天皇会見問題の朝日新聞社説&関西テレビ番組を批判する
中国の習近平国家副主席と天皇の会見の問題では、産経新聞や安倍晋三などの自民党右翼政治家(安倍晋三は実際に日本最大の右翼団体日本会議のメンバー)から馬鹿けた批判がおきている。TBSみのもんたの「朝ズバッ!」など多くのテレビは右翼からの抗議をおそれてか、この問題をまともに考えておらず、ただ「天皇は偉い」だけを言いつのっているし、中にはこれを機会に公然と天皇崇敬宣伝(=戦前でいう国家神道のすりこみに近い)を行うテレビ報道番組もある。そしてそれら以上に朝日新聞の社説はおかしい。
<1>本当の問題を隠し非常に政治的な朝日新聞社説
朝日新聞は12月13日と17日の2回にわたってこの問題で社説を書き、いずれも民主党の対応を批判している。それをまとめれば以下だろう
(2)については同意だ、しかしそれはこの天皇会見問題ではなく、改憲にかかわる内閣法制局の問題だ。なぜ朝日新聞は天皇会見問題と見出しをつけて社説を書くのかまったく理解できない。社説の中でも小沢一郎の憲法解釈を批判しているわけではない、朝日の17日の社説天皇会見問題にひっかけて民主党を批判したいのだろう、いわば朝日新聞の天皇利用である。
(1)はついては朝日新聞が明らかに国民に嘘をついている。朝日新聞の書きようでは今の象徴天皇にはなんら政治的権能がなく、天皇の外国要人との会見もなんら政治的機能を持たないと言っている。そんな訳がない。天皇は憲法上も政治的権能があるがそれは自由ではなく国民の代表である内閣の指示に従いやっているのだ、そういう仕組みにする事で天皇が持っている政治的権能を抑えているのだ。なぜ抑えるか?それまでは天皇が巨大な権能を有しており日本を戦争に導いたからだ。
それは今回の件でもわかる。習近平氏が会いたがったように中国では天皇と会うことは中国の指導者として認められることと認識されている。つまり日本の政治的代表者と会う中国人が中国の政治的代表者(=国家主席)である、という認識なのだろう。同じ事は他の多くの国でもおきているだろう、日本を訪れ天皇と会ったことがその国で意味を持つということだ。こうした事は外国要人との会見に限らず同じ事は日本国内でも起きている。
天皇が出席する行事は日本の国家的行事である、彼がなぜそんな国家的行事で大事にされないといけないか考えてみるべきだ。そしてそれに出席し祝いの言葉を述べる事で、逆に天皇が国家の代表として国民に認知されてもいる。言い換えれば天皇がそうした行事で来賓として扱われることで天皇を国民に対し宣伝しているという事だ。これは非常に政治的な活動であり、中立とか、私的な文化活動などではない。
朝日新聞はそうした天皇の意味を覆い隠している。日本国憲法は最初に天皇の条項を置いて天皇の権利を制限して、その事で初めて今の象徴天皇制度があるが、朝日新聞の言い方では実際におきている天皇の限定された政治的活動をも、それは政治ではない、と言い切ってしまい、憲法の意味している事を隠してしまっている。
こうした朝日新聞の態度は高度に政治的なもので、憲法改憲もやむなしという90年代の朝日新聞の変化以降のもののように思える。朝日新聞はそれまでの単純なリベラル=民主主義尊重の立場では、読売新聞などの右派勢力(安倍晋三などの自民党の右翼政治家をその強力な源にしている)との戦いに勝てないと判断し、それに勝つためにこうした政治的態度をとるようになったように思われる。すなわち朝日は読売新聞などの右派勢力に勝つために、憲法自体の意味、天皇のあり方という本来的な意味に踏み込もうとせず、表面の政治的な動向にだけ意見を述べ、その方向性としては旧来の悪弊の温存につながるものだ。彼らは結果としてかなり右よりの立場で政治を眺め右派と共通の土俵で意見を争うことで自分たちの政治的主導性を保とうとしていると感じる。
そしてその悪弊を今現存撒き散らしているのがテレビであり特に悪いのが一部の報道番組だろう。
<2>公然と天皇崇敬宣伝をする恐ろしいテレビ
