、まず私が申し上げたいのは、ドイツ・フランス、ドイツ・ポーランド、ヨーロッパがうらやましいなと。我々はどれほど不利なところから出発しているんだろうと思います。それで、その主たる原因はやはり政治からきていて、よくそのおかげで韓国や中国や、それから、北米でもヨーロッパの方々でも、ドイツはよくやったけれども日本はだめだというふうに頭から言われる。私は長い間ずっとこれを聞かされておりまして、情けない。
だけど、ドイツは立派だけど日本はだめだというのはほんとは一面では間違っている。というのは、日本が植民地支配、それから、戦争をやって負けて、その後、日本人は、私も親からよく聞かされましたけども、とにかく戦争なんて二度とするもんじゃないということを聞いて育っていて、それでいまだに日本は第2次大戦後60年ぐらいたってまだ一度も戦争したことがないわけですね。そういう国はおそらく世界でもかなり少ないと思います。
それが如実な反省の証拠であり、もう1つは、教科書に関して見ても、家永裁判をはじめとして、教科書の内容を民間の学者がきちっと平和教育が可能なように努力してきたという歴史があるわけですね。それを知らないで、日本人は全然だめだというふうなイメージが世界に流布しているのは、ほんとにそういう努力をなさってきた方々に対する侮辱ではないか、と私は思っています。
その上で申し上げますが、もう1つ、非常にネガティブな発想で話を始めます。それは教科書はほんとうに大事なのかという問題です。私は自分で教科書を書いていますし、それは良い教科書にしたいと努力していますが、いま我々が抱えている、日本人が抱えている歴史記憶の問題というのは教科書が中心にあるのではないと思っています。
その中心にあるのは日本の成人、大人がかつて日本が植民地支配をし、さらに侵略戦争をしたという記憶を持っていない。で、先ほど言いましたように、二度と戦争するもんじゃないと教えられて育ってはいるんだけれども、その時代に日本人が何を隣の人々にしたかということを語ってこなかったし、それについてはあやふやな知識しかないということですね。つまり、レシッヒさんがおっしゃったように、視点を変えて考えるという頭の動かし方ができていないということです。ここが一番大きなポイントですね。加害の記憶、あるいは、被害者たちの立場に対する視線がなかったという、この記憶の空白の問題というのは非常に大きい。
そうすると、それを解決するためにまず必要なのは、子供のための教科書をつくることじゃないんです。問題を起こしているのは、今の政治家をはじめとする成人なんですね。だから、その日本の成人には、歴史について学ぼうという気のある人はかなりいるんですが、それに対してまともな、大人が読んでおもしろくて、ああ、そういうことだったのかと納得してもらえるような本を、しかも、一国史ではなくて、東アジア全域を視野におさめるような本をつくらないといけない。
それで、僕は、ここにも何人か仲間が来ていらっしゃいますが、一緒に協力して、今、「大人のための近現代史」というシリーズをつくり始めているわけです。これは東アジアと言っていますけれども、主要な国としては日本、朝鮮、中国ですが、しかし、それだけだと実はグローバルな視点から見ると不十分です。我々が東アジアと言うと、すぐ何をやるかといいますと、アメリカを排除するわけですね。しかし、それ以上に排除されてくるのはロシアなんですよ。
私もこの近現代史のシリーズをつくっていて痛感したのは、日本人の中にロシアから見たこの近現代史を書ける人がいないということです。それで、仕方ないのでアメリカの先生に頼んで書いていただいた。ロシア抜きの東アジア近代史なんてないし、それから、歴史的事実を言えば、日本でいえば明治のころからもう日本人と中国人がけんかするとすぐロシア人を悪者にして排除し、そうやって仲直りをしようという意識的な努力をしてきたこともあるんです、厳然とした史実として。
ですから、東アジア3国だけでやりましょうというタイプの地域史は無効でして、ロシアなど西洋の視点もをしっかり組み込まないと、ほんとの意味でグローバルに考えないと、いい歴史は書けないんですね。それをまず申し上げておきます。


三谷博氏
もう1つ、レシッヒさんのお話を伺っていてうらやましいなと思ったのは、やっぱり政府と知識人が協力できるということです。ところが、日本の場合はもうずっと戦後、敵対関係を続けてきたし、私みたいな政府に盾突く気は全然ない人間でも、「ああ、うちのおやじは困ったな」と、仕方ないから首相を批判せざるを得ないという、そういう立場に追い込まれてしまう。そんな状態ですから、政府の力を使ってとかは、ちょっといま無理だよと。仕方ないから民間で全部やっちまうしかないというのがもう現状ですね。これはやっぱり差異としてよく考えていただければありがたいなと思います。
あと、日本の中に記憶の問題、歴史教育の問題というふうに問題が浮かんできたときに、慰安婦にしても侵略戦争にしても植民地支配にしても、すぐ教科書の問題にするというくせがありますね。これは歴史的に家永三郎先生の裁判というのがあって、これが非常に強い記憶として残っているから自然にそう考えてしまうわけです。それは一方の問題としてあります。
しかし、他方では、はっきり言って韓国や中国の場合、韓国はつい最近までと限定したほうがいいと思いますが、教科書の記述内容というものは政府の歴史観の表明されたものであると受けとめる。日本の現在はそんなものではないんですね。我々教科書を実際つくっている人間は、政府の意向に沿ってというようなことはあんまり考えてなくて、独立の歴史学者としてこういうふうに書いたらいいだろうと思って書いているんですね。大枠は設定されているけど、中身はかなり自由であると。したがって、教科書会社ごとにかなり内容が違っているはずなんです。幅は実は少なくても違っている。
それで、中国や韓国の場合は教科書に書いてあるものが正史というか正しい歴史であって、それをめぐってどうしよう、こうしようという議論をやるというふうになっているんだけど、日本ではそうできない。もうこれは執筆者が自分の良心に従って、これはこっちのほうがよい歴史であろうと思って書いているだけだということですね。したがって、この3国の間で話が通ずるためにはかなりの長い年月がかかるだろうというのが現実であります。
それから、レシッヒさんのお話で非常に共感するところがあります。それは国民史というものには限界がある、それをよくわかってなきゃいけない、ということです。これから先、我が国は、我が国はというようなことばかりを大人が語り、あるいは、子供に教えるということでは、はっきり言って日本だけの利益をとって考えてみると、日本が孤立して世界から友人を失ってしまうという可能性は十分あるので、それはまずいよと。よくそれを考えましょう、という点は私も同意です。
ただし、国民史という枠を、じゃあ、取っ払えばいいのかというと、そうもいかないんですね。というのは、デモクラシーという政治制度はあるところに居住している人たちが長期的視野を持って協力して法律をつくり、慣習をつくり、それを守っていくという必要がある。そうすると、どうしてもそこに長期滞在している人相互の団結心というものが必要になる。そうすると、ナショナルの枠というのは決して抜けないわけです。
そこには欠陥も、もちろんあります。例えば国内の少数派を無視しがちで、例えば在日の人々は歴史から排除されているわけです。どこにも教科書に記述がない。そういうふうに少数派を排除する歴史というのはおかしい。また、国民史と国民史は衝突しがちで、例えば今の中国と韓国が高句麗とか渤海の歴史をめぐって争っていますね。そういうふうに国民史には大きな限界があるわけです。
日本の場合、どうしても申し上げておきたいのは、近代日本のナショナリズムには非常によい面と悪い面があるということです。明治維新とその後を含めて、おそらく政治的理由で日本人同士が殺し合った数というのは3万人前後だと思います。西南戦争が終わった後、実は僕、勘定してみたんですけど、500人ぐらいしかいないんですね。これは世界の近代国家でものすごく少ない数なんですよ。
それに対して、日本人は外国人とみなした人々に対してはおそらく1,000万人以上、殺しているでしょう。極端な差がある。ナショナリズムのいい面と悪い面とをほんとに日本の近代史というのは体現していると思いますね。
その場合に、じゃあ、どこに問題があったのかというと、日本人とそれ以外は全然違う存在であるという思い込みが問題なので、僕自身はそれを克服するために東アジアの地域史をつくっていると、さっき申しました。もう1つ根本的なところから考えたいのは、我々日本人は外国人の名前を覚えるときに西洋系の名前は覚えやすいわけです。ところが、韓国人や中国人の名前というのはほとんど覚えられない。何度聞いても頭へ入らない。何でこの差異が出てくるのか。それは、子供のときから西洋の翻訳ものを読んでいるから、その人々の名前は割合なじんでいるんですが、隣国の物語は読んだことがない。これは全く日本と韓国と中国、同じです。全部同じです。西洋人の名前は覚えやすいけれども、隣の国の人間の名前は全然覚えられない。
