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シンポジウム「歴史和解のために」【第1部】討論

【第1部】討論:「何が起きているのか」

外岡
どうもありがとうございました。
大変規模の大きな、全体の問題を凝縮するに当たっての大変ふさわしいお話をいただいたと思います。
この150年を大きく2つのグローバリゼーションと先生は要約されました。1つは国民国家の世界化ということで、その中に国語統一と並んで、国史、国民史としての歴史の成立があったと。ところが、それが第2のグローバリゼーションの中で、次第に変容を迫られていく。1つは、戦後50年の節目を迎えて、歴史の可視化と、亡くなっていく方がだんだん増えていく中で、何とか記憶にとどめたいという動きがあった。そして、もう1つは、冷戦の崩壊の中で、それまで抑えられていた、失われていた声の回復が起きてきた。それと同時に、グローバリゼーションに、第2のグローバル化を迎えて、新しい民族主義に向けた歴史の再編成と、失われたアイデンティティーをいかに回復するかということで、歴史をめぐる、いわば争奪戦のような様相を呈してきた。そういう中で、先生が提言されたのは、歴史史料共有センター、あるいは東アジア共同歴史研究所という形での歴史の共有、そして歴史認識を共有する基軸として、基本的人権、民主主義、人間の安全保障という3点をご指摘なさいました。
それでは、今の基調提言を受ける形で、パネリストの皆さんにごく短いんですが、5分程度で、私の見方という形でご意見を伺いたいと思います。三谷さんから順にご発言いただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
三谷
東京大学の三谷でございます。
私の歴史家としての専門は19世紀の日本史でして、この歴史認識問題が問題になっている20世紀前半の専門家ではないのですけれども、中学校、高校の歴史教科書も書いていますので、このところ数年間、かなりこの問題について書いてきております。
私は山室先生の壮大な把握と提言、それぞれに納得するところがあるんですが、私自身は、ほかの先生方もいらっしゃることですし、問題点を絞ってコメントしたいと思います。
1つは、日本の国内事情をどう見ているか、現状をどう見ているかという問題です。これはヨーロッパと日本、あるいは東アジアがどうしてこんなに違うのか。ヨーロッパの場合は、ドイツがフランス、あるいはポーランドなどとの和解をかなりうまくやっているのに、なぜか東アジアでは日本は周辺の国と仲直りしていない、その進展度があまりにものろい、いつまでも過去のあしき記憶にとらわれ続けている。なぜかということが、今、私はアメリカに滞在しておりますけれども、アメリカの知識人たちも不思議に思っているんです。
じゃあ、どうしてそうなのかと考える場合に、1つのファクターは、政治家のリーダーシップの問題だろうと思います。ドイツのケースは、ヴィリー・ブラント首相の有名な振る舞いを通じて、国民の代表が国民を代表して過去を遺憾に思い、それを謝罪しているという印象が持たれ、世界じゅうに広がりました。これに対して東アジアの場合は、日本の首相に限らず、政治のトップリーダーが、むしろ歴史を使って対立を呼び起こしたという歴史が90年代の半ばからあります。したがって、政治家と知識人が共同するというよりはむしろ分離して、政治家がむしろ歴史紛争の発生源であるのならば、知識人はそれを遺憾に思いながら、国境を越えて協力しようという動きが、90年代から、それから特に2001年の教科書問題を契機に、どんどんと進行いたしました。これは山室先生も言及されたとおりです。
政府は現在、3国とも、台湾はちょっと措きまして、日本、韓国、それから中国は歴史を争点から棚上げしようということで一致しております。そして、学者にすべてを譲り渡そうというふうな政治的判断をしている。これはそれなりに賢明なことですが、その分、我々の、知識人の役割は重くなっていると思います。
それから、日本の世論に関して言いますと、これは半々に分かれて、動かなくなっている。小泉純一郎首相の靖国参拝に関しては、その最後の参拝に関して、世論調査によれば、支持する、反対するが半々に分かれておりました。私はその当時、日本の世論は1930年代のように雪崩を起こして首相支持に回り、中国、韓国は文句を言うなという意見が多数派になるんじゃないかと非常に心配していたのですけれども、半分のところでとまった。これは楽観材料であり、戦後民主主義の達成であると同時に、逆に半数の頑なな態度をもう少し和らげていく必要もこれからあるだろう。どうしたらそれができるかということを、我々は考える必要があるだろうと思います。
それから、提言ですけれども、東アジアを舞台とした世界史、グローバルヒストリーをつくろうというご提言はまことにもっともで、山室先生のお仕事もそうですが、私も同僚たち10人余りと一緒に、今これをつくっております。年内に完成すれば良いのですが、これは後で詳しく、第2部でお話しします。
●解釈なぜ違うのか、まじめに考えるべき
それから、第2の提言ですけれども、これにはちょっと込み入った話がありますが、簡単に言いますと、対立し合っている国民同士が歴史対話をするためには、むしろ差異、つまり同じ問題について、どうして違う解釈が出てくるのかということをまじめに考えたらいいだろうと。「あ、違う。相手はけしからん」。こういうふうに考えるんじゃなくて、「あ、違う。なぜ相手は違うことを言うんだろう」。それを深く考えれば、相手が持っている歴史的な記憶とか、そのコンテクストがわかってきて、相手に対する理解が深まってきます。その上で、そういうことが起きれば、相互にポジションを変えていく可能性が出てくる。初めから立場を決めておいて、ぶつかり合うというのが回避できるんです。
