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黒い雨(1989)正統的原爆映画

メディア:映画 上映時間:123分 製作:今村プロ・林原グループ 配給:東映 公開:1989/05/13 製作費:3億3000万円(回収できず)
監督:今村昌平 原作:井伏鱒二『黒い雨』 脚本:今村昌平石堂淑朗 音楽:武満徹

出演:
田中好子(高丸矢須子)主人公、呉におり原爆直後の広島を重松と歩く、黒い雨を浴びる、「あれは被曝者だ」との噂でなかなか結婚できない、
北村和夫(閑間重松・矢須子の叔父)主人公、広島の工場に勤める、原爆直後の広島を歩く、原爆症で体が悪い、地主で村で隠居する、矢須子の結婚に努力する
市原悦子 (閑間シゲ子・矢須子の叔母)重松と一緒に原爆直後の広島歩く、いつ原爆症が出るか不安でおがみやを呼ぶ、矢須子の母に劣等感、原爆症で死ぬ
原ひさ子 (閑間キン・重松の母)老婆でぼけてる、シゲ子を矢須子の母と間違える、結婚するなと言う

小林昭二(片山・重松の友人)ピカの仲間、原爆症で体悪く働けない、闇屋、池本屋の女と仲良くなる、原爆症で死ぬ
小沢昭一 (庄吉・重松の友人)ピカの仲間、池で鯉を飼うことを考える、原爆症で死ぬ
三木のり平(好太郎)村の結婚斡旋人、矢須子に見合い口を紹介する、原爆症で死ぬ

沢たまき(池本屋のおばはん)村の色っぽい中年女、ピカ男とよい仲になる
立石麻由美(池本屋文子)その娘、キャバレー勤めしてたのが帰ってきた
石田圭祐 (岡崎屋悠一)村の石屋、戦争神経症でエンジン音で発作的に特攻の真似をしてバスを止める、矢須子と心を通わせる
山田昌(岡崎屋タツ)悠一の母、優しい、元重松の小作?で貧乏、シゲ子死亡後は矢須子の世話をする
三谷昇(郵便局長)村の郵便局、矢須子に働き口を持ってくる
大滝秀治(藤田医師)村の医者、矢須子の健康証明書を書く、
石丸謙二郎(青乃)矢須子に求婚する若者、隣村の工場の息子、朝鮮戦争で景気がよい、

常田富士男(ヤケドの四十男)原爆直後の広島で会う、倒れた家の下に妻と子を残して逃げたと告白
殿山泰司(老僧)原爆直後の広島でお経の本をもらう、

感想

 原爆の悲惨さと被曝者の死の恐怖の苦悩を描く、演出力豊かな映画。5年後の被曝者の死に至る様子を主に、原爆投下時の惨状を部分的に挟む、主流の表現方法によるものではもっとも演出力豊たかで観客の哀れみを誘う物。原爆や戦争への反対のメッセージは表向きはないが、関係した台詞や描写があり、観客は感じるだろう。次々に死ぬ被曝者の恐怖、可哀想な女で涙を誘う名作。上の中。
 戦後5年たっても被曝者であるとの噂で嫁に行けない娘の話を中心に、原爆と被曝者を描くもの、物語中で主人公を含め被曝者の健康不安と、いつ原爆症が現れるかという不安、被曝者との噂で嫁に行けない差別、彼らが次々に死についに主人公にも原爆症が現れるというサスペンスや恐怖などがよく表現されている。主人公は原爆投下直後に広島市街に入り黒い雨も浴びた女性で、1950年という物語の時点では、被曝のメカニズムが不明で、黒い雨の内容も不明で、入市被曝の恐ろしさも調査されておらず、投下時には広島におらず被曝者ではない、という主人公らの主張は納得できる。
 映画は冒頭、広島市外で茶席に参加していた主人公の娘と、広島市内で被曝した叔父を対象的に見せて、被曝状況を示している。その後2人は市内で合流し、原爆投下直後の市内の惨状が描写されている。この惨状は時間は時間は短いが劇映画中ではもっとも丁寧に、現実に即して、最も悲惨さを示すよう構成されている。皮膚をぶら下げレ歩く少年、顔がふくれあがり兄弟でも見分けがつかない様子、亡者のような恐ろしい様相の人々、家の下敷きになり助けを求める人、閃光で目が見えなくなりビルから転落する人、家族を燃える家に残して逃げた人など、悲惨である。今村監督は「声高に語らない」としているし、同時期に「八月の狂詩曲」を製作した黒澤明は「悲惨な場面は作れない、観客が目をそむけるだけだから」と言っており、こうした悲惨な場面に監督が否定的な態度を示している、その中での構成であり「抑えめの演出」との意図から短時間なのは理解できる、だが、これだけきちんと構成されていれば観客には相当強い印象を残したのではないかと推測される、この映画でこの悲惨な場面に言及する批評家は少ないが、原爆映画史上で最も印象的なシーンとして高く評価すべきだ。
 映画は主人公の娘の結婚話が流れる間にその周辺の被曝者が次々に死に、主人公にいつ原爆症(それは死を意味する)が現れるか?という大変なサスペンスを構成している、その中で主人公の娘が入浴中に髪が抜ける場面は、明確な台詞もなく、窓からのぞき込む限定した画面構成ながら印象的で、ヒッチコックのサスペンス映画のように、いつ危険がくるか期待感を高まらせた観客には涙を禁じ得ないし、実際その通りであろう。明らかに演出力により悲劇的効果を高めている。また映画中には「朝鮮戦争アメリカ大統領が原爆使用を検討している」とのニュースに批判する叔父の台詞や、「正義の戦争より不正義の平和がまし」「朝鮮戦争で景気がよい」との台詞や、「ストックホルム条約で原爆反対」という街宣車の場面もあり、更に戦争神経症の男の描写など、映画全体の原爆反対・戦争反対の明確だ。多くの原爆映画が事実を語るだけで、殊更悲劇的演出を行っていない中、この映画の脚本と演出は映画的手段により最大限の力を持って、悲劇のメッセージを観客に与えているだろう。それはけして台詞でもダイナミックな場面でもないが印象が深いという意味で「声高に語る」という事であろう。「声高に語る映画は芸術性が低い」という批判に答えて、「声高には語らぬ」としたが、そうした単なる修辞的・批評文化的・文言はどうあれ、実際には優れた反戦映画・原爆反対映画になっている。
 1953年の「ひろしま」は史上最も原爆の悲惨さを訴えた名作であったが、それ以降、原爆投下の惨状を主にした映画が製作されなくなった。その中で「ひおろしま」を除き、声高にせず、控えめな表現を心がけた本作が、原爆の悲惨さを訴え、反原爆・反戦争を訴える点で、現状では劇映画としては最も印象深い、強いメッセージを与える映画となっていると思われる。