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「風立ちぬ」映画評=まともに宮崎を批判できない馬鹿ばかり

WEBRONZA(古賀太

高揚感は残るが納得もできない『風立ちぬ』の耽美主義(2013年07月27日):

 宮崎駿監督の5年ぶりの新作『風立ちぬ』を満員の劇場で見た。既に劇場で4分間もある予告編を2度も見ていたので、期待は高まっていた。内容は予告編通りで、関東大震災から第二次世界大戦までを舞台に、ゼロ戦の設計技師・堀越二郎の人生に堀辰雄の小説を合わせたものだが、いろいろな意味でこれまでの宮崎駿にない展開だった。

 まず率直な感想を言うと、高揚感と物足りなさの入り混じった不思議な気分だ。これまでSFやファンタジーで主として子供の世界を描いてきた宮崎が、一転してリアリズムで大人の世界を描いている。それも戦時中の話だ。(中略)

 それでも見終わって、なぜか物足りない。実際に劇場で見ていた時に、隣の観客から「これで終わり?」という声が聞こえたが、それは私にもわかる気がする。

朝日新聞(社会面記事)宮崎駿風立ちぬ』への戸惑い

宮崎駿風立ちぬ』への戸惑い(2013年7月27日)
 宮崎駿監督の最新アニメ作品『風立ちぬ』がヒットして、興行収入は100億円を突破しそうだ。8月に始まるベネチア国際映画祭のコンペ部門にも出品が決まり、最高賞である「金獅子賞」を狙う。物語は実在の人物、零(ゼロ)戦の設計者・堀越二郎の半生と堀辰雄の『風立ちぬ』を一つにまとめたような内容で、子供よりも中高年層が劇場に駆けつけている。しかし、いつもの作風よりもファンタジー色がかなり薄く、戦前戦中をリアルに描いているがゆえに、この「美しい映画」(宮崎駿)に戸惑う声もある。

朝日新聞(森直人)=判っていても批判できない馬鹿

評:ちっぽけな人間 静かに肯定【森直人・映画評論家】際どいところにあえて踏みこんだ映画だと思う。主人公の堀越二郎は、第2次世界大戦中、日本の代表的な戦闘機であった零戦を設計した実在の航空技師がモデル。少年期からの美しい飛行機を作りたいという彼のピュアな夢は、やがて戦争の荒波に呑(の)み込まれ、兵器開発というネガティブな政治性を帯びてしまう。それでも二郎は愚痴すら口にせず、軍需産業に携わるサラリーマン技術者として、ただ日々淡々と仕事を続けていく。最愛の女性・菜穂子を全力で守りながら。

 おそらく以前の宮崎駿なら、こういう人物の物語は描かなかっただろう。例えば「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」では、自然を侵す人間たちの愚行と戦う少女が主人公に置かれていた。あるいは「紅の豚」の飛行機乗りは、人間界に見切りをつけて豚の姿に変身するという反骨の美学を背負っていた。そんな正義の理念に生きる彼らが“ヒーロー”だとしたら、身の丈の生活者に徹するノンポリの二郎は“小市民”と言える。

日経新聞中条省平)=バカの典型

風立ちぬ 時代見つめる目に「あわれ」 2013/7/19付

 SFでもファンタジーでも童話でもなく、宮崎駿がリアリズムの新たな段階に立ったことに深い感慨を覚える。宮崎アニメの転回点となる一篇であり、この監督の今後の展開をさらに期待させる出来栄えだ。

 主人公・堀越二郎零戦を設計した実在の技師で、映画はその生涯を元に自由に物語を紡ぎあげていく*1。大正時代、豊かな日本の田園に育った二郎は、その空の上を飛ぶことを夢見る。だが、強度の近視で飛行士になる道は閉ざされている。彼は飛行機の設計者になることを決意する。『風の谷のナウシカ』以来、空を飛ぶことは、宮崎アニメの本源的な夢だ。その見果てぬ夢を、本作は『紅の豚』を超えるリアリティで描きだす*2。濃密さと大らかさの共存するこの夢の強度に感動させられる。

 二郎は勉学のため東大に向かって出発した列車で、生涯の女性・菜穂子と出会う。これ以降の、甘く悲しい恋の行方には、堀辰雄の実人生と作品が反映している。本作のタイトルもヒロインの名前もそれに由来する。難病ものの恋物語で落涙は必至だが、あざとい作劇とは無縁の潔さで、人間の愛と死を描きだす*3二郎と菜穂子を乗せた列車は関東大震災に遭遇する。大正デモクラシーは無残に終わり、日本は急速に戦争につき進む。この時代背景の描写に、本作の現代的意義がある。ここに描かれるのは遠い時代へのノスタルジーではなく、現在に通じる閉塞状況だからだ*4

 二郎は飛行機設計技師として抜群の頭角を現し、大空への夢を実現していく。困難と戦い、一途に自己実現をめざす二郎の姿はただただ美しい。だが、その代償は、愛する者の死という理不尽と、日本の破滅という歴史的必然だった。それを凝視する宮崎駿の目には、やさしさと厳しさ、そして、希望でも諦念でもない〈あわれ〉が宿っている*52時間6分。★★★★★(映画評論家 中条省平)<<

*1:どこが自由なの?主人公の性格描写もなく恋愛の展開もない、飛行機設計の背景はまったく説明されない

*2:映像はリアルだが物語は夢そのものである、早い話が全体が「夢落ち」というご都合主義の塊のような映画だった、それをリアルという愚かさよ、愚かな評論家はどこにでもいるものだ

*3:死はどこにあるのか?零戦に搭乗した者の死は?そして普通は描く恋人の死さえこの映画にはなく、なんとなく、で終わる、これで感動や落涙するならこんな楽な商売はない、まともな批評眼があればこれはあきらかな演出不足、物語の不足であり、その結果はツマラナイと評すべきだ

*4:映画に勝手に自分の関心を投影する馬鹿者の典型、こいつはどんな映画を見てもこのように見えるのだろう

*5:おいおい、監督が主人公を哀れむわけがないだろう、それにどこにそんな描写があったというのか!宮崎がやったのは零戦設計者としての戦争責任の放棄と、その結果おきた大量の死者=日・中・米の、の隠蔽である。最後にできあがった九七式戦闘機で何人の中国人飛行士が撃墜され死んだの中条省平氏はわかっているのか?判っていないで書いてるのではないか?、それは宮崎の隠蔽作業に完全に騙されたという事だ、宮崎は兵器オタクとしての自身の戦争責任を完全に隠蔽した訳だ