これは、かつて早稲田の劉傑先生と一緒に、『国境を越える歴史認識』、日中関係の争点を扱った本をつくりましたが、そのときに劉先生と1点だけ、僕は全然意見が合わなかったことがあって、どうしてそうなったんだろうと後で考えたときに、意見が合わなかった理由がやっとわかったことです。時間がないので詳しく説明しませんが、むしろ違いはなぜ起きてくるかというのをお互いにまじめに考えるというのが非常に良い出発点になるだろうと。直接に歴史認識の共有を目指すと、むしろ対立しか起きない、こういうことを申し上げておきます。
外岡
ありがとうございます。
それじゃ、君島先生。
君島
学芸大学の君島です。時間が5分間ということですので、簡潔に話したいと思います。
山室さんの報告の中で、歴史認識に関する定義がありました。それは非常に積極的な未来志向な定義であって、非常に興味の持てる考え方だと思います。そこで、歴史認識の共有ということも、やはりそれを踏まえれば、未来志向的な形で追及されるべきであると思います。
ところが、山室さんも触れましたように、歴史認識の共有はできないとか、してもいけないという意見も一方ではあります。歴史事実は共有できるし、それはしなければならないけれど、歴史認識の共有はできないのだという意見があります。私はその意見には、山室さんと同じように賛成できないという立場です。歴史認識と歴史事実はどういう関係にあるのか。それは単純に切り離すことはできないだろうと思います。共有できないというのは、いわば未来志向的な動きに対する後退的な考え方だ、否定的な考え方だと思います。歴史事実には、その内容があって、その内容をどう評価すべきかを抜きにして歴史事実はあり得ないわけで、それを機械的に歴史事実と歴史認識を区分するというような発想は根本的におかしいのではないかと私は思っています。
そうすると、歴史認識共有の方法とはどういうことが考えられるか。先ほどの報告にもありましたけれど、1つの方法として、歴史叙述を試みるということがあるように思います。研究会などである個別研究を報告して、それを積み重ねても、歴史の共有にはなかなか到達できないのが現状だろうと思います。そのときに、共同して歴史の叙述を試みることは、お互いの研究成果を突き合わせて、討論をしながら歴史叙述を行うという、なかなか困難な作業ではありますが、そのことを行うしか方法はないのだろう。歴史研究の成果を重視しながら、その作業を行うということが重要だと思います。その場合に、そのことが自由にできる保障が必要で、そのためには、民間の研究者同士で行うのが一番いいのではないか。やはり国家を背負うとなると、なかなかそれができにくくなりますので、民間で自由に行うことが必要だと思います。本来であれば、教科書を共同でつくることがいいわけですが、現在のいろいろな国、例えば、日本や中国や韓国などでのそれぞれの教科書制度があるところでは、最初から共通の教科書をつくるのは非常に困難があります。その意味では、教科書から少し離れたところでの共通の叙述を目指すのがいいのではないかと考えます。
教材と言うからには、やっぱり教室で使える、また教室で使うことを意識してつくることが必要です。そのためには研究論文をそのまま使うだけではとてもだめなわけです。教材化というなかなか困難な作業を、みんなが努力をするのがいいのではないか。つまり、教科書の制度的制約を離れて自由に行えるような人たちが、その共同の共通の教材をつくる作業を、より一層発展させていくことが必要だろうと思います。共通教材をつくることによって、歴史認識の共有に一歩近づくことができる。私たちもその試みをしましたけれど、そういうものがたくさんできてくることが必要なのではないかと思います。何組かの、幾つかのそういうものができたら、それを今度はさらにもう一度議論をして、さらに高度なものをつくっていくという形の、その繰り返し、作業の繰り返しをやっていく。そのために、例えば、先ほどの山室さんの報告にあったようなセンターのようなものをつくることもできればいいでしょうが、それすらなかなか困難とすれば、できる範囲でそういう作業を繰り返していくということを提案して、先ほどの先生の報告へのコメントにしたいと思います。

外岡
ありがとうございます。
それでは、周さん、お願いします。

山室先生が、この150年の間の歴史認識について、非常によい、そしてマクロ的なお話をなさいました。これは私ども研究者にとって、自分の国の近代史を見るときに、非常に大きな歴史の背景であると思います。それを考えなければいけないと思います。
それぞれの国の発展の道筋というのがあります。そしてまた、人類、世界の大きな流れの中にも、それが入ってきているということです。これはマクロの面からのお話ですが、私の時間は短いということですので、ここで山室先生のお話の中で、私が強調したいことを話したいと思います。
山室先生は、共通の歴史の認識というのは、人類の普遍的な価値を基軸にする必要があるということをおっしゃいました。これは非常に重要なことだと思います。先生は人権や民主主義、そして人間の安全保障のことをおっしゃっております。これが普遍的な価値であるということをおっしゃっています。
私は、ここで最初の基本的な人権の尊重についてお話ししたいと思います。もちろん私は賛成しておりますが、ここでちょっと補足説明したいと思います。
この基本的な人権というのは、思想や表現の自由、そして恐怖から免れる自由などが含まれております。そして、最近はその内容というのが、特定の社会グループの歴史・文化や言語の保存の権利まで拡大されております。そして、それは2001年のユネスコが発表した「文化の多様性に関するユネスコ世界宣言」と関係がありますが、その中の第4条で、このようなことが書かれております。「文化の多様性を守ることは、倫理における差し迫った要求であり、人間の尊厳尊重と密接な関係がある」と。そして、第5条にはこのようなことが書かれております。「すべての人々は、自分の選択した言語、特に母語で自分の思想を表現したり、作品を書いたり、発表したりすることができる。すべての人はみずからの文化の特徴が十分に尊重された良質な教育、育成を受ける権利を有する。さらに、すべての人は、人権と基本的自由を尊重する限り、みずから選択した文化の生活に参加し、その活動に従事することができる」ということが書いてあります。ですから、このようなことは、多分、私どもが自然界の多様性の認識や、そういう動物、植物が、多様性から、今、非常に種類などが少なくなってきているというような危機に直面していることから来ていると思います。