これを崩していく必要が僕はあると思うんです。一番効き目があるのは、アニメとかテレビとか漫画とか大衆文化が一番いいんですが、しかし、学校教育でも、例えば小学校の国語の教科書、各国の国語の教科書に隣の国の少年少女が主人公の物語を入れて、隣の国の子供たちだって我々と同じだよというふうに自然に考えさせて、そして、その名前も覚えやすくするというような、そういうこともやっていいんじゃないか。だから、歴史の教科書よりもっと基本的なところから出発してはどうだろうか、というふうに考えます。
ちょっと長くなりましたが。
外岡
ありがとうございます。
非常に興味深いご提言をいただきました。
それでは、鄭在貞さん、「韓日歴史共同研究の推進」というテーマでお話をお願いします。
●日韓で共通教材作成、和解の希望捨てるな

私は第1部で、この20年ほど韓日歴史対話に参加してきたという話を申し上げました。これからこのことを軸にして幾つかの問題提起をしてみたいと思っています。
私の活動は主に2つに分かれます。1つは民間次元での歴史共通教材の開発、もう1つは政府支援の歴史共同研究に携わったことです。
まず、韓日歴史共通教材の開発について申し上げたいと思います。
私が勤めているソウル市立大学とここに参加している君島和彦さんが勤める東京学芸大学は去年の3月1日に『韓日交流の歴史』という本を同時出版しました。我々が10年かけて一生懸命やってきた大がかりなプロジェクトがようやく実を結んだということです。これを韓国と日本のマスコミと世論では非常に高く評価しました。特に韓国では大手の新聞と放送が社説を書くとか解説をするとか、韓日の相互理解を深めるのに何らかの影響を与えたと思っています。


鄭在貞氏
我々の本が持っている特徴、ほかの作業で見られない長所を幾つか挙げますと次のようなことです。
第1は、韓国と日本の歴史研究者、歴史教育者が共通の歴史認識を実現したということです。もちろん、我々も両国の歴史認識の違いが非常に大きいということをよく知っています。しかしながら、我々は目標として共通の歴史認識を追求し、合意した内容を基礎にしてこの本をつくりました。
第2は、韓日交流の歴史を1つの教科書みたいな形で、学生たちが使いやすい教材として編纂したことです。我々は歴史教材としての独自性を持ちながらも、両国の歴史研究の水準ということも最大限採り入れることに努力しました。
第3は、韓国と日本の関係の歴史を先史時代から現代まで取り扱ったということ。我々はほかの教材では見られない、1つの通史を目指したということなんですね。やっぱり相互理解ということは歴史全体をわからなければ無理だという、そのような考え方を我々は持っています。
第4は、我々の通史ということは、ある意味では古代から現代までのあらゆる特徴を持っていますけど、それをなるべくトピック別ではなくて1つの通史として叙述してその全体像を探るという、そのようなことにもあったと思います。
第5として、我々は我々の本が必ずしも共通教材の模範だとは言えない幾つかの欠点もあるから、これからも積極的に新しい研究成果を採り入れて修正しながら、ほかの人々がやる作業も採り入れるという、そのような開かれた考え方を持っているということです。
我々の本についての評価の中ではこんなことが言えます。1つは、両方の学者がある節とか章を区別して初めは書いたけれど、それをみんなが集まって何回も繰り返し読みながら補ったということで、まさにこれは共同作業ということです。それと、なるべくそれは自国史の限界を乗り越える、脱皮して、複眼で歴史を見るという、そういうことがあります。つまり、東アジアの中での韓国と日本の関係ということをいつも考えながら、この本を書いたということですね。それと、我々は目指す目標としてまさに未来の共生、共栄ということを考えながら、過去のものを取り扱ったということなんです。
このようなことができたのは、ただ単に歴史研究とか歴史教育の共同作業だけじゃなくて、大学同士の学生の交流ということがいつもその支えになったということを1つ付け加えたいと思います。10年の間に、両校を留学したり、歴史巡検に参加した学生たちが延べ100人を超えます。彼らが通訳とか翻訳を手伝ったということは、韓国と日本の若者の交流という点から見ても非常に大きな役割を果たしたと私は思っています。
普通は韓国と日本ではヨーロッパの歴史対話、さっき基調報告で紹介されたドイツとポーランドとかドイツとフランスの歴史対話、あるいは歴史教科書編纂をうらやましく思う雰囲気があります。確かに、彼らから学ぶべきことは多いのですが、私は必ずしも一方的なものではない、我々もそれに匹敵することをやったんだという、そのような自信を持っています。これからはやっぱり東アジアでもそのような共同作業が可能だということを発信する、そのような時期になったんじゃないかなという、そのような誇りを持っています。
次に申し上げたいことは、韓国と日本の歴史共同研究についてです。
政府が支援するこの委員会は2005年の5月かな、第1期目の委員会の活動をまとめた膨大な報告書を提出しました。古代から現代までを3つの分科会に分けて活動していたものです。その成果についての批判も随分多いことをよく知ってますけど、委員会に参加した私から見ると、その質はともかく、3年の間に50本ぐらいの論文を生産したという、お互いに議論し合うテーマを持って、観点のはっきりした違いということも出しながら共同研究を成し遂げたということは初めてですから、まあ、成功したんじゃないかなと私は評価しております。
この委員会がつくられた背景としては、ご存じのとおり、2001年に日本でいわゆる新しい歴史教科書が出て、それによってお互いに歴史紛争みたいなことが起きて、それを乗り越える1つの方法として政府レベルでそのような委員会をつくったんですけど、さっき我々がやった民間レベルのこととは違う点で、やっぱりやるべきことはやらなければならないということを覚えた感じがあります。
しかし、これは初めての政府支援の委員会ですから、今考えてみると幾つかの課題みたいなこともあるんじゃないかと思っています。
第1に考えられることは、やっぱり委員たちが自分が国を代表するような、そのような雰囲気みたいなことがたびたびあって、ものすごく厳しい対立みたいな、批判と牽制があったということです。今考えると、そんな必要なかったんじゃないかと思うんだけど、とにかくそのようなことが随分あったということなんですね。
2番目に言えることは、欲張りみたいなことがあって、あまりに多いテーマを選定して、委員の数をはるかに超える論文を出したと、それはあまりよくなかったんじゃないかということなんですね。
3つ目は、この委員会ができたこともやっぱり日本の教科書問題からですね。しかしながら、両国の教科書の制度とか世論の違いなんかを非常に気にして、教科書とか歴史教育なんかには触れないということからやったものだから、歴史教科書と歴史教育を相互理解するのには不十分だったということなんですね。
4つ目として言えることは、生産された結果、それを広く知らせることがちょっと足りなかったということです。インターネットを通じて公開し、また本を作って配布したんですが、一般人に販売するものじゃないですから、限られた人だけに知らせる結果になりました。そのため、共同研究の成果がよくわからない。だから、これからは共同活動の成果を広く知らせることが大事じゃないかなと思っています。
今、2期目の委員会ができ上がって半分ぐらい過ぎたんですが、2期目の委員会は第1期目の委員会のことを教訓にして、もっといい成果を出せるように頑張るしかないんじゃないかという、そのような考え方を持っています。
今まで申し上げた私の経験から、国同士の歴史対話、民間とか政府レベルを問わず、そこに臨む人々の態度、姿勢について4つぐらい述べて終わらせていただきます。
1つは、やっぱり歴史対話の重要性みたいなことを自覚して、研究と討論にまじめに臨むということが大事なことなんですね。参加者の中には半分遊びみたいな人もいるんです。それはちょっと困るんじゃないかなと。
第2番目としては、対話に参加する人々相互に信頼と尊敬の心を持つことが大事だと。しかし、これは韓国、日本の間には委員の選抜の違いからしてそのようなことが育たない面がある。だから、委員同士でお互いに弱点を追及するような、そのようなことが繰り返された。それはよくないと。だから、委員の選定ということは大事なことです。