YouTubeにあったこの問題を伝える12/14の関西テレビの報道番組『アンカー』(http://www.youtube.com/watch?v=oJkIuGGtdCw)はそうした悪弊をよく示していた。番組は宮内庁長官の「民主党の政治利用だ」をなんの議論も挟まず大声で応援していた。それは「天皇を大事に扱う」という名目で天皇主権を国民に意識づける恐ろしい報道だった。報道ビデオとスタジオコメンテーターの論点は以下だろう
- 1:会見申し込み1ヶ月ルールが絶対だ・天皇にかかわる規則は絶対だ、それに触ってはいけない
- 2:自民党右翼(安倍晋三など)が宮内庁長官コメントに乗っかって天皇に対して民主主義的処置を行った人を批判する
- 3:皇室の実態には何も触れないまま論ずる=中国からの申し込みがはるか以前からあった(少なくとも10月には決まっている)という具体的な事実は何も調べないまま、宮内庁の言うことをだけを報道する
- 4:コメンテーターの馬鹿女(作家玉岡かおる、と思われる)が「天皇は日本国の象徴だから絶対だ」として理由なく天皇を絶対化する。ここには天皇はともかく偉いという意識はあっても、なぜその政治的権能が憲法で縛られているか?という認識はまったくない。彼ら無知なコメント者はただ天皇は絶対だ、とだけ言う
- 5:コメンテーターは「相手国が中国だからいけない」と平気で言う。彼らは自分たちの中国への差別感・侮蔑感を自分では認識していないようだ。ではアメリカなら良いのか?ダライ・ラマだったら良いのか?そういった事を彼らは考えようとしない。中国だからいけないと公然と言うのは、視聴者に対し中国への反感を煽っているのであり、それは経済外交で中国と関係を密にしたい鳩山内閣の方針と反するし、ひいては日本人全体の利益に反する。中国との関係親密化は、われわれの好悪の感情にかかわらず、もはや必至であり国の方針として必要な点に異論は出ないだろう。彼らは侮蔑感のあまり普通の感覚で思考ができないのではないか。
そうして少なからぬ数の日本国民がなんの背景知識・予備知識をもたぬまま、こうしたテレビを見て「そうなんだ」と漠然と同意しているようだ。朝日新聞の社説の一節「意図して政治的な目的のために利用することは認められない」とコピーして自分のブログの見出しにする人のなんと多いことか!そして関西テレビの馬鹿なコメンテーターやTBS「朝ズバッ!」に出て小沢は醜いと言ったスポニチの記者のなんと扇情的なことか!。
そうした番組が平気で通ってしまう今の日本の現状は戦後すぐの天皇崇拝の色濃い時代とそう変わっていないように見える。戦後すぐの時期には日本人の多くは本気で天皇を好いていた、それは戦前の国家神道の影響が大きかっただろう、天皇は戦争に負けて自分は神ではないと言ったが、人々にはそれでも天皇は尊敬すべきだという強力な基礎観念が刷り込まれたままだった。戦後の民主主義宣伝の時期にも、なぜ天皇を尊敬しなければならないのかに異議が唱えられる事はなかったからだ。
今の日本人にはそうした背景観念はない、しかし天皇への漠然とした好感情を背景に、一部右翼に配慮したこうした天皇におもねる番組の風潮はほぼ全てのテレビで共通している。彼らテレビ製作者はなぜ天皇に敬語を使わねばならないか疑問に思ったことはないのだろうか?民主主義へのその危険性を少しも考えないのだろうか?その結果また愚かで結果としては危険な国民を再生産してしまう事に思い至らないのだろうか?
朝日新聞社説(2009年12月13日)天皇会見問題:悪しき先例にするな
(略)問題は、政権の意思によって、外国の要人との会見は1カ月前までに打診するという「1カ月ルール」が破られたことだ。高齢で多忙な天皇陛下の負担を軽くするための慣例である。
日本国憲法は天皇を国の象徴として「国政に関する権能を有しない」と規定した。意図して政治的な目的のために利用することは認められない。鳩山政権は習氏来日の直前になって、官房長官自ら宮内庁長官に繰り返し電話し、会見の実現を強く求めた。天皇と内閣の微妙な関係に深く思いを致した上での判断にはみえない。国事に関する天皇の行為は内閣が決めるからといって、政権の都合で自由にしていいわけがない。 (略)