それで、人間の世界も非常に変わってきておりまして、多様性が喪失しつつあります。このようなことになってしまいますと、山室先生がおっしゃったグローバルとも非常に密接な関係がありますが、グローバルというのは、やはり同質化ということを導くということです。異なった文化や伝統などが全部共通になってしまうということです。そういうことは、2つの形態があるかと思います。1つは、自由社会が自主的に、あるいは知らず知らずにグローバル化の同質化の中に、その過程に入ってしまうということ。もう1つは、社会的に弱い立場に置かれている人たちが強権によってやむを得ず同質化されてしまうということです。ですから、そうしますと、多様性が喪失してしまいます。第1のタイプにとっては、多様性の喪失はたぶん阻止しにくいのでしょうが、私どもはやはり警戒心を持って注視すべきであると思います。長い歴史の中で蓄積された豊かな文化を保存するということが重要ですが、それが喪失してしまいますと、非常に残念なことだと思います。ですから、そのバランスを取っていかなければなりません。
2つ目のタイプは、弱者の受けている圧迫ということなんですが、強権による弱者に対する圧迫というのは、それは国家の暴力であり、その破壊力は大きいと思います。
ここで2つの例を挙げてみたいと思います。1つは過去の台湾です。それから、今現在も進行中のチベットのことです。
国民党の時代におきましては、台湾は台湾の本土の歴史文化がほとんど喪失してしまいました。特に原住民の文化。現在、台湾はそれを回復、修復作業に取りかかっております。この20年、ある程度、成果を上げております。
そして、もう1つの生きている例というのは、現在のチベットです。チベットは半世紀にわたり、人々は自分の歴史の文化、言語の中で暮らす権利というのが奪われております。ですから、チベット文化の喪失というのは、世界の文化の大きな損失でもあります。中国の漢民族の文化の損失でもあります。やはり注視すべきであると思います。
先ほどユネスコの話をいたしました。世界文化の多様性の話をいたしました。それは、文化というのは、絶対に変化していけないとは言えないのですが、それは、やはり自由な、自主的な環境の中で変えていくべきだと思います。そして、自発的なイノベーションや革新などを推進することはできるということです。いま現在、グローバル化が非常に速いスピードで進んでいます。ですから、世界史の状況についても、よく検討し、そして、自分の社会にある文化の多様性を維持していかなければならないと思います。文化の多様性、それから自然の多様性というのは、私どもの生活を豊かにすることができますので、今、物は豊富にありますが、しかし、文化も豊富なものにしていかなければならないと思います。
そして、山室先生がおっしゃった歴史の認識についての主張に賛成いたします。やはり歴史というのは、過去、そして現在、それから未来をつなぐ1つの方向性のある歴史認識ということで、歴史認識というのは非常に重要であります。ですから、私ども、それを専門とした学者にとっては責任があります。21世紀には東アジアの、あるいはアジアの民族間の相互理解を深めていくということが私どもの責任であると考えています。
外岡
ありがとうございました。
それでは、続いて、鄭さん、お願いします。

鄭在貞でございます。
私は20世紀前半の韓国近代史、特に植民地期の鉄道史を専門にして、韓日関係史を研究しております。その傍ら、この20年以上、韓国と日本の、いわゆる歴史対話にあらゆる形で積極的に参加してきました。
私はなぜ日本と韓国の歴史対話を重んじるのか。そのきっかけは、私が留学したときのつらい経験から始まります。私は1979年から82年まで、3年ぐらい東京で勉強していたんですが、あのときの韓国と日本の関係は、政府同士、いわゆる国家レベルでは非常に険しくもみ合ったし、国民レベルでの相互理解ということも、ほとんどない状態、無知に近いほどのものでした。それで3年の留学生活は非常につらかった。そして韓国に戻った年の夏に起こった、いわゆる教科書問題がその後も後を絶たない。歴史問題がいつも両国の関係を傷つけるということを身にしみて感じました。それで、結局、両国が相互理解と共生共栄を目指すならば、歴史紛争ということを乗り越えなければならないということ、そのためには、やっぱり日本に留学した経験を持っている私が、何かできることはないかという、そのような気持ちで今までやってきました。
きょうの山室先生の発表は、私がなぜこのように韓国と日本の歴史対話にこだわるかということを、世界史の相互連動の視点から学問的に非常にわかりやすく、鮮明に説明してくださいまして、共感することが非常に多いです。
普通、人々は相互の交流と交易が盛んになれば、あるいは増大するならば、相互理解も深まるんだと、歴史認識も共有できるんだという、そのような考え方を持ちやすいんですが、しかし、そうではないんです。今、韓国と日本の場合は、韓流ということがあるし、韓国では日本フィールということもあるし、いろんなことがあって、1年に500万人ぐらいの人が行ったり来たりしますけど、実際には歴史認識をめぐる葛藤ということは、むしろ先鋭化、長期化するという、そういうことが現状なんです。
じゃあ、なぜそうか。相互認識というところには、やっぱり両国の歴史研究者、歴史教育家、またオピニオンリーダーたちの役割ということが、ちょっと物足りない面があるんじゃないかなという、そんなことを私はいつも考えています。
