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シンポジウム「歴史和解のために」【第2部】質疑応答

【第2部】質疑応答

外岡
どうもありがとうございました。
会場から、ここはぜひ聞いておきたいとかご意見があったら挙げていただきたいと思います。それじゃあ、時間がないので2つ、日本だけということでお願いしたいと思います。もう1回手を挙げていただけますか。じゃあ、一番後ろの方、その方、青い服の方。
質問者(サカモト)
国際基督教大学3年のサカモトと申します。
きょうの議論の全体として思った感想が、国ベースで議論されているなというのが感じました。例えば日本、韓国、中国というので。ただ、現実問題として、例えば東アジアの海洋史を語る際に、例えば琉球王国、沖縄の問題があったり、あるいは、中国であればチベットの問題などがあると思うんですけども、そこでレシッヒさんにちょっとお伺いしたいんですが、国際教科書などをつくる際に何かマイノリティの問題とか、あるいは、2国間の問題でも、その国に内包する少数派とかそういう問題があったのかどうか、あるいは、それ、あった際にはどのように対応していったのかというのをお伺いしたいです。
レシッヒ
私から見て、この少数民族という人の対応というのはヨーロッパではまだまだ不足しているところがあると思うんですね。非常に多様な文化に対してどういうふうにアプローチをしていくか、それを歴史の面から。
しかし、セッティングはナショナルなセッティングになっているんで、そうしたマルチカルチュラルなところにどうやってアプローチをしていくのか。例えば、スペインなんかでもそういう問題がある。そういう少数民族がいるという意味がある。こうした地域で、確かに若干そのような教科書ができているというところもありますけれども、これを統合した歴史というものに持っていけるかということになりますと、まだこうした少数民族の問題というのはなかなか十分に扱えていないと思います。
例えば、ユダヤ人なんかもそういう少数民族ということに入るわけで、これが教科書の中にもっとこれが扱われるべきだというふうな声もあるわけです。これが十分である、いや、まだ十分でないというような議論が実際行われているわけで、これを統合した歴史に持っていくということがまだ問題であるということは実は私どものまだまだこれはチャレンジの1つとしてあるんですよということをもともと前もって申し上げておきたかったわけです。
これはむしろこのアクチュアリティを今より大きく持った問題点の1つだろうと思うんですね、この国境を越えた教科書をつくるに当たっては、ということです。
外岡
もう一問、じゃあ、前の方、お願いします。
質問者(オウ)
私は中国社会科学院日本研究所のオウヘイでございます。
さっき、山室先生のご基調講演を聞かせていただいて、とてもうれしかったんですけれども、先生は過去の歴史に対して、世界史に対して2つの潮流があるというふうにまとめましたが、私はそれに対して賛成しますけれども、しかし、先生が使っている概念に対してちょっと違っている見方があります。
つまり、1回目の潮流は私はグローバルという言葉は使わなくて、グローバリゼーションという言葉は使わなくて、西洋化、そうでしょう、全球化じゃなくて西洋化といいます。
2番目の潮流は、私はアメリカ化というような概念を使っています。なぜかというと、西洋化と、西洋とかアメリカとか、グローバルじゃなくて世界の一部分だけでございますね。
または、先生のご提言が2つありますけれども、1番目の提言は、つまり東アジア共同歴史研究所ですね、成立することに対して私は両手を挙げて賛成します。しかし、2番目の先生のご提言に対して、ちょっとなかなか納得できない感じがします。しかし、パネリストの方々は全く賛成、それから、ほとんど賛成というふうにコメントをしましたけれども、私は西洋中心主義が好きではないし、パネリスト中心主義も好きではありません。
さっきは、山室先生は女の学者のご意見を尊重することは人権を尊重する一部分だというふうにコメントしましたよね。しかし、私はさっきの台湾大学の女の教授と、全く違っている意見を持っています。だから話させていただきたいんですね。
私の考えでは、歴史和解とか共同の歴史認識を持つために、まずはアジアの近代、アジアの歴史におけるその矛盾は何かに対して、共通の認識は持っているわけですね。つまり、近代のアジアにおける2種類の矛盾があります。1つは、アジア民族、国々と、欧米の植民地、植民主義、国との間の矛盾ですね。もう1つの矛盾は、アジアの中の侵略国と侵略された国との間の矛盾ですね。日本が発動した戦争も2つの性格があります。1つは、東洋と西洋の間の文明の衝突、もう1つは、アジアの国々に対している侵略ですね。
今はアジアでは共通の歴史認識を持つことができない原因は、日本は一部分の学者は前者ですね、一生懸命に前者ばかり強調していますけれども、侵略された国は後者、2番目ばかり強調しています。だから、共通の歴史認識は持つことができない。だから、もしこれからの歴史共通認識を持つための帰着、提言などをもし出せば、人権じゃなくて次の3つから、3つの方面ではないかと私は考えていますね。
1つは真の歴史事実の解明、1番ですよ。2番目は理性的な思考、良識。3番目は西洋中心主義からの解放、その3つではないでしょうか。私はそう考えています。
外岡
わかりました。その段階で。
質問者(オウ)
すいません。1つだけ、一言だけですね。
ほかのパネリストに対して別にないですけれども、ただ、台湾の大学の周教授に対してちょっと一言話したいですね。
教授のお話を聞いて、この教授は歴史学部の卒業生ではないかと今思っていて、その履歴書をちょっと見て、その先生は台湾史だけ勉強しています。今は教えているのは台湾史ですね。
もし台湾史だけであれば、東アジアの問題、あるいは、アジアの問題を議論することに対してちょっと無理ですね。これから、できるだけ中国史やアジアの歴史を少し勉強してくださいませんか。発言は以上です。