3番目は、厳然たる事実とか健全な批判とか解釈、歴史認識の相違ですね、それはお互いに積極的に採り入れるような開かれた態度を持つという、それも大事なことなんですね。国を代表するようなある正史があって、それを自分が背負っているような振る舞いをする人もいるんだけど、あれはあり得ないことかもしれません。我々はもともと研究者、教育者同士ですから、新しい資料と研究および見解に開かれた態度が要るんだと思います。
4つ目は、きょうのテーマでもあるように、歴史和解ということは非常に難しいけど、それはできるんだという期待、希望ということを捨てないことなんですね。参加する人々の中には、初めからそんなことはあり得ないということを前提にして参加する人がいるんです。例えば歴史認識の共有とは国と民族を超えてはあるはずがないんだと、和解もできないんだと。いや、そうでもないんですね。なぜならば、我々はもうそのような仕事をやったじゃないですか、歴史認識を共有した本もつくったんです。
これから東アジアの未来を考えるときは、やっぱり歴史和解ということが非常に大事であることがわかりましたから、それについての期待、希望を捨てないことがこのような活動に参加する人々には重要であるということを最後に申し上げたいと思います。
以上です。


君島和彦
●共通教材読んだ学生、韓国のイメージ変わる
外岡
どうもありがとうございました。
それでは、今のご発言を受けて、君島先生、お願いします。
君島
私に要求されたことは、今、鄭先生から紹介があった『日韓交流の歴史』をつくったことについてなんですが、重複しないような話をしたいと思います。
最初に、司会者のほうから教科書制度のことを少しと言われましたので、ちょっとだけ発言させてください。
日本の教科書は小学校から中学校、高等学校まで全部検定制度が実施されています。ですから、時々問題になる歴史の教科書だけが検定の対象なのではなくて、あらゆる教科書について検定が行われているということが1つです。
それから、もう1つですが、先ほど三谷先生は発言の中で、日本の教科書は執筆者の独自性、執筆者が自由に書いているのだと言われました。それは一面では正解ですが、その基準になる学習指導要領があるということ、それから、その学習指導要領に基づいて検定が行われて、その指導要領に合わないという理由で不合格になる教科書が現在でもあるということですね。
それともう1つは、例えば歴史の教科書ですと、最近は検定意見の付く数は大変減りましたが、政府の見解と異なるところには必ず意見が付くんですね。そこは学習指導要領に合わせないと不合格になるというのが現代でも続いている。そういう意味では、非常に重要なところで検定が力を持っているということだけは付け加えておきたいと思います。
私たちは『日韓歴史共通教材 日韓交流の歴史 先史から現代まで』という本を去年の3月に出しましたが、その本について30人ほどの大学1年生にレポートを書いてもらいました。去年の夏です。本を読んでもらって、こちらが設定した幾つかの設問に答えてもらうという形でレポートを書いてもらいました。その30人ほどのレポートの結果について少し報告をしてみたいと思います。
まず1番目の問題は、日本の高校生が日韓交流の歴史をどのぐらい勉強しているかということです。日本の高等学校では世界史が必修です。そうしていない学校もたくさんあったようですが、必修です。さらに、日本史と地理のどちらかを学ぶことになっています。世界史の中には当然、韓国の歴史も含まれているわけですが、学生のレポートを見ると、高校時代に世界史も日本史も学んだという学生でも、韓国の歴史はほとんど学んでいないと書かれています。教科書でもあまり扱われていなくて、比重が軽いと学生は発言しています。
したがって、先史時代から現代までを含んでいる私たちの本『日韓交流の歴史』を読んで、初めて韓国の歴史に触れたというレポートがたくさんありました。日本と韓国が古代から現代まで深い関係にあったことを認識して、ほんとうに隣国だったんだと思ったとか、交流の歴史を初めて知って、その新鮮さや驚きをレポートに書いて、ほんとうに勉強になったと答えていました。つまり、私たちの本は先史時代から現代までを扱いましたが、そのことの意義は大変大きかったと思っています。
それから、2番目には『日韓交流の歴史』の構成についての学生のレポートです。この本は日本と韓国の歴史の共通認識を追求したものです。したがって、双方の歴史を知っていることは重要な要件です。そのために私たちは本の各章の冒頭に「このころの日本」、「このころの韓国」という双方の簡単な歴史を置いています。
これについて、双方の通史的叙述を読むことによって、みずからの考え方の軸を両方に置くことができるようになった、それを背景にして交流史を考えることができて非常に効果的だった、というレポートがたくさんありました。短い文章で「このころの日本」を書くのに私たちは大変苦労したのですが、効果があったと思っています。
それから、先史時代から現代までを扱ったことについても、日韓の交流史のうち近現代史だけが大きく取り上げられるので、そこだけが問題かと思っていたら、はるか昔から双方の政治や社会を始めとして、経済、文化など多くの交流があったことを知ることができて非常に興味深かったという意見や、日本と韓国が歴史的に見て、切っても切れない関係にあったことを改めて知ったという意見もありました。
このような感想はかなりの学生のもので、高等学校できちんと学んでいないこともあって、大学生にはかなり効果的だったように思います。
それから、この本は日韓で共同作業した成果ですが、日本と韓国のどちらの立場で書かれているかについて、どちらかに傾斜しているのではないかと思って読んだのだが、日韓双方を対等に扱い、中立的だったという評価をかなりの学生から受けました。我々が長い時間をかけて自由な討論を積み重ねて、原稿の修正を何度も双方の参加者で繰り返した結果、中立的な叙述になったのだと思っています。したがって、認識もどちらかに偏るのではなくて、中立的な立場の叙述になったのではないかと思います。学生は素直に読んでいるように思いました。
また、教材として重要な地図や図表、写真などもたくさん取り上げましたけれど、それについても歓迎している意見が多かったです。さらに、叙述の難解さについても全体的に見て大学生、高校生にとっては理解可能なものではないかというレポートもありました。
それから、3番目ですが、『日韓交流の歴史』を読んだ素朴な感想を少し紹介しようと思います。
近代史は日本の侵略の歴史が大きな位置を占めます。しかし、『日韓交流の歴史』では侵略の事実を強調するだけではなく、それ以上に韓国人の独立運動に大きな比重を割いています。それは日本人にはよく知られていないことですが、韓国人や韓国の歴史教科書などでは大変よく知られて強調されていることです。日本と韓国の歴史の共通認識を追求するときに、相互に事実を知り合うことは大変重要です。
しかし、学生のレポートを見ると、独立運動に関する言及が非常に少ないといえます。日本の高校の教科書では植民地時代になると、独立運動が継続していた、という抽象的な記述だけで、具体的に独立運動の実態は書かれていないわけです。したがって、学生は全く初めて学ぶ韓国の独立運動の歴史に戸惑って理解できなかったのではないだろうかと思いました。
他方、『日韓交流の歴史』では、近代史を侵略と抵抗という2項対立でとらえるのではなく、在朝日本人や在日朝鮮人、さらに、知識人の相互の日本理解とか朝鮮理解などについて記述して、多様なあり方を重視しました。このことに関連して、吉野作造とか石橋湛山とか柳宗悦とか浅川巧などの人物を取り上げて書いているのですが、それについて学生は、一般の日本人が朝鮮人差別意識を持っていたときに、そういう蔑視した考えを持たず、朝鮮人を理解した人々がいたということを初めて知ったとか、そういう事実を知って安心したなどという、なかなかおもしろい感想が書いてありました。
他方、侵略の実態を記述したところを読んで、日本の動き、日本の侵略の動きを肯定しようとしている気持ちが自分の中にあったということを正直に書いている学生もいました。近代の日韓関係に対する学生の認識は極めて複雑で、心の葛藤と戦いながら『日韓交流の歴史』を読んでいることがわかりました。


平氏
このような気持ちにさせる『日韓交流の歴史』は、学生の気持ちに揺さぶりをかける力があって、彼らの歴史認識に働きかける力を持っていたと思います。