最近の韓国の事情をちょっと申し上げますと、山室さんが言っているように、幸いに韓国は経済成長とともに、民主主義の進展、人権、平和などについての価値観ということが、ある意味では世界最高レベルまで行っている面があります。そこから言うと、歴史についても、いろんな立場からの発言もできるようになりました。それで日本と中国とも等身大で対話ができるようになったということが、これからの東アジアの歴史対話ということに非常にいい影響を与えるだろうと私は期待しています。
しかし、あれは単純にできるんじゃなくて、歴史学者とか教育者とか、オピニオンリーダー、特にマスコミが積極的に意図的にやるべき仕事です。歴史認識の共有とか、歴史共同研究などは、おのずからできるんじゃなくて、積極的な意思を持ってやらなければなりません。結局、歴史認識の共有ということを語るときは、話題は過去なんですけれども、視線は未来を目指すという、未来の共生共存をひらく意識的な作業だという、そのような自覚がもっともっと必要じゃないかと私は思っています。
韓国では最近、政府レベルでもこのような問題に非常に積極的に対応して、東北アジア歴史財団というものをつくって、韓国、日本、中国などと積極的に歴史対話を進めるという、そのような事情があります。
もう1つ、もちろん韓国と日本は政府が支援する歴史共同研究委員会なども機能しております。また、韓国みずからが自分の歴史教育とか、自分の歴史教科書を改善するという、そのようなことに積極的に取り組んでいます。いろんな種類の、いわゆる代案教科書もできています。それ以外に、日本と中国との共同作業による共通の歴史教材も、もう5つぐらいの種類が出ております。韓国の場合は、ますますそのような外国との歴史対話ということの重要性に気づいて、その方向に熱心に動くという状態です。これがひょっとしたら政権の利益とかナショナリズムをあおるような、そのような形に転換するおそれもあるんですが、日本と中国の出方によっては、このような韓国の事情を積極的に利用すれば、お互いの歴史認識の共有ということを目指す、もう一歩の進展ができるだろうと私は思っています。

外岡
ありがとうございます。
それでは、歩平さん、お願いします。
歩平
中国から参りました歩平と申します。私の専門は中日関係史です。
山室先生の報告、ありがたいと思います。独学している日本語で自分の感想を発表しますから、ちょっと心配しています。
第1は、先生の第1と第2のグローバリゼーションという視点は、私は大きい示唆だと考えます。中国では、80年代後半から90年代に入ると、改革開放政策によって、戦争史料の公開や戦争に関する記念碑と記念館の建設のラッシュが始まりました。例えば、北京や南京やハルビンなどにいろんな記念館が建ちました。
歴史研究の面では、東京裁判で免責された細菌戦、毒ガス戦についての研究、強制連行と従軍慰安婦についての調査もそのときから始まりました。ある方が、これは中国政府がしようとしている反日教育の表現だと指摘しましたが、実は、これこそ冷戦後の国民の個人が自由と権力を自発して強調している表現です。
●自国中心だった研究、変わってきている
2番目は、歴史認識の共有について。80年代半ごろから、戦争時代の歴史に対しての研究は2つの特徴があります。1つは、そのときの研究が自国中心として、外国の史料と研究現状の把握は不十分です。もちろん、今はこの状況はだんだんに変わってきました。もう1つは、中国、韓国の歴史研究は、日本国内の戦争責任と海外の責任を認めない人に対して、抵抗的、論戦的な傾向があります。ですから、歴史認識の共有や歴史和解などはあり得ないという考え方を持っている方は多いです。
一方で、歴史認識を共有する努力も重要です。例えば、先ほど慶応大学の山田先生にお会いしましたが、山田先生をはじめとする、日本と中国、アメリカの学者の共同研究。もう1つ、私の友人である新潟大学の古厩先生が提出した「北東アジアの歴史共同像」という目標。先ほど山室先生が整理した年表の中には、もっと大きい、たくさんの努力もあります。また、歴史教科書の副教材の努力についての問題ですね。後で紹介したいと思います。
山室先生の提案について、私は大体賛成します。少し補充したいと思います。
1つは、今までは各国の歴史教科書を基本的に自国歴史を中心として編纂しましたから、このような歴史教科書の自国中心の視角を超えて、東アジアの視角を転換して、未来の世界に向けて新しい教科書を編纂することが重要です。しかし、教科書の編纂は難しいですから、とりあえず副教材の編纂をしましょうか。
2番目です。歴史視角の転換論について。いろんな問題がありますが、とりあえず学生さんですね。学生さんより先生の任務は重いです。重要です。先生と学校の教育の任務よりは、社会教育、特にマスコミ、メディアの責任が重要です。歴史研究者は必ずマスコミ、メディアと一緒に努力しなければならないと思います。歴史研究者とマスコミ、メディアの任務より政治家の責任は一番重要だと考えます。
外岡
ありがとうございます。
それでは、朴裕河さん、お願いします。

朴裕河と申します。
先ほど三谷先生が、近現代史はご自分の専門ではないというようなことをおっしゃいましたが、私は歴史の専門家ではありません。ここにいらっしゃる先生方の多くは、歴史家ですけれども、私は日本近現代文学を専門にしています。今、皆さんが自国主義を超えるべきとおっしゃいましたが、自国主義を支えるナショナリズムの問題を考えるにつけて、歴史もそうだと思いますが、特に文学というのは言葉を媒体として成り立つものとして、 ナショナリズムを強化することを助けたジャンルという問題意識から、こういった歴史問題にも関心を持つようになりました。
『和解のために』という本を書いていますが、それは、素人の立場から、歴史家や直接に歴史関連の被害者のための支援をする運動家ではないという立場から、外から見るとどのように見えるのかということを書いてみたものでした。きょうも、そういった立場から発言をするということになると思いますが、今は時間が5分ということで、あまりありませんので、まず山室先生のおっしゃったことに対して簡単に意見を申し上げたいと思います。