三谷博氏
外岡
それぞれの歴史家もやはり日本史だけを勉強している方とか、中国史だけを勉強してる方もいらっしゃいますし、あるいは、その国の歴史を掘り下げるということはおのずと隣国の歴史も勉強せざるを得ないわけですから、今おっしゃるようなご懸念はないと思います。
それでは、きょうほんとうは会場との質疑をできるだけ多くしたいというふうに思っていたんですが、どうしてもパネリスト偏重主義になってしまいまして、結果的にこのように一方通行になってしまって申しわけございません。司会者として不手際をおわびしたいと思います。
ただ、それぞれのご発言が相次ぐ中で、おのずとその中にダイアログに近いものがきょうは醸し出せたんじゃないかと思います。1つ共通してあったのは、歴史事実と歴史認識を切り離すということはやはり難しいでしょう、しかし、それを共有するということをあきらめてはいけないというのがきょうのパネリストの皆さんのほぼ共通した考え方だったと思います。その中で、冷静に、しかも、相手に対して開かれた態度を持ち続けるということが共通の歴史認識を切り開くための態度であるということが確認されたと思います。
あと、教科書がどれほどのものかというご発言もありましたけれども、確かにそのとおり、日本で昭和史というのはほとんどきちんと教えられてないというのが、多分、三谷先生の世代……。
三谷
今は違う。
外岡
今は違うんですね。
三谷
我々の世代はそうだけど。
外岡
そうなんですよね、今は違う。
北岡
ちょっといいですか、15秒しゃべらせて。
外岡
はい。
北岡
昭和史、タブーだとおっしゃって、私、今まで日本史の受験試験問題を15年ぐらいつくったことがありますけれども、昭和史が出なかったことは一度もありません。立教大学ですね。
外岡
で、きちんと授業でも教えられていると。
北岡
それは知りません。しかし、試験に出るからやっぱり勉強はしますよ、それは。
外岡
三谷先生、どっかで書いていらっしゃいましたけど、三谷先生の世代ではほとんど明治維新日露戦争ぐらいで終わって、後は教科書読んどきなさいという。
三谷
そのとおりですね。同世代の方に聞くと、そうでした。
外岡
私もそうなんですよ。
三谷
だけど、3年ほど前、東大の学生にアンケートをとってみたら、ほとんどちゃんと勉強してる学生が圧倒的に多かったです。
外岡
そうですか。ということなんだそうです。
ということで、教科書には特に国家、あるいは、政治家の関与、コミットメントが非常に重要だということが報告をされたと思います。ただし、北岡先生がご指摘になったように、専門家の責任、あるいは、メディアとしての責任がやはりそれ以上に重いものとして問われるだろうなと、これは私どもの責任として受けとめたいと思います。
最後に朴さんがおっしゃった、既に95年の謝罪問題そのものが歴史であるということ、それを我々は解き明かさなくちゃいけないということ、これはできるだけ早い機会に私たちも仲間に問題提起をしたいなと思います。
それから、10年、1つの区切りなんでしょうけれども、次のパラダイムの転換を目指して、もうそろそろ共同作業に入ってもいい時期に来てるというご提言を真摯に受けとめたいと思います。
ということで、きょうは長時間だったんですが、会場の皆さんには十分ご発言していただく機会を設けられなくて大変申し訳ございませんでした。ほんとにご静聴ありがとうございました。それから、パネリストの皆さん、どうも長時間ありがとうございました。
それでは、これで終わりたいと思います。
司会
皆さん、長時間どうもありがとうございました。
―了―