zames_makiのブログ

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花を売る乙女(1972DPRK)抵抗映画

朝鮮芸術映画撮影所  1972年   135分  日本語字幕付 上映用DVD
主演:ホン・ヨンヒ  監督:パク・ハク
 日本の統治時代に、貧しい家族のために、山野で摘んだ花を売る乙女。しかし、悪辣な地主が一家をいじめる。盲目の娘と、病弱な母、苦しむ家族。耐えかねた兄は、家を出て独立運動に向かう。救いは訪れるのか……
 もともと革命オペラとして上演されて好評だった作品を、映画化したもの。劇中で歌われる主題歌「コッ・サシオ(花を召しませ)」は名曲である。 なお、主演のホン・ヨンヒは、共和国の1ウォン紙幣の肖像画になっている。

手短なメモとしての感想

125分中110分は主人公らが地主にいじめられるとてもマゾヒスティックな映画。現代のそしてアメリカ映画を甘受してきた観客からすればあまりに偏った物語。お話が一方的で変化が乏しくあまり娯楽的ではない、また筋立ての細部に人間性の描写があるわけでもなくあまり文学的ではない。大きな物語「虐げられる民衆」と「反抗」以外に要素は少ない。なのでこの映画が名作として朝鮮の人に親しまれているのはいくつかの偶然のためではないか?

1:虐げられる部分が過剰に長い原因として、原作は1930年代に製作された演劇で、本来は歌などでもっと抵抗が強く呼びかけられる構成だったのでは?しかしそれが、何度も上演されDPRKの人々に知られてきたため、本来の主題(目的)である日本による支配体制への抵抗のよびかけは既知でありそれを描くよりも、か弱い人々のいじめられる姿の描写に力点が移り結果として引き延ばされてきたのではないか?同様な事はレミゼラブル(2012年)でもおきている。映画は物語を説明するより見せ場であるいじめ場面を次々に点描する。人々によく知られた物語が筋書きより末節部分に重点が移る普遍的な現象ではないか?

2:原作である1930年代に製作された演劇は本来は人々に抵抗を呼びかけるためのもの。しかしこの時点で日本への抵抗運動はほとんど実績がなく、抵抗する姿自体をを物語の主要部分にするには無理があった。このため物語は朝鮮の民衆がいじめられる姿をえんえんと描き、最後にそれが支配者の圧政にあると覚醒を呼びかける形しかとれなかったのでは?本当は華々しい日本人への反撃を描きたいがそれはあまりに無理がある。この映画では無慈悲な地主が民衆に倒されるラストになっているがこれは論理的ではない、小作が地主に反抗できるはずがないから。このためこの映画でもラストはとても短く具体的でなく、それはいわば「抵抗のイメージ」でしかないだろう。

3:朝鮮人の民衆性、「哀号」を描く事への親和性のため。