私が最後になりましたけれども、ほかの先生方がほとんどすべて賛成というふうにおっしゃいましたので、みんな同じく賛成ということになってしまったら議論になりませんので、あえて、誤解を避けるために先に申し上げておきますと、ほとんど賛成なんですけれども、あえてちょっと違った意見を申し上げたいと思います。
最初に、非常に大きな枠組みから、グローバリゼーションという視点からお話をしてくださいました。世界じゅうのナショナリズムが90年代以降に強くなった背景にグローバリズムがあるというのはよく言われることでもあります。特に日本の場合は経済的な問題もあって、いろんな不満、不安というのが、そういった形に反映されたというのはそのとおりだと思います。
ただし、確かにおっしゃるとおりに冷戦が終わって、そういったことになりやすくなったという状況はあるんですけれども、逆に、こういったナショナリズムによって、韓国でも日本でも言われている格差社会を強化するグローバリゼーションの問題が見えないような悪循環の構造に入っている。結局、同じことなんですけども、どこに重点を置いて見るかということです。
それぞれの国でいろんな背景があって、日本も韓国も中国も、90年代以降、対話が成り立たないような不幸な時代でありました。同じ時期に中国や、日本の中でも格差社会化が進み、韓国もやはりそういう状況下にあります。なのに、一部のエリートやマスコミによるナショナリズムをあおる言説はそういうことを見えないようにしてしまうのです。
2つ目なんですけれども、こういった歴史問題を考える際1つの望ましい基軸を持つべきだ、基盤というのを持つべきだとおっしゃいました。そのとおりだと思います。
そして、山室先生をはじめ皆様ほとんど望ましい、韓国人である私から聞いて望ましい認識を述べてくださいましたけれども、先ほどあげられた小泉首相靖国参拝に賛成、反対が半々だという統計、その半々という数字はどのように受けとめられるべきでしょうか。つまり賛成する人が半分いるというような現状をどのように考えるかということです。
今おっしゃったようなあるべき基軸、正しい歴史認識というのは、やはりこの枠組みに入らない残りの半分に「これを受け入れろ」というようなことになるかと思うんですね。もちろん、結果としてそうなってほしいと思うんですけれども、やはりその過程で、単に向こうがすべて間違っているとみなしてしまうのではなく、今先生方がおっしゃったようになぜそういうふうになっているのかということも考えて、そういった結果に持っていくべきではないだろうかと思っています。
もう1つ気になりましたのは、日本はどのような国になるべきかという言葉でしたけれども、正しい日本というのを想定すること自体はいいんですが、やはりそういった誇り高き日本といいますか、責任をとってしまった日本といいますか、そういったことが最終地点になってはいけないのではないか。つまり、これまで逆の立場で歴史認識問題に反発してきた人たちも、日本の誇りを傷つけられるから反発したという状況があるわけですね。
ですから、やはり歴史を考えるときに、「正しい日本人」、あるいは「正しい日本」のほうへ持っていくのではない方向を目指すべきではないだろうかと思います。
時間がないので詳しくは言えませんけれども、後でもうちょっとお話しできればと思います。


外岡
ありがとうございます。
それでは、遅くなりましたが、ジモーネさん、よろしく。
レシッヒ
こんにちは。
私は国際教科書研究所長であると紹介されました。そしてまた、近代史をブラウンシュヴァイク大学で教えているということを紹介されました。特にヨーロッパ史というものが私の専攻であるということであります。
そういったことで、山室先生のお話を聞きまして、やはりヨーロッパの側から見たという形でコメントをさせていただきたいと思っております。
ヨーロッパ側から見たということは何かといいますと、やはりさまざまな今、皆さんがおっしゃられました提言がありますけれども、あるいは、その提言の幾つかというもの、そのための条件というものがもう既に達成されていると思われます。数十年にわたって、私たちは和解のプロセスというものを行ってきました。そして、そのうちの大部分がヨーロッパの国々におきましてユーロという形で、EU(欧州連合)という形で結びつけられているわけであります。
歴史認識ということで話していきますと、やはり私たちにとりまして歴史認識というのは1つの条件になっていくということが言えるわけであります。そして、和解というのがもう1つの条件であると思っております。
皆様が提言されました歴史認識の共有のための条件というものはEUの中ではほとんど達成されております。例えば人権の尊重でありますとか、人間の安全の保障など、こういったものは1つの条件としてもあるわけです。
そのような中で、ヨーロッパがEUという形で発展しています。そのうちの1つにありますのがドイツです。そして、私どもは歴史的な責任、そしてまた、そのために歴史、過去と向き合っていくということがこの数十年の間、私たちの課題として突きつけられ、そして、その課題に私たちは取り組んできました。第2次世界大戦にはホロコーストというものがありました。そして、そういった事実は徐々にはっきりしてきたわけであります。
私どもは数十年にわたって、これにつきましても私の講演で紹介いたしますけれども、教科書委員会の作業を行いました。ドイツとフランス、ドイツとイギリス、ドイツとポーランド、そしてまた、ドイツとイスラエルの間でこういった教科書委員会というものがつくられ、そのための作業を行ってきたわけです。
とはいえ、今でもまだやはりヨーロッパの中でもさまざまな歴史的な問題というのが起きております。歴史政策の問題というのが起こっております。例えば、ヨーロッパの共通教科書をつくることができるのかということが議論されています。ドイツのシャバン教育相がついこの間、そういった提案をしたわけですけれども、しかし、賛成の方もいますし、あるいはまた、各州や、そしてほかのヨーロッパの国の教育相には反対した人たちもいたわけです。
そういったことで、やはり現実的な目標、目的ということで考えてみますと、欧州の共通教科書をつくるというのではなく、共通の歴史認識をつくっていくということだと思います。
