zames_makiのブログ

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明日を創る人々(1946)東宝

製作=東宝 公開:1946.05.02  82分 白黒
製作:竹井諒 松崎啓次 田中友幸 本木荘二郎 演出:山本嘉次郎 黒澤明 関川秀雄 脚本:山形雄策 山本嘉次郎 音楽:伊藤昇
主演:藤田進(藤田)高峰秀子(高峰)森雅之(電車の運転手=運動家)薄田研二(主人公事務員) 志村喬ダンスホール支配人=経営者側)中北千枝子(映画会社員)
=2009年NHKが全作品放送と言いつつ黒澤明フィルモグラフィーから削除した作品。黒澤明自身が生前から消し去ろうとしていたためであろう。

ネット上に存在する感想(2004年NFCで公開した)

http://lib21.blog96.fc2.com/blog-category-12.html

2004年秋に東京京橋のフィルムセンターは女優高峰秀子の出演作品約八〇本を連続上映している。9月14日午後7時は『明日を創る人々』の上映開始時刻であった。午後5時15分頃から行列ができた。普段と比べて並び始めが早いのかどうかは知らない。それでも「幻の黒澤作品」を見に来た観客が多いことは雰囲気でわかった。なぜ「幻の黒澤作品」なのか。『キネマ旬報』の黒澤作品リストには「この作品について黒澤監督は「自分の作品とは思えない」と語り、一般的にはフィルモグラフィに加えられていない」と付記されている。上映されたフイルムには山本嘉次郎黒澤明関川秀雄の3人が監督として連名で表示されていた。


1945年秋、すなわち敗戦直後から翌年春までの話である。鉄鋼会社の事務職をしている薄田研二の一家は、妻竹久千恵子、映画撮影所勤務の長女中北千枝子、レビューガールの次女立花満江の四人家族である。二階の部屋を電鉄会社の運転士森雅之が借りている。森の属する労働組合は闘争中でありそのために森は息子の病死もみとれない。この一家が勤める職場ではどこも労使が激突している。若い世代は労働組合運動の力を信じて戦う。昔風な労働者である父親はそれに懐疑的であったが、馘首されて初めて反対闘争のデモに加わる。1946年5月1日の朝、戦後初のメーデーに参加するために労働者が次々に会場に向かう。その鮮烈な姿を俯瞰して映画は終わる。


映画は第1次東宝争議のただ中で作られ5月2日に公開された。東宝撮影所は組合による「生産管理」状態であった。映画の冒頭タイトルに東急電鉄労働組合日本鋼管労働組合が協力したというクレジットが出る。高峰秀子は藤田進とともに俳優の役で芸名のまま出てくる。森雅之が電鉄労組の集会で激烈なアジ演説をぶつ。労働組合の結成、生産管理による戦闘的労働運動、財閥資本への憎悪、などが強調される。これは「戦後左翼の昂揚」を直裁に表現した組合運動礼賛の映画である。榎本健一の傑作喜劇や「戦争三部作」(『ハワイマレー沖海戦』、『加藤隼戦闘隊』、『雷撃隊出動』)を作った山本嘉次郎と『望楼の決死隊』、『敵は幾万ありとても』の脚本家山形雄策がシナリオを書いた。


見終わって直後の印象は「異様なもの」を見たというものであった。終映後の沈黙の空気から他の観客もそうだろうと私は思った。公開から58年経った今の時点で見ると、たしかに「異様」であり「滑稽」でさえある。しかし、この映画のスタッフが1946年からタイムスリップして現在を見たら何というであろうか。彼らもまた2004年の日本の風景は「異様」であり「滑稽」だというであろう。彼らは労働組合の組織率が20%を割り込んでいるのをみるであろう。「ストライキ」や「生産管理」という言葉は日本人の辞書にないことを知るであろう。「ソビエト連邦」という国家がもはや存在しないことを知るであろう。そして日本は没落しつつある経済大国であることを知るであろう。これらのすべてのことに彼らは驚愕するであろう。我々は遠くへ来たのである。この短文を書いているうちに、私は『明日を創る人々』への「異様」と「滑稽」という印象が薄れてくるのを感じた。私の気持は次第に「切ない感じ」に変わってきたのである。


 それは何故だろうか。この映画は、敗戦直後の「配給された自由」のなかで、組合運動によって自己実現しようとした労働者の混沌と挑戦を描いている。その「異様」と「滑稽」は、現在の我々の生き方を逆照射している。「異様」と「滑稽」は、実は我々に対するラジカルな批判に思えてくるのである。映画が「創ろう」とした「明日」は幻想であった。しかしそれに代わる確かな「明日」を、我々は創ったであろうか。我々は自由を戦い取ったであろうか。それを論じないで、この映画を批判するのは不遜というものではないか。これが「切ない感じ」に変わった理由だと私は考えている。

http://www.fiberbit.net/user/vega/asuwotsukuru.html

当時の実際の労働運動の様子がかいま見える映画でした。労働組合を作って会社の横暴に抗議して、業種が違っても労働組合同士がお互いに応援して、というのがあらすじですが、教員をされていたとんこさんによると、この映画より後の時代でも同じような感じだったそうで、かなり実際の感じを忠実に伝えているんでしょうね。映画で歌われていた団結の歌(?)は組合運動に欠かせないもので、やはり後の時代でもずっと歌われていたものだそうです。この映画は、撮影現場の様子もでてきて興味深かったです。

さてさて、今回の森さんは。森雅之は、鉄道会社に勤める電車の運転手であり、労働組合のリーダー!これがまた、実家に預けた子供が重病になっても、ストの最中で、労働運動の方を優先させて会いに行かない。憂いを含んだ横顔をみせて奥さんにお金を渡して「いい医者にみてもらえよ」といい残し、仲間の所に戻っていく…。もう、労働闘士って言ったって、やっぱりいつもの森さんじゃないの!と思っていました。そして、資本家はしたたかで労働者は団結するしかないんです、云々、と理詰めにさわやかに説明する森さんはやっぱり森さんでした。


ところが、終わりの方で、なんと森さんが大勢の労働者が集まった屋外で壇上に上り、あの、われわれ労働者はーっ、資本家達にーっ、搾取されているーっ(台詞どおりじゃないです)という感じの、演説を始めたじゃないですか!もう、森雅之映画史上もっとも大きな声!あのダミ声で、延々と大声で演説している。…ああ、森雅之は舞台俳優だったから声が出るんだなあ、というのが頭をよぎりましたが、わたし的にはあまりにもイメージとかけ離れていてイスからずり落ちそうになりました。大声と森雅之。ああ。いやあ、なんというか貴重なものをみせてもらいました、ということでしょう。


アナログ人間さんともちょっと話しましたが、後に蟹工船にも出演して、労働運動的なことにシンパシーを感じる面もあったのかなあ、などと考えました。だけど民藝をやめたのは、極端に共産主義的な人たちがいて嫌になったということもあるようなので、特に主義があったわけじゃないみたいですね。


しかし、労働者達をまとめる最後の一押しが、中北千枝子が演説で言った”堀さん(森雅之の役名)は、愛しい我が子の死に目にも会わず、労働運動に頑張ってきた”というのは、何だかなあ。そうそう、この映画は私が観た中で唯一、中北千枝子が主役の映画でした。


あとは、踊り子を酷使するダンスホールの支配人志村喬が、見事な関西弁を操り(と思ったら兵庫出身だった)、いやらしい感じを出しつつ笑える役で、コメディアンぶりを発揮していて面白かったー。