それを踏まえて、今後のあり方についてですが、『日韓交流の歴史』を評価するときに、この本を読んだ日本人学生の韓国イメージに変化が出たかどうかは重要なところだと思います。この本を読んで、韓国の歴史、日韓交流の歴史についてよく知らなかった学生に大きな変化があったと言えそうです。高校までの歴史教育で得た知識、認識、それ以外にマスコミなどで得たイメージが大きく変わったというレポートがたくさんありました。また、明確にイメージが変わったとは書いていなくても、そのように受け取れるレポートはたくさんありました。
その内容は、古代から日本が外交をリードしてきたと思っていたが、全時代を通して見ると、お互いにきちんと主張して外交をしていたことがわかったという意見とか、韓国は日本に併合されたりする弱い国だと思っていたが、植民地下でも立派な国家としてあり続け、決して弱小とは言えないというイメージを持つようになったという意見もありました。学生の多くの意見はプラスのイメージに転換したと思います。
また、反日デモ反日感情を強調した報道などの影響によって偏った韓国観を持ってしまったが、植民地時代の歴史などを知れば、韓国人が反日感情を抱いたり抗議したりするのは当然だと思ったという意見もありました。
また、今後の歴史和解に対して何をすべきかについても意見がありました。過去を忘れてこれから仲良くしましょうというのではうまくいくはずがない、まず日本がその事実を認めて謝罪すべきだという意見もありました。
また、日本人と韓国人は互いの歴史について誇張やあいまいさのないしっかりとした史実を知って、その上で日本が間違っていたところには誠意を持って謝罪を行い、韓国側はきちんとそれを受けとめることが必要だという意見もありました。双方が話し合うためには、日本が非を認めたら韓国はそれを受けとめることが必要だという意見です。
『日韓交流の歴史』は、日本と韓国は長い交流の中で敵対したり友好的な関係になったりしながら現在に至ったのであり、日本と韓国は兄弟のような国なのだというイメージを抱かせました。共通認識に至る努力の結果がこのような認識を持たせたのだろうと思います。
何をすべきかについて、『日韓交流の歴史』を読んで、初めて日韓交流の歴史を学んだ学生の考えには限界があることも事実です。ここでは日本政府の対応への批判などは書かれておりませんし、政治家の妄言に関する言及もありません。さらに、私はこうするという自らの行動提起もありません。したがって、これでは問題は一向に解決しないという批判は簡単です。
しかし、日本の歴史教育の不十分さもあって、韓国に対する認識は決して良好ではなく、韓国への反感を持っていた学生が、この本を読むことによって歴史を学び、これまでの韓国に対する認識を変化させ、歴史の学習の重要さを認識し、まずは日本が謝罪し、韓国がそれを受け入れる必要を訴え、さらに、韓国と日本は兄弟のような国なのだという認識に到達した点は重視したいと思います。一歩一歩の成長を見ることなしに、未来志向的な考えは出てこないのではないかと考えます。
司会者のほうから何か提案をしてくださいということを先ほど言われましたので、1つだけ。山室さんの報告にもありましたが、韓国では東アジア史という教科ができて2012年から高等学校で教えることになっています。その東アジア史の教科書がどうなるかについての試案、討議の資料が韓国ではつくられています。その資料をつい最近入手することができました。同じような東アジア史という教科を日本とか中国でつくってみたら面白いだろう。当面は別々なものをつくって、それを後でお互いに持ち寄って検討し合うことによって、東アジアで共通の東アジア史というような教科書がつくれれば、非常に面白いと思います。
韓国の資料を見てみますと、先ほど三谷先生から話のあったロシアの問題も、つまり北方の問題も非常に重視されていますし、それから、中国の南側にあるベトナムについても言及しています。その辺を含めて、広く東アジアととらえているようです。韓国の試みを日本でも学んで、最初から東アジア史という教科書を作るのが難しかったら、まず東アジア史という教材をつくってみることをぜひ提案したいと思います。
外岡
ありがとうございました。
今、お2人から日韓についての交流の歴史についてのご報告がありました。日中でも2006年10月の安倍・胡錦濤会談の後、この試みが始まっており、今、大詰めになっています。その座長を務めていらっしゃる歩平さん、そして、続いて、北岡先生と、ご発言をお願いしたいと思います。
歩平
先ほどレシッヒ所長から、興味深いお話を伺いました。
そこで、異なる国家間の人々の間で戦争に関する未来志向の歴史認識を形成することは可能かという問題を考えなければならないと思います。
歴史学者として最も重要な任務は、単に問題を指摘するだけではなく、問題を解決する方法を探ることにあります。ドイツの歴史研究者が歴史問題を解決する方法と経験も重要です。
とりあえず、中国の教科書の制度について。実は中国側では今はもう国定教科書ではないですね。86年から日本と同じように教科書の検定制度になりました。中央政府と省、中国の省は日本の県と同じレベルですね、中央、省の政府に2つの検定委員会があります。もちろん、今の検定制度の問題でもありますね。先ほど出席者は日中の間、政府レベルの歴史共同研究の問題を紹介してくださいと言いました。もちろん、この問題を説明しなければならないんですが、その前にとりあえず自分が参加した民間の中日韓の3国の間の歴史共同研究の問題を少し紹介したいと思います。
実は、2001年から毎年、中国、日本と韓国の研究者、市民団体によって、歴史認識と東アジアの平和フォーラムが開かれています。そのフォーラムが東アジアの地域共同体を志向する観点から、お互いの歴史認識歴史教育の点検をする学術討論会です。2002年から3カ国の中学生、高校生など若者に、歴史認識を共有する第一歩となるよう、副教材をつくろうという決議を出しました。その結果は、3国の共通歴史副教材委員会が組織されました。12回の会議を経て、2005年の5月、『未来を開く歴史−東アジア三国の近現代史』という本が3カ国同時で発売されました。
この副教材は自国史中心の歴史を超越して、国境を越えて、積み重ねられた議論や交流のプロセスで、共通の歴史を記述する努力の第一歩です。この本の中では、もちろん侵略と抵抗の問題を説明するだけでなく、3国の対立と協調の問題、文化面の相互影響の問題を書きました。
学生さんの反応ですね。先ほど君島先生の話した学生さんの反応と大体一緒ですね。そのフォーラムのとき、毎年、青少年の参加もあります。その本に対していろんな反応もあります。
この努力は歴史事実を共有する実験だと考えます。もちろん、この本にはいろんな問題もあります。3カ国の学者は、近代以降の東アジアの歴史問題、展開する多くの問題については、かなり多くの異なる認識を持っています。現在、3カ国の学者は努力を続けて、この本の修正をしています。新しい本を編纂することを希望しています。これは民間分野での努力ですね。
もう1つは、2006年12月から日中両国の政府の合意によって、双方の有識者それぞれ10名を構成員とする歴史共同研究委員会を設置しました。2006年12月の26、27日、北京で第1回全体会合、去年の3月19から20日、東京で第2回目の全体会合、今年の1月、北京で第3回の全体会合を開催しました。その間にいろんな分科会も開きました。次回の全体会合は大体今年の6月下旬、または7月上旬に予定しています。私と北岡先生の任務は重いという感慨があります。


北岡伸一
今回の日中の共同歴史研究に対して、みんな極めて大きな期待を持っています。しかし、たくさんの方がその結果に対する義務も負っています。私はその共同研究の結果に対する判断は3つの面から理解することができると思っています。
第1は、冷静的かつ安静な環境をつくるという重要な問題です。ですから、自らの思考を整理して、相手の意見を聞いて、その第1段階の基礎とすべきです。第2は、相手の意見に対して研究を進め、相手と討論を展開することです。討論して、お互いに影響を受けるかもしれませんね。第3に、双方の見解と認識を再整理する過程ですね。その間、もちろんずれもあるでしょう。しかし、よく討論すれば、お互いに理解ができたら、認識の共有もできるでしょう。ですから、その後は、共同研究の報告書を提出できます。
これまでの3回の全体会議を踏まえて、第1点の作業は既に開始されました。効果が既に表れました。第2の作業、研究はまさに進行中であり、第3の点の作業はまさに進行しようとしている。最初の1点の作業の結果については、まさに期待されることがあります。これが今までの歴史共同研究の状況です。
私は最初、1回目の会議のときは相互理解を中日歴史共同研究の過程で一番重要な原則と強調しました。歴史認識の差異は実は各国の国家にも存在しています。同じ国の内部に地域、利益、感情などの多くの要素がありますから、いろんな歴史認識のずれもあります。もちろん、国と国の間はもっと重いと考えます。