三谷さんがお話されたように、まず初めにやっていかなければいけないことは、やはり記憶でありますとか、そしてまた、解釈というものを、ほかの人たちはどういった解釈をしているのか、どういった記憶を持っているのかということをまずは理解していかなければなりません。ドイツとポーランドでもそうでした。例えば、ドイツが第2次世界大戦後、ポーランドの地から追放されていったわけですけれども、それに関しましても大きな歴史的な対立がありました。
しかし、そのような問題がありましたけれども、ドイツとポーランドの教科書委員会で、そして、EUの枠内で私たちはさまざまな問題を解決していく、つまり私たちが理解をしよう、どういったことが問題なのか、相手がどういった考え方を持っているのか、差異が何なのかということに、私たちはまず初めに取り組んでいったわけです。
具体的に申しますと、だれが加害者で、だれが被害者なのか。そして、ドイツがむごい残虐なことを行った。そして、そのようなドイツが例えば迫害されたというような事実のもとで、被害者として見ることができるのかというようなこと。あるいはまた、ポーランドから追放されたドイツ人、その反対に、ポーランドにおきましてもドイツが加害者となってさまざまな残虐な行為が行われてたわけです。
こういうような事実というものがあって、私たちは共通の歴史認識を達成していくためには、やはり重要なことは、一人ひとりがしっかりと意識を持って、自分たちの歴史は何なのか、そしてまた、相手の歴史がどうなのか、あるいは相手の理解がどうなったのかということを理解していかなければいけません。
山室先生がおっしゃったように、やはり歴史というのは現在に関係してくることであります。アクチュアルなものなわけです。そして、それぞれの世代の人たちがその歴史の中で生きていっているわけです。
そういった中で、共通の妥協を見つけ出すというのではなく、若い人たちにおきましては能力をつけていく、つまり自分たちの歴史というものを批判的にしっかりと見ていくという、そういった能力をつけていかなければいけないわけです。
そういった意味で、山室先生がおっしゃられたことに私は賛成いたします。と申しますのも、歴史と国境を越えて、ローバルな枠内で見ていくということ、つまり、どういった関連があったのか、そして、国境を越えて、文化的なものも含めてどういった関係があったのか、こういったことを見ていかなければいけないと思います。これはヨーロッパにおいてやっていかなければいけないと思います。そして、ヨーロッパの共通教科書というのはまだつくられておりませんけれども、こういったことが私たちにこれから与えられていきます課題だと思います。
そして、2点目としては、ただ単に史実を示すだけではなく、文化的な能力というものを身につけていかなければいけません。つまり、歴史というものをある解釈として理解していくということであります。
そして、今、私たちはグローバルな社会の中で生きていっているわけで、例えばインターネットなどもあるわけです。そして、そういった中で歴史というものを正しい形で示し、あるいはまた、正しい解釈と結びつけていかれなければいけないわけです。その歴史的な情報というものがメディアでどのようにして伝わっているのか、そして、どういった形で伝えていかなければいけないのかということなどをクリアにしていかなければいけないと思っています。


外岡
ありがとうございました。
第2部からご出席の予定だった北岡先生が途中から参加してくださいまして、山室先生の基調講演は聞いていらっしゃらないので、きょうこの会合に臨むに当たって、皆さんご存じのように、歩平さんとカウンターパートで今、日中共同研究をされておりますその座長を務めていらっしゃいますので、そのお立場から、今の進行状況について後ほどちょっと、コメントをいただけたらなと思います。
今、ざっと簡単にまとめたいと思いますけれども、三谷さんからは政治家のリーダーシップの重要性、それから、対話においてはまず差異を前提にコンテクストに迫っていくというアプローチが大事だというコメントをいただきました。
君島さんからは、やはり未来志向ということ。それから、事実と認識を切り離すことはできないということで、やはり歴史解釈の共有ということを民間同士の間でまず地道に交流を積み重ねていくべきだというご発言。
それから、周さんからは多様性の大切さ。皆さん、ご存じかもしれませんが、周さんは『図説 台湾の歴史』という本をお書きになってベストセラーになっておりますが、その中で4つの族群ということで、従来言われていた外省人本省人に加えて、●南(ビンナン ●は門がまえに虫)、それから、客家(ハッカ)、●南は本省ですけれども、客家と、あと、少数民族のカテゴリーを加えて、非常に多極的に歴史をとらえるということをなさってこられたわけです。そこで、多様性の大事さということをおっしゃいました。
それから、鄭さんのほうからは、みずからの留学体験を踏まえた当時の困難さ、それから、いかに韓国の歴史のとらえ方が変わって、最近は外国とも非常に対話の道を増やしているかという、非常に刺激的なご報告がありました。
歩平さんからは、80年代以降、中国の歴史界にも大きな変化が起きているということ、それから、自国中心の歴史から東アジア全体へというふうに大きな潮流が変わっているというご発言がありました。
朴さんからは、あえて異論を唱えるという前提でしたが、ナショナリズムが実は格差を拡大するグローバリゼーションの実像を覆い隠しているという、そういう危険性をまず意識してなくてはいけないんではないかと。それから、靖国参拝、小泉さんの靖国参拝については半々だとおっしゃったわけですけれども、半々の残りの半分の人にどう受け入れてもらえるのかという意識が大切だと。それから、もう1つ、山室先生の責任をとってしまった日本を目指すということでいいのかと、正しい日本というその未来志向の目標というのがほんとにいいのかどうかというご発言がありました。
