zames_makiのブログ

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「自衛隊協力映画」(大月書店)への意見・疑問

 読了、須藤氏講演会にも参加。映画と政治をむすぶ貴重な研究だ、「帝国の銀幕」「朝鮮民主主義人民共和国映画史」に並ぶ研究では?社会学の研究者が映画を「死んだ遺物」のように、映画内容を自分で評価吟味せず当時の映画評だけで議論するのではなく、自分で「こういう意味になっている」と(政治的に・芸術的に)評価しているのがまともだ。だが種々疑問あるのでメモする。

(意見)

  • 一般の関心は「自衛隊の映画協力作業」ではなく、「映画による自衛隊宣伝」にある、自衛隊が正式に協力しているか否かに限らず、映画による自衛隊宣伝全体をテーマにすべきではないか?1960年以前の資料のない正式協力映画、自衛隊は協力していないが勝手に自衛隊宣伝してる映画、非公式に自体隊が協力・指図している映画、も含めて研究対象にすべきでは?
  • 同様に一般には「国家による自衛隊宣伝研究」の方が関心高いテーマでは?であるなら、国家(自衛隊)による宣伝&プロパガンダの意図的な隠匿があると頭に入れた上で、国家が自主的には出してこない資料の存在を前提に研究すべきでは?最近の占領期の映画の研究の様子や、GHQが許可した警察予備隊の宣伝映画の存在、CIA出資による反共映画の存在から、国家による意図的な隠蔽はあった事は確かだろう。
  • 自衛隊の宣伝をテーマにするなら、最近の民法テレビ5時台のニュース枠でよく放送される、自衛隊員の成長ドキュメンタリーなどが、より適した対象になるのでは?映画に限らず、テレビ番組・ビデオ・イベントなどを通じた自衛隊の宣伝活動全体が対象になるのでは?
  • ガメラなどSF映画での自衛隊宣伝は詳述されてる一方、戦争映画での自衛隊宣伝が詳述されていない。戦争映画で天皇出てこないのは自衛隊への配慮ではなくタブーだからだ、研究者の戦争映画への背景知識不足している。

(疑問)

  • 映画会社に経済論理以外の動機や傾向あるのでは?松竹は自衛隊協力映画1本もないなぜ儲かるのにやらぬのか?、東宝は最初期から自衛隊を映画に登場させているが、その描き方は彼らとしての一線があった=明確な自己規制があったと思われる。製作する側(映画会社)への調査・取材がもっと必要では?
  • 情報隠蔽を前提に、情報公開法など利用した自衛隊(映画に協力する側)への調査も必要では?
  • 男たちの大和」の監督は平和主義者、物語の筋に自衛隊宣伝の意図あると思えない。人情的自己犠牲の物語がどう自衛隊宣伝になるのか、映画表象ではなく視聴者の受容分析などのアプローチがいるのでは?
  • 同様に「永遠の0」の研究者自身の評価は正しいのか?多くの観客はあの映画は平和を希求するものと受け取っている、朝日新聞が「永遠の0」製作に加わっているのは彼らは平和的でよい映画との認識だからでは?朝日は原作=右翼エンタメ、映画=平和的としているのでは?
  • 時代の雰囲気ではなく具体的に今の映画人は自衛隊をどう考えているのか?金子修介など明確に憲法9条否定している、過去にも新東宝は同様だった。時代の雰囲気ではなく何がどう違うのか?
  • チャンネル桜のように積極的に映画で軍国主義賞賛したがる映画人もいる、彼らはどう考えているのか?なぜ自衛隊協力を利用しないのか?
  • 3.11で自衛隊の出動人数と露出は戦後最高になったのでは?なぜ「3.11自衛隊救出大作戦」「福島原発自衛隊出動記録」など、大衆の関心を呼びうる&金儲けのできるそうした題材の映画作られないのか?
  • 今後のありうべき自衛隊協力映画はどんなものか?「キャプテン・フィリップス」「シリアの花嫁」ありうるのか?