私は、中日間の民間の共同研究にも、今回の中日の政府間の共同研究にもみんな参加しました。その自分の体験に基づいて、幾つかの問題点を指摘したいと思います。
1つは、冷静で静かな環境のことです。このような環境をつくることは歴史研究者、マスコミ、メディア、特に政治家の責任です。2番目は、相互理解の原則。相互理解は重要ですが、その全体は未来を志向し、人権を重視するヒューマニズムの立場です。相手の立場、相手の思想を真剣に研究しなければならないと思います。先ほども話した被害と加害の両方の立場ですね。3番目に、歴史認識を共有するという目標と信念です。
私は、この歴史認識の共有に向かって自信を持って一歩一歩進みます。
外岡
どうもありがとうございます。それでは北岡先生、お願いします。
北岡
最初に三谷さんから、ドイツ・フランス、ドイツ・ポーランドに比べてうらやましいという話があったんですけども、私は一面同意もするんですが、そう思わないところもある。
すなわち、ドイツがやったのはホロコーストという数百万人の人を意図的、計画的に抹殺しようとしたすごいことなんですよね。それだと、そういう計画であるがゆえに、その関与した人間の特定も比較的容易でありますし、これに対して真摯な謝罪、そして、個人補償をしておるのは確かでありますけども、それとやっぱり戦争の責任とは少し違うと思うんです、かなり違うと思います。
それから、ドイツとポーランドの和解も、私はほんとうに進み出したのは体制が変わってからだと思いますね。しかも、それ以前から始まったというのは驚くべきことではありますが、しかし、ポーランドは歴史的にやはりロシアから虐げられたという記憶を持っているわけですね。それが1つの核にあったと思うわけです。
ドイツはさておいて、ヨーロッパ全体が、じゃあ、我々より進んでいるかというと、私は必ずしもそう思わないですね。ドイツについて、ギュンター・グラスのような著明な人のナチ関係コネクションが最近までわからなかったとか、フランスにおけるビシー政府関係者の責任追及というのはまだそんなに進んでいるとは思いません。ですから、これは本来、非常に難しいことだということを私は申し上げているわけです。
さて、ヨーロッパ全体について言いますと、スペインの南アメリカへの進出で文明が滅びてしまったわけですよね。彼らは言葉をなくしてしまったわけです。インカ帝国が滅びたのは江戸時代の話です。それから、アフリカの今多くの混乱はなぜ起こっているか。それは英仏の植民地支配から起こっているわけですね。最もひどい支配はどこだろうか。多分、ベルギーのコンゴ支配だろうと思いますけれども、コンゴに行ったら、インフラはない、学校はない、病院もない。こうした、いまだにずっと尾を引いてる、ある意味の原罪ですよね、罪というのはなかなか消えるものじゃない。
私は日本がよかったということを言うつもりは全くありませんが、しかし、現に東アジアでは幸いにして、日本の侵略にもかかわらず、中国は今もう発展して韓国も発展してそれぞれのアイデンティティを維持し得たということは、私は結果から見ればよかったなと、ヨーロッパのほうが深い原罪を負っているのではないかという気がいたします。
さて、我々は何をしているかということなんですけれども、この出発点は安倍・胡錦濤両首脳会談でありました。2006年10月でした。このときに、2つの重要なブレークスルーがあったんですね。1つは、平和的発展が重要だということの合意です。つまり、中国は日本の戦後の平和的発展を評価する。そして、日本も中国の平和的発展を期待するという、双方に平和的発展が大事だという合意がありました。それは歴史の文脈に持ってくると、戦後の日中関係には評価できるところがいろいろあるという意味なんです。
かつて、私は日中21世紀委員会の委員をしておりましたけれども、いつも歴史問題というと30年代、1931年から45年、主として、戦争の歴史だけなんです。だから、戦後のことは議論することをほとんど拒絶していたんです、中国側の委員は。それを超えて、歴史にはひどいところもあるし、肯定的なところもあると。両方をみんな見ていきましょうというのがこのインプリケーションなんです、安倍・胡錦濤合意の第1点。
もう1つは、アジアに貢献する、あるいは、世界に貢献する日中関係日中関係というのは日中だけで考えるにはあまりに重要過ぎる。非常に大きな影響を持つので、その2つは世界的なインプリケーションも議論すべきだ。これも実は1990年代には日中21世紀委員会ではタブーでありました。我々はアジアに何ができるか、あるいは、世界との関係を議論しようと。いやいや、これは2国間関係の会議だからといって議論しなかったんですね。それを超えるようになった。そのコンテクストの中でこの歴史研究をやろうということになったわけです。
私は、責任ある専門家はこういう対話に臨むべきだというのは日韓のときも主張して、たまたま小泉さんがそういうのをやろうかといって、それができて、2002年に、そして、鄭在貞さんも一緒にこれに加わったわけなんですけども、その反省もある程度踏まえながら、日中のほうのプログラムを組んでいきました。合意したように、古代もやるし、現代もやると。しかし、重要なのは第2巻の近代の方なんです。
大体、第1部、第2部、第3部と分けまして、満州事変より前と、それから、日本の降伏の前後で1部、2部、3部と分けて、そして、それぞれ大体時代順に分けまして、それぞれの時代をカバーする一般的な歴史を書こうと。1つの章を日本側、中国側、それぞれ論文を1本ずつ書きましょうと。字数を決めて、かつ、すれ違いにならないように必ず触れるべきトピックを決めまして、1つの章に10個ぐらい、あるいは、もっとあります。
お互い、言いっ放しにならないように対応するように書いて、そして、お互いのコメントに耳を傾けて修正すべきは修正する。意見の違うところは討議の要旨といいますかサマリー・オブ・ディスカッションという格好でくっつけるという一種のパラレルヒストリー、並行的な歴史というものを目指しているわけです。


周婉窈氏
(パワーポイントのデータを)2ページに動かしてください。第2巻第3部を出してください。次、お願いします。
大体、第3部第2章までは時代順なんですけど、第3章だけ今日的な歴史認識歴史教育の問題に触れているわけです。
そういう格好でやっているんですけども、私は日韓もなかなかいい仕事をしたと思うんですよ。鄭さんと同じ意見なんです。ただ、かなり特殊なテーマもあったんですよね。例えば、植民地統治時代における日本の百貨店の進出とか。これは学問的にはとてもおもしろいテーマなんですけれども、広く読まれて理解されるにはやや特殊なテーマであった。それを避けて、一般的な歴史、その結果、はっきり言えば、突っ込みは浅いです。例えば第1章のこれを日本側、中国側がそれぞれ漢字でいうと2万字ぐらいで書くんですけど、そんなの簡単に書けるわけないんです。だから、これはあっさりしているんで、そして、それをさらにより深める議論を第2期、第3期と私は続けていただきたいと思っています。
歩平さんが言われたとおり、議論は非常に冷静、かつ、学術的といってよいと思います。私はさすが中国は大国だなと思いますね。大人の国で、それで、戦勝国ですから余裕があるんでしょうかね、もう淡々と耳を、時々エキサイトするときもないわけではありませんが、相対的に淡々と議論は進んでいるということです。
ただ、我々の仕事が決して容易でないのは、実はさっき言いました平和的発展主義、平和的発展を重視するという胡錦濤さんの立場なんですけども、これに同感する、戦後の日本の平和的発展を評価しますかという某新聞社の世論調査によれば、イエスと答えているのは中国で25%です。評価しないというのは67%あるんですよね。ですから、まだまだ難しい。
これを未来志向で徐々に氷を解かしていこうというのは、イニシアチブは政治のほうから来ているんですよね。私は、だから、胡錦濤政権のこの立場はなかなか勇気のあるものじゃないかなと思っています。政治家の役割はやはり重要なんです。
私、さっきドイツとの比較をちょっと言いましたけども、ドイツと比べて日本が明かに劣っているのは、政治家の妄言というやつです。これは、たちまち雰囲気を悪くするんで大変困るんですけども、君島先生は日本は謝罪し、韓国はこれを受け入れるべきだという意見があったんですけど、そういうことは何度かやっているんですよね。それが十分かどうかという議論はありますけども、全然してないというふうに思っている人も多いのであります。
ですから、この第3部第3章のここでどんなことがあるのかと。1、2、3章も、具体的にどんなことをしていたのか、してなかったのかということも取り上げる、そういうことになっております。