ジモーネさんからは、ドイツの実例、とりわけ、ポーランド領に編入された国土から追い払われた戦後のドイツの人たち、その人たちをめぐって、加害者が被害を受ける場合もあるんじゃないか、あるいは、そういうことを主張していいのかというのが今ドイツで大変な問題になっているわけですけれども、そういったものを踏まえて、未来志向、それから、批判的に歴史を見る能力、それから、史実だけではなくて文化的な解釈をする力というのをやはり若い世代に身につけてもらうというのが大事だというお話がありました。
ということで、ちょっとこれまでの話の流れとはずれるかもしれませんけれども、北岡先生に、今の進行状況、あるいは、先生がきょうこの席に臨むに当たって一言、短くて結構ですので。
●我々はまだ出発点、専門家の役割は大事
北岡
じゃあ、ほんとうに一言だけ。
山室さんの事前のペーパーは読んできて、これのとおりお話しされたかどうかわからないですけれども、冷戦後の一般的な歴史の噴出というのは妥当するのかなという気はするんですね。これは特に東アジアに顕著な問題であって、東アジア型の冷戦の仕組みの中に、戦後すぐに我々が直面すべきだったいろんな問題が封じ込められてしまった。それが冷戦後に噴出したということです。
他の地域の紛争は、例えばヨーロッパにおける独仏の和解は戦争直後から始まっているわけで、長い年月をかけて、当時のソ連(ロシア)という共通の脅威がある中で一緒にやっていかざるを得ないという中でそれが進んだというところと比べると、我々はまだほんの出発点に立っているに過ぎないということ。
それから、他の地域の歴史問題ですね。世界中で歴史問題というのは方々にあるわけですね。トルコとアルメニア、そして中東はもちろん、さまざまな問題がある中で、それぞれ違った要素があるという中で我々はこれを考えていくべきだろうと思っています。
もう1つ、来たときにちょうど歩平さんが話しておられたんですけれども、私が一言強調したいのは専門家の役割ということなんですよね。今の時代というのは専門家が進んで自分の専門に閉じこもるという傾向が非常にあるわけですね。私は政治学であり、かつ、歴史学ではあるんですけれども、政治学の世界では政治学に興味あるけれども政治には興味がないという大量の若者が出てきているわけです。自分の分野で評価される、レフェリー・ジャーナルに掲載されて評価されるのが目標であって、日本の政治をどう分析するか、世界の政治をどうするか、それは関係ないというのが結構多いんですよね。私の長年の友人である三谷さんは幕末の専門家であるけれどもこういう問題をやっていらっしゃる。ほんとの専門家は何してるのかという問題があるんだろうと思うんですね。
専門家には専門家の社会的責任というのがあると思うんです。歴史和解に取り組むというのは決して専門家にとって楽しい仕事でもなければ、成果のあるリウォーディングな仕事でもない。けれども、やはり専門家として社会で一定の待遇を受けているからには、それに対応していく責任があるだろうと思うんですね。ですから、それは決して容易なことではなくて、私も人集めに結構苦労したということなんです。
他方で、例えば新しい歴史教科書をつくる会の活発なメンバーを見ると、これはアクティブメンバーは非専門家なんですよね。ということも我々は留意すべきだと。専門家はもうただ自分の専門だけにこだわるんで、やはりグローバルな視野を持った専門家というのが、そして、社会的責任を感じる専門家というのが大事なんだろうなと思っています。
それで、もう1つは、メディアというのは、新聞の主催のシンポジウムで言うのはあれなんですけども、人が犬をかんだらニュースになるのが新聞の世界ですから、犬が人をかんでもニュースにならない。当たり前のことを言うのは報道されないけれども、異常なことを言うと、政治家が妄言を言うと報道される世界なんですよね。
だから、そういうときにあって、多くの人が字を読み、あるいは、インターネットを駆使し、そういう中で、それに必ずしも流されない専門家の責任というのは一段と大きいような気がしております。
外岡
ありがとうございます。
いろいろなコメントが出て、これだけでも大変興味深い議論が展開できると思うんですが、議論は2部のほうで皆さんにそれぞれ10分程度、さらに今の疑問点を含めて展開していただくことにして、1部の終わりに山室さんに、皆さんのコメントをお聞きになっての一言を。

山室
わかりました。
皆さんのコメントを聞きまして、私が提言いたしました第1の基本的人権の尊重と民主主義というのは、少なくともこの場では守られているなと感じました。
逆に申しますと、先ほど朴さんがおっしゃいましたように、実は全く意見の違う人の場ではこういう議論さえできないということが事実として存在するわけですね。朴さんのご意見に対しての感想ですが、私が共通認識ということを言ったことは、別に決して正しい日本とかあり得べき日本、あるいは一つの正史というものを出すべきだというふうに言っているわけじゃありません。例えばここで鄭先生や朴先生は日本で、つまり留学されて勉強されたわけですから、ある種日本語のターミノロジーの中で認識をされているわけですから、ある意味でいうと共通の基盤に立つことができます。例えば歴史学についての共同研究でありますとか共通教科書の作成などは、そうした基軸を共有していく作業でもあるわけですね。つまり、どこかに基軸がなければやっぱり対話というのは、私は成立しないように思うんですね。
先ほど申しましたように、この1番目と2番目につきましては、もちろんもう東アジア世界においてもかなり広がってきていると思います。必ずしも日本が先進国であるわけでもないということは先ほど申しました。
3番目の人間の保障と、人間の安全保障というのはまさに1994年の国連の開発計画が出したように、これからのいわば世界の目標であるかもしれませんが、なぜあえて人間の安全保障とかと言うかといいますと、国家の安全保障ではないということなんですね、私が言いたかったことは。つまり、北岡先生がおっしゃるような歴史家の課題がどこにあるのか明確にはわかりませんけれども、とにかくそれは私は国家の安全保障ではなくて、まず人間の安全保障という点に目標が置かれるべきではないかと思うからであります。