強いて違いを挙げると、こういうことは言えますね。私、やっていて違いがあるのは、日本側は「なぜこんなばかな戦争が起こったのか」というプロセスの分析に重点があるんですね。確かに、結果的には昭和16年の時点でいいますと、もう中国と4年近く戦争して、まだ勝てない。4年以上ですよね、4年何カ月やってまだ勝てない。そして、その状況でアメリカとイギリスと戦争するという、ほとんど自殺行為の戦争をしている。何でこんなばかなことをしたんだと。不道徳で不法で、しかも、巨大な犯罪的な戦争をした。なぜそうなんだろうかというところにやっぱり関心はあるんです。政治過程の分析ですね。
これに比べると、中国側は「日本が何をしたのか」というところに圧倒的に重点があります。これは無理もないと思うんです。被害を受けた国からすれば、どんなひどい目に遭ったかということを強調するところにあって、そして、日本側は、なぜこんなことになったのかというところにあるあると。
我々から見ると、幾つかのこういう被害があったというところに誇張があるような気がするし、それから、日本に首尾一貫した侵略の意図があったというのは、現実の政治過程を見てると、とてもそれはそんなもんじゃないと思うんですけども、そういう違いがあるでしょうし、中国側から見れば、日本の、なぜここでこうなったか、だれがこう行動したかというのは何か弁解してるように聞こえるんじゃないかという気がします。
でも、それぞれ自分の目の前の問題に取り組むとそういう違いは出てくるんだけども、お互いそういう違いが出てくるのはある程度しようがないなと、これをさらに突っ込んでいきたいと思っているわけです。
よく外国の人にも聞かれます。あなたたちは歴史認識の溝にブリッジをかけようとしているのですかというから、私は「ブリッジをかけるためには、まずどれぐらい違うかをきちっと正確に測らなくちゃいけない」と、まだそのレベルかもしれませんねと。でも、いずれそれはもっと前向きに進むでしょうというふうに答えることにしております。
外岡
どうもありがとうございます。
いろいろご意見もおありかと思いますけれども、周婉窈さんに台湾の事情について報告していただきたいと思います。

私の任務は、4つのテーマということなんですが、ここでは全部話すということはできないと思いますので、まず共通の教科書の話をしたいと思います。もし時間があれば、ほかの問題にも言及いたします。
日本、韓国、そして、中国と共同教科書を編纂しているということ、そして、先ほど君島先生からもお話がありました共同の教材を編纂しているということですが、私は非常に敬服しています。そして、先生方がこのような仕事を進めていることは、私にとっても非常に大きな啓発、学ぶことが大きいということです。
私は歴史の研究をしておりまして、次のようなことを考えております。
まず、3つの国から、日中韓、そして、台湾も含めて一緒にこういう研究を進めていっていただきたいと思います。共同の歴史教科書を書くときには、台湾も中に入れれば、東アジアの歴史像はさらに完全だと思います。
そして、先ほど韓国の鄭先生、君島先生もおっしゃったように、先ほど山室先生もご報告をしてくださいましたが、東アジアの歴史とも非常に関係があると思います。共同の歴史には、非常に大きな問題があります。まず歴史からきております、問題というのは。
歴史というのは特定の時空の範囲内でそれが存在しておりまして、それによって、その主体というものがあります。それぞれの主体の発展の道筋というのもありまして、自らの発展の道筋を持ち、その発展の道筋に「内在的な論理」というのもあります。
これらの問題というのはお互いに交差し合って影響し合っています。あるいは、全然関係のない、そういう時空の中でそれが発展してきたということもあります。例えば、中国の歴史もそうですね。そういう部分もありました。ですから、昔の歴史を見ますと、そういう独立した、関係のない部分というのも存在しています。そして、時間の並列の関係のある歴史というのもあります。
ですから、このようなさまざまな主体を含めた共同の教科書というものをつくるというのは非常に難しいと思います。もちろん、不可能ではありません。実は、それぞれの主体の独立性が失われるというような、そういうこともあります。
そして、それぞれの主体の中にも、その主体だけではなく、いろんな要素というものも考えなければならないということです。そして、東アジアの共同史をつくる、そういうものがつくれるかどうか、あるいは、そういう考え方を放棄するかということですが、私は放棄してはいけないと思います。


周婉窈氏
●海洋史から、近代国家を考え直す
ここで1つの提案をしたいと思いますが、海洋史の角度から見ていきたいということです。東アジアの共通の歴史の本を書くときには、海洋史の角度から見れば非常におもしろいと思います。東アジアのそれぞれの主体というのはそれぞれの発展の道筋があります。それはときには交わりがあって、ときには衝突し合っていました。それは、その交錯、衝突や紛争の場所というのは海洋、海で起きることが多いということです。ですから、海洋史から、海から東アジアの歴史を見るということは非常にいいかと思います。そうしますと、全面的に歴史を見ることができると思います。1つの歴史の主体の制約を受けることもないということです。
また、東アジアの海洋というのは昔から交流の歴史がありまして、7世紀、あるいはそれ以前からあったと思います。海というのはいろんな問題がありましたけれども、難しいこともありましたけれども、昔から人々がそれを「手に入れたい」という願望を持っていました。海洋史からそういうあかしというんでしょうか、そういう証拠を見ることができます。
そして、境界から、接点から、あるいはお互いの衝突、紛争から、私どもがこの歴史の主体の本質、そして、その文化の特色をしっかりと把握することができると思います。ここでは海洋、つまり海ですね、ここには歴史の主体という問題はなくなります。ですから、海洋、海から東アジアの共通の歴史に入っていくことができると思います。そして、これは非常に重要な補完的な視野だと思います。そこでは、誰が「歴史の主体」であるかという問題はなくなり、私たちの視点は移動可能なものになり、360度を見回すことができます。それによって東アジアの歴史が合体する可能性を提供しています。
このようにしますと2点、メリットがあると思います。まず1点目に、このような共通の歴史は、辺境と中央という歴史的な緊張を解きほぐすことができるということです。東アジア共通の歴史の海洋史は、琉球や、琉球はもはや東アジアの歴史の中の辺境ではありません。台湾もそうですね。台湾もその1つの中心でありまして、辺境ではありませんでした。ですから、海洋史の視点というのは、私どもに東アジアの歴史を見る1つの非常によい方法を提供してくれると思います。
2点目に、それによって近代国家の仮説を考え直す可能性を提供してくれます。このような考え方というのは、東アジアの各国の歴史的和解のためにも非常に役に立つと思います。海には国境はなく、だれでも近づくことができます。また、だれにもたどりつけない場所もあります。近代国家ができ上がる前には、世界のあらゆる土地や島が1つの国に属さなければならないというような考え方はありませんでした。1880年代以前、あるいは20世紀の初めごろには、東アジアの海域の幾つかの島の帰属先というのがなかったということです。
しかし、近代国家はこのような状況を許しません。今日の東アジアの国家間の紛争というのは、近代国家のこうした考え方に基づくものであります。そして、近代国家に伴って現れたナショナリズムというのはより激しく、寸土といえども譲らないものでした。幾つかの島は、どこの国にも属していませんでした。そして、皆様が東洋海洋史、東アジアの海洋史を勉強すれば、この地域の開放性や、今日の我々の考え方というのは近代国家の影響を、それに伴うナショナリズムの影響を深く受けているということがわかります。
東アジアの歴史の和解のためには、私どもはやはり多くの努力をしなければなりません。東アジアの歴史の和解のかぎというのは、いかにしてナショナリズムの対立という問題を解決するかということです。これは非常に大きな問題です。また、他国との関係でもあります。中国と日本との対立、日本と韓国、そして中国と台湾、また中国と韓国との間にも問題があります。中国は、「反日でない」(侮蔑的な言い方は「親日」)台湾人を敵視していますが、このような民族的な感情というのは東アジアの国々が近代国家に転換してから生まれたものです。
もちろん私どもは近代国家の成立の前に戻ることはできませんが、しかし、この歴史的な根源というものを理解することは民族的な感情の対立を緩和する手助けになると思います。
そして、ここで私が強調したいのは、近代国家型のナショナリズムというのは人類の歴史の新参者であります。それは私たちの過去に対する認識をいつも覆い隠したり、ゆがめたりしています。この点は特に中国が目立っております。中国のナショナリズムは、歴史ではない主張の上につくられたことが多いということです。例えば、中国は台湾は古くから中国の領土だと宣言しています。チベットも、新疆もそうです。これは歴史からかけ離れた言い方であるというふうに思っています。いかにして歴史ではない中国の主張を捨てさせるのか。これは和解の第一歩でもありますが、私はその方法がまだ思いついておりません。
最後に、東アジアの歴史の和解のために、中国と日本に何を期待したらいいのかということですが、私はこのように考えております。20世紀の東アジアで日本は歴史に負債を負った状態に置かれております。この債務というのは21世紀まで引き延ばされてきています。日本はこの負債をできる限り解決しなければ前進することができないと思います。
そして、一般の大衆が歴史を学ぶというのが1つの前提条件であると思っていますが、学校教育でこの歴史というのを学術研究の水準に合わせていく必要があると思います。
私の話が間違っていたらご指摘いただきたいですが、日本の教科書では昭和以後の歴史を教えていないということを聞いています。試験にも出ないということですが、もしこれが事実でしたら、日本社会全体が昭和以後の歴史についての系統だった知識を欠いていることになってしまいます。これは非常に危険なことだと思います。系統だった知識がなければ、判断能力を養うことができないということです。過激で煽動的な言論の影響を受けやすいということになります。台湾もそうです。
そして、最後に1点申し上げたいことがあります。日本にはもう1つ問題があると思います。昭和以降の歴史が「タブー」であるかのように扱われ、まったく語らないか、多くを語らないのが無難だとされています。この私の認識は現実とかけ離れているでしょうか?もし、それがほんとうでしたら、これは間違っていると思います。日本の有識者はその問題についてやっぱりそれを克服、解決していくべきだと思います。
外岡
ありがとうございました。
海洋史という視点からの東アジア史を考えたらどうかという大変興味深いご提言でした。昭和史以降を教えられてないんじゃないかと、あるいは、昭和史を語るのがタブーになっているんじゃないかということについては、皆さんいろいろご意見があると思いますので、後ほどの議論の中で答えていただきたいと思います。
1点だけ、私は香港に行って、最近、「靖国」という映画が自主的に放映をしないという記事が随分大きく報じられたんですね。おそらく台湾でも中国でもそうだと思うんですが、靖国南京事件についての映画がもう10本以上できているのに、それがほとんど日本で公開されていないとか、あるいは、靖国の問題はここでタブーとされているというような報道がアジアで引き続きなされているということがあるということをちょっと申し添えておきたいと思います。実際にそれがタブーなのかどうかというのは後でご意見をおっしゃっていただけたらと思います。


朴裕河
それでは、最後になりましたが、朴裕河さん、よろしくお願いします。

皆さん、ほとんどの方がきょうは教科書ということに関してお話をしてくださいました。とっても大事なことだと思いますし、そういったことにかかわって努力されてきたことに敬意を表したいと思います。
教科書がつくられるまでには、今のお話でわかったように、非常に長い時間がかかる。あと、それがちゃんと学ばれるまでにも時間がかかる。また、学ぶ過程でもいろんな議論があり得るということで、とても長い、長い時間のかかる解決策だと思うんですね。そういう意味では、ともかく気長にやっていくべきことであると思います。
私のほうは、そういう長いスパンでできること以外のことについてお話ししたいと思います。
最初のレシッヒ先生の話や今の周先生からはいろいろ示唆を受け、共通するような視点もあって興味深かったのですけれども、どこかでそういう話との接点があればというふうに思っています。
今、皆さんのお手元に資料が配付されているはずですが、そこに書かれてあるように4点にわたってお話します。最初に、今私たちがどこに来ているのかということを確認したいと思います。次は、今現在こういった場を設けて話をするというのは、長い間いろんな 努力があったにもかかわらず、それがうまく機能しなかったという状況だからですけれども、何が問題だったのかについて話し、次にこういったことを打開するために何が必要なのかについて話します。最後に、何を目指すべきなのか、そういった過程で忘れられることはないのだろうかというようなことをお話ししたいと思います。
最初に、北岡先生もちょっと触れられましたけれども、日本は謝罪をしているんだというお話がありました。確かに謝罪はありました。時間がないので、きょうのお話では日韓の話だけに集中してお話しすることをお許しください。背景がわからないとほかの国からいらした方には理解が難しいかもしれないので簡単にお話ししますと、現在、日韓関係は幾つかの歴史問題をめぐって対立している状況にあります。特にきょうの中心的な話題であった教科書問題、あと、慰安婦問題、それから、靖国問題は中国とも共通するんですけれども、あと、さきほど周先生がとても興味深いお話をしてくださいましたけれども、領土をめぐる竹島問題、独島問題というものを抱えております。
●前に進むためにも、慰安婦問題の再検証を
この中でも一番、いま現在、重要と思われるのは、やはり慰安婦問題であろうかと思います。きょうは歴史教科書の話が多かったのでそれはちょっと割愛して、その慰安婦問題をめぐる日韓の対立がどうなっているのか、打開するためにはどうするべきかということをお話ししたいと思います。
このシンポジウムのためのパンフレットの後ろのほうに簡単な「歴史認識をめぐる動き」というのがあります。そこに93年の初めに河野談話があったことや、95年に村山首相の謝罪があったことが書かれています。このようなこと、謝罪があったにもかかわらず、なぜ今、韓国においては「謝罪していない日本」という認識が中心的になっているのかということを考えたいと思います。
つまり、謝罪をめぐる認識の違いが韓日の間にあるんだということをまず前提として考えなければいけないだろうと思うわけです。そういったことになった背景には、その当時の、ここ15年以上になりますけれども、それにかかわった政府、それから、事態を報じたメディア 、あと、それぞれの場所から支えたり支援したりした市民や識者に、みんないろんな形で努力をしたと思うんですけれども、何らかの問題があったかと思います。時間がないので具体的には申し上げられませんけれども、そういったあり方の問題をここで、再点検すべきではないだろうかと。
日本の公式の見解としては慰安婦問題はもう済んだことになっているかと思います。日本は確かに謝罪をしましたし、アジア女性国民基金を作って補償もしました。しかし結果的に韓国ではそのことはきちんと受け止められませんでした。それは必ずしも日本だけの責任ではないと私は考えていますが、ともかく結果として、現在なお週1回、韓国の日本大使館の前では慰安婦のおばあちゃんたちと支援団体のデモが行われている状況です。
さらに、皆さんご存じのように、去年あたりからアメリカをはじめ、ヨーロッパなどで、慰安婦問題をめぐって日本は謝罪をするべきだという議会の議決が出ているわけですね。そのことに対する反発がまたあったりしたわけですが、問題は、 日本もいろいろやったけれど、いまや慰安婦問題というのは「世界」の問題になった。そういった形で、実際の過程はともかく、現実としてそういう状況になってしまっているわけですね。そのような現実をここで改めてきちんと認識しなおすべきだと思うわけです。
もう1つは、「世界が」と言いましたけれども、ほんとに世界中と言ってもいいほどに、特にフェミニストの人たちが注目しているし、支援しているということです。ですので、この問題はおそらくこのまま、日本が言うように済んだこと、というふうにはいかないだろうし、そういう意味で現状のままではいつまでも和解は難しいだろうということをもう一度認識しておきたいと思います。
日本との葛藤がひどかったときに、韓国と中国が同じく被害者であるということで、若い人たちのインターネットでの連帯がありました。しかし、問題を解決するという方向で考えるのなら、やはり問題がどこにあるのかということをもっと正確に見るべきですし、そういったときに韓国と日本の関係は植民地支配の関係であり、その遺制としての今日の問題であるということ。あと、中国とはあくまでも戦争をめぐっての関係であるということ。また、よく台湾は親日的なのに韓国は反日的だというふうに言われるんですけれども、それはやっぱり中国を意識してのこととかいろんなことがあってのことであって、そういうふうに単純に比較される問題ではないという意味で、台湾と韓国との違いもしっかり見ておきたいと思っています。