いろんなテーマやご意見がありましたのでなかなか全部にお答えはできませんけれども、例えば人間の基本的人権の問題に関して言いますと、周先生の書かれました台湾史が大変におもしろかった点は、女性という観点から歴史を書かれたわけですね。つまり、これまでの「国民の歴史」というものはあくまでも成人の男性の視点から書かれた歴史だったわけですね。そういったものではなくて、ハー・ヒストリーというものも一緒に含めて書いていくような歴史というものは、実はそれは男女の平等な人権という基軸からも私は要請されてくるのではないかと思います。
他方、グローバリゼーションの中で、朴先生や周先生がおっしゃいましたようないろんなネガティブな側面がたくさんあります。とりわけ、周先生がおっしゃいましたように、また私も報告の中で触れましたように、グローバリゼーションの中でいわば少数言語や少数民族が日々いわば地球上から消えていっている事実があるわけですね。
そういう問題を実は一方で歴史がとりあげるとするならば、それは日本の場合はアイヌであったり、沖縄であったりするわけですけれども、そういったものの場合でも、やはりそこに何か人権としての文化といった基軸がなければ議論はできないだろうと思います。
また、三谷先生や君島先生がおっしゃいましたように、ある意味で私もやはり差異をまず出すべきだと思っています。事実これまでも出されてきていると思います。ですから、おそらく北岡先生が今度編集なされます日中共同研究も、例えば7・7事件といいますか盧溝橋事件について、同じテーマに対して日中はどう考えるかということをやれば対比ができるわけですね。そういった議論というのを私はしていくべきだと思っています。
他方、私が提言する際に懸念しておりますのは、第1の提言としての「連関史としての東アジア史」のほうに私は批判が来るかと予想していました。ご存じのように、東アジアという概念をつくり出したのは近代の日本でした。近代日本はそういう地域概念を必要としたわけです。皆さんご存じのように、明治27年にできました日本史、東洋史西洋史という現在の大学を覆っておりますあの研究・教育組織もまさにそういった日本が西洋と対立し、そして、東洋とどういうふうにいわば接合していくかという課題への対応でもあったわけですね。
私が申し上げたかったことは、しかし、にもかかわらず、例えば韓国におきましては、金泳三政権ができた段階で世界化、グローバリゼーションということが議論になる中で、東アジアということも議論になってきましたね。つまり、周先生ともこの前お話ししたんですけれども、周先生もいわば台湾というものを確認しながら、自分たちの歴史の中で、海洋世界としての東アジアをどう描けるかということを書いてみたいとおっしゃいました。
そういうふうに、私どもはある意味でいうと国内におきましてもさまざまな差異というものを見逃してきましたけれども、同時にまた、その差異の中にある共通性というものを国境を越えることで発見していく可能性もあります。その意味で今後は東アジア世界の台湾、中国、日本というものそれぞれについて一体どういうふうに歴史を共有してきたのか、ということにも注意を払うべきではないか、ということも私は思っております。
また、グローバリゼーションの弊害に関していえば、これはメディアとの関係で申しますけども、私はインターネット時代というのは非常に怖いのは、やはりミラーエフェクトがあることなんですね。つまり2つの鏡を向かい合って立てたように、一方が他方を増幅して映し出し、それが次にどんどん乱反射していって、全くお互いの顔を見ないままにその像ができ上がっていくという時代だと私は思っています。だからこそ、その2枚の合わせ鏡の外側から見る視点というものを自分で持たなければ、自分たちがその乱反射の中に巻き込まれてしまうと懸念するわけです。
そういう観点からしますと、私はもっとその連関というものと、つまり対立の歴史であった東アジアであるかもしれませんけれども、しかし、朴先生や鄭先生、周先生も含めて留学体験者の第三者的な視点が重要性をもつように思いますし、留学生というのは実はもう日清戦争の直後から始まっているんですね。そうした留学生の交流の中で東アジア世界はできてきたわけであります。
そうやってできてきた東アジア世界についても、やはりきちんと押さえる。つまり、つながっていた部分と切れた部分と両方やはり見ていくべきだというのが第1の提言の意味でした。しかし、連関史というのは、決してつながっている次元だけをみるわけじゃありません。連関するという見方を採ることで、そこに初めて断絶が見えてくるのではないでしょうか。私は思想連鎖と言っておりますけれども、それは実は思想断鎖を見るための方法でもあるわけですね。
いずれにしましても、私は今いただきましたご批判の多くは妥当すると思っておりますし、私自身は決してポリティカル・コレクトネスといいますか、「これが正しい歴史だ」みたいな歴史を出すつもりは全くありません。むしろ、差異を大事にしたいからこそ、お互いの差異をぶつけ合うためにも、せめて最小限のミニマムな共通項を捜し出しましょう、というのが、実は第2の提言の意図であったわけであります。
もちろん、これにつきましても、先ほど言いましたように、さまざまな形でご批判が可能だと思いますし、私自身これから考えていきたいと思っておりますが、ご意見を伺いながら一応そういうことを考えていました。
外岡
ありがとうございます。
それでは、議論が深まりそうなところなんですが、とりあえずここで休憩をとらせていただいて、第2部になってから、先ほどお話のあったジモーネさんからの基調報告をいただいて、その後、さらにパネリストの方からご意見をいただいて、それを踏まえて会場の皆さんとも話をしていきたいと思います。
それでは、どうもありがとうございました。
司会(糸永)
ありがとうございました。
これで第1部を終了いたします。これよりおよそ15分間の休憩に入ります。