そういった意味で、同じく被害者として声を出すということではなく、その被害者の立ち位置の違いも問題を考える前提として見ておくべきだろうと思います。つまり90年代を通して特に韓国において中国と共同対応をするというような声が高かったのですが、そういった共同対応の根源的な不可能性ということも実際の行動とは別個に認識する必要があります。
つまり、植民地化や戦争という事態をもう少し深く見ていく。今、先生方がおっしゃったような、歴史をどのように見るかということですね。これはもちろんやっていくべきである。
それと同時に、ここ15年、つまり日本が公式に謝罪を表明した90年代以降のことまでもう歴史の範疇に入れて、何でああいうことになっていたのかということをもっと細かく、かかわっていた人たちみんなが考えてみないと、やはり前へ進んでいけないのではないかと思うわけです。
ほかの方も触れられたように、被害者に対する記憶が埋もれていたということを認識するのはもちろん重要なことです。同時に、加害者と言われる日本のことに関してもきちんと向き合ってこなかったということが、いきなり90年代になって過去を突きつけられたときの混乱と関係があると思います。そういった意味で、ここ15年、もうじき20年になりますが、90年代以降の謝罪をめぐる混乱についてこれをもう一度考えたい。
今、韓国では政権が変わって新しい大統領はもう過去より未来を見ようと言っています。未来を重視するのは望ましいことですが、少なくとも慰安婦問題に関しては、問題に対するいろんな誤解もあり見方が違っていて、やはりそれに対する反発も強いわけです。そういう意味で過去の問題を見ないのは現実的に不可能だし、そうするべきでもないと思います。そういう意味で、未来を目指そうとしている今こそ、何らかの形で具体的な解決策を探るべきではないかと思います。
90年代の再検証が必要です。謝罪がうまく機能しなかった時代を歴史化し、まずは日本が謝罪をしたということを承認し、その可能性と同時に限界をも見ておくべきです。


戦後60年、戦後になぜそういった記憶の偏りといいますか黙認、隠蔽、忘却というのがあったのか。被害者に関してももちろんそうなんですけれども、加害者に対する処罰と許しを含む「喪」の過程を経ずに、分析が画一化したり単純だったりしたことが、いろんな反発を呼んだのではないか。
そのような作業は日韓の問題であり、日中の問題でありながら日本内部の問題であります。韓国の中でもいろんな対立が過去の植民地時代をめぐって存在し、植民地時代が終わって以降のここ数十年の歴史をめぐる対立も、あまり表面化してはいませんけれども、あるわけです。
そういった内部の和解といいますか、国境内部の歴史をめぐる和解と緊密にかかわる形で連携し、和解があり得るとすれば、内部の和解とどのように連動して外との和解が可能かを考えていくべきだろうと思います。
先ほどヨーロッパのほうで政治家の役割が大事だったという話がありました。そのとおりだと思います。ある意味で竹島問題がここ50年ぐらい解決されないで、事あるごとに葛藤を生んでいるのは、政治家たちが怠けていたからだと私は思っています。歴史問題は確かに大きな負担がある問題ですが、政治家のほうも、メディアのほうも、また直接自分の個人史にかかわることなので語ることが難しい人も、それぞれの立場からきちんと過去に向き合い直すことを今すべきではないかと思います。
それぞれの国でとにかく解決をしよう、できることを期限を決めてそれをきっかけとして、例えば2010年でもいいんですが、今までの繰り返しではない別のパラダイムに持っていこう、そういうパラダイムチェンジをすることを前提にして、それがどのようにできるのかということをここら辺でみんなで考えていければと思います。
最初にナショナリズムの話をしましたけれども、やはりこういった現在私たちが置かれている状況というのは、これまで過去に対する整理をきちんとしてこなかったゆえのことだという認識をしたいと思います。
韓国のナショナリズムの背景には植民地国家だったという体験があります。そういった意味で、ほんとに対等な関係は日本のいろんなことに余裕を持って対応できるということであり、そういうことこそが脱植民地化の道だと私は考えています。
最後に、アジア共同体を語る場合、よくヨーロッパに対してアジアもというふうに言われますが、そういったことではやはり範囲を広げただけの地域主義、地域ナショナリズムになる可能性があるということも念頭においておきたいと思います。
外岡
ありがとうございました。
もう既に予定の時間が過ぎていますけれども、それじゃあ、コメントを一言。
山室
もう時間はとりませんけれども、いろんなことを教えていただきましてありがとうございました。
私、「連関史としての東アジア」というものを見るべきだと申し上げたのは、80年代にアメリカに行きましてハーバードで少し勉強したんですが、あそこではイースト・エイシャン・シビライゼーションという教育・研究コースがあるんですね。つまり太平洋の向こう側から見ますと、東アジアというのは1つの文明世界だというある種の視点、これが偏見であるかどうかわかりませんけれども、そういうような見方があるということを念頭に置きながら話をしたわけです。
次に、レシッヒさんの話にありましたように、教材の問題だけではなくて、あるいは、教科書だけの問題でなくて、実はそれぞれの国の教授法の問題があるのだということもご指摘なさいました。おそらくこれは大変大きな問題だと思いますが、同時にまた、その歴史研究法の視角の違いといいますか、方法の視角の違いというものもやはり考えなきゃいけないのではないか。朴先生が最後におっしゃいましたパラダイムシフトというのは、私が考えているのも、そういう意味でのパラダイムシフトをすべきではないかと思ったわけです。
それから、教科書についてのナショナルな枠ということで三谷先生がおっしゃいましたけれども、私もそれはある程度理解いたします。
同時にまた、レシッヒさんは市民社会の役割ということをおっしゃいました。日本では市民社会とはどういうものであるか、なかなかわかりにくんですけれども、今、日本を考えてみますと、在日の60数万人の人を含めまして210万人以上の外国籍の方が生活していらっしゃいます。東京のほうはよくわかりませんが、関西のほうでは中華学校などに一生懸命、日本人の子供たちが入ろうとしているんですね。つまり、21世紀は中国の時代だから、親御さんたちも小さいときから中華学校に入れて教育をしようということでやっていらっしゃるわけですね。そうすると、中華学校では日本人でありながら日本史を学ぶのではなくて中国の歴史を学んでいる人もいらっしゃるわけですね。そういうような事態が実は起こってきているわけであります。
そうしたことを考えますと、実はナショナルというようなレベルで限定的に考えられるのかどうか。これも先ほどレシッヒさんがおっしゃったと思うんです。ヨーロッパでも国内における移民の問題等を含めて、多民族社会での歴史教育のあり方というものも考えなきゃいけないのではないかということであります。
きょうの議論というのは歴史和解のためにということであったのですけれども、私が先ほど定義いたしましたように、歴史認識というものが常に現在から過去と未来に対する見方であるとするならば、私は歴史認識というものが一致することは、まずありえないと思います。つまり、最後になってひっくり返すようで申しわけないのですが、歴史和解というのは、実は成立しないのではないかとも思っています。もちろん、ある時点では成立するかもしれませんけれども、次の時代ではまた変わっていく可能性は当然あるわけですね。それを前提としてやらざるを得ないと思います。ビートルズの歌ではありませんけれども、歴史認識というのは「ロング・アンド・ワインディング・ロード」という長く曲がりくねった道を歩くしかないと思うんですね。
きょうのお話にありましたように、ドイツの和解というのは実は60年かかってやってきたわけであります。また、皆さんからご報告がありましたように、東アジアにおいて本格的な歴史対話は1990年代から始まったわけでありますから、これが60年後の2050年までに達成されれば、実はヨーロッパと同じ時間の幅ということですね。その時代にはおそらくこのテーブルを囲んでいる人間はほとんどいないと思いますけれども、その2050年に向けておそらくここのフロアにいらっしゃる若い方々が、ドイツが歩んだよりももっと時間が短くなることを希望しますが、そういうような道を着実に歩いていかれることを期待しております。