zames_makiのブログ

はてなダイアリーより移行

天皇会見問題は小沢一郎が完全に正しい朝日社説は背徳的だ

中国の習近平国家副主席と天皇が会見したスケジュール問題では小沢一郎の意見が完全に正しい。宮内庁長官や皇室ジャーナリストの言っている、「天皇のため」とか「天皇に失礼」という言葉こそが天皇の政治利用だろう。同じように右翼の安倍晋三元総理(実際に日本最大の右翼団体日本会議のメンバー)などが言っていることも本心では憲法を改正し天皇主権国家を目指している彼らの、64年前の時代遅れの天皇崇拝愛国心のためだろう。そうした一部の右翼の意見に流されず国民は象徴天皇というものは何なのかをこの機会に考えるべきだろう。
 しかしメディアの情勢はおかしい。メディアはこれらの天皇主権主義者の言葉をまるで正しい主張のように伝えている。そこでは馬鹿な理屈をこねたりしている。*1
また朝日新聞やテレ朝「報道ステーション」の対応も問題だ。彼らは今の政治状況の中でで主導的立場をとりたいという意図から明らかに平等主義に反している天皇を肯定しその危険性を隠し続けている。彼らはそういった政治的意図から、「天皇の行為はここまでは非政治的」などと嘘をつき社説で「悪しき先例にするな」などと書いて小沢一郎の意見を問題視している*2。それこそ無知な国民をあざむく背徳的行為だ。天皇の政治性を直視しちゃんと議論を提起すべきなのではないのか?
 ネットでは、2009年12月16日夕方検索した結果(約70件中)ではブログでこの問題をとりあげたもので小沢に批判的なものはやはり右翼的な色彩の濃いものだった。

 小沢一郎の主張は3点と思われる
(1)天皇会見は30日前までに申し込むのは役人の決めたルールであり絶対のものではない
(2)内閣が天皇に対し誰々と会えと命ずるのは政治利用ではなく、日本国憲法の「理念」に基づいた民主主義的行為である
(3)内閣の意思に宮内庁長官という役人が反抗するのは、政治主導に反する越権行為である

この3点に対し、宮内庁長官や皇室ジャーナリスト(その中身は旧宮内庁役人や天皇主権を奉ずる国家主義者だ)および日本テレビなどの右傾化メディアは以下のように反論しているようだ。
(1)天皇の行為に内閣の承認を要するという国事行為に今回の面会は当たらない。憲法の読み間違えだ。
(2)天皇が誰と会うかは杓子定規に機械的に決めており中立だ、国により選べば政治利用だ。


これらに対しても小沢一郎が完全に正しい。(1)確かに憲法の国事行為の条文では天皇の会う相手が外国大使などの場合と書いてあり習氏は入らない。しかし小沢一郎が正しい、小沢は「憲法の条文では」とは言わず「憲法の理念・本旨では」と言っている。つまり考え方・あるべき方向として天皇の面会相手の決定はどうあるべきかと言っている。天皇が大使のような政治的重要人物と会う行為は内閣が責任を持つ、というのが憲法の理念であり、今回の面会はそれに準じたものであるのははっきりしているだろう。

 天皇が外国要人と会う行為は間違いなく政治的な行為であり、それが個人の自由に任せられるような中立的行為であるなどありえない。こう考えたらどうか、杓子定規の規定で天皇ダライ・ラマや公正な選挙で選ばれたパレスチナの政治的代表者ハマスの代表と面会したらどうなるのか?あるいは30日ルールをたてにオバマ大統領との面会を断ったらどうなるのか?(習近平氏との面会も急に予定が入ったものではなく単に外務省からの申し込みがなかっただけだ*3、同じように外務省からの申し込みが遅れれば宮内庁オバマとの面会を断るのだろうか?)


(2)については天皇習近平国家副主席という重要人物と会うことは日本国家にとっても大事なことであり、天皇の勝手な判断でゆるされるべきではない。現存は象徴天皇制であり主権は国民にあり、天皇は国民の命ずるままに動くことが必須だ
 それらは天皇宮内庁の勝手な判断で許されるべきものではない。天皇ダライ・ラマとの面会は今は日中関係に悪影響を及ぼすので禁止すべきものだが、将来日中関係が変われば中国に圧力をかける方法として是非行うべきものでもある。そうした判断はまさに政治的なものであり、民主主義の手続きで国民の意志を反映している内閣が判断すべきもので、けして機械的な順番や天皇の個人的判断で決めるべきものではない。


上記を簡単に書けばこうだ

  • 小沢一郎憲法の理念・主旨によれば、と言っているのであり条文とは言っていない
  • 天皇習近平氏という外国要人の面会はもちろん重要な政治的行為であり、内閣が可否を判断すべきものだ
  • 象徴天皇制では天皇は国民の意思の代弁者である内閣のしもべであり、その行動は国事行為に限らず完全に内閣の命ずるままに行われるべきだ。これが小沢一郎が述べた事でありであり、日本国憲法の大方針だ。
  • 日本テレビ自民党安倍晋三などが口うるさく反論するのは彼らが、心の底ではアナクロ天皇主権論者だからだ。つまり彼らが右翼(=戦前の価値観を信奉する者)で天皇中心の国家主義を愛好しているからだ
  • 馬鹿な右翼は「天皇は中立だ」「天皇に失礼だ」などと言うが、政治に中立などない、又天皇は国民のしもべであり命令に従うべき存在だ。中立などと言って天皇の勝手な行動をゆるせば、彼ら安倍晋三などの自民党右翼政治家(自民党内の多数)は、天皇の名の下に愛国心教育(実際にはナショナリズム教育)や、武威(軍事力的威嚇)を外交の主軸とする軍国主義の政治を行うだろう。
  • 完全に小沢が正しいこの問題が議論を呼ぶこと自体が、安倍晋三などの右翼がいまだ日本の政治状況で強力であることを示している。これはネット上でよく見かける馬鹿な歴史修正主義者などのエセ右翼や、歴史を何も知らないまま天皇を愛する多くの馬鹿な日本国民の存在に基礎づけられている。そうした馬鹿な人は天皇が何をしたか歴史から学ぶべきだ。
  • 歴史を知れば戦後の日本国憲法下でも天皇が悪行を働いているのを知ることができる。すなわち昭和天皇による天皇制を守るため沖縄をマッカーサーに売り渡した行為だ昭和天皇は1947年9月、今と同じ日本国憲法の下で、沖縄は25年から50年アメリカの軍事基地であるべきだとするメッセージを発している*4。この天皇の酷い行いの負の結果をわれわれは普天間基地移設問題という形で今目の前にしている。それを考えるべきだ。中立という名で天皇の勝手を許せばこうした事を堂々と行う余地が生まれよう。

中国からの申し込みははるか以前に行われていた(週刊朝日山口一臣

天皇の「政治利用」は霞が関のトリックだ」週刊朝日山口一臣氏(2009年12月16日)
http://www.the-journal.jp/contents/yamaguchi/2009/12/post_93.html

さかんに喧伝されている「天皇の政治利用」問題だ。あれのどこが政治利用なのかまったく理解に苦しむ。ことの経緯を冷静に検証すれば、「1カ月ルール」をミスったのは官僚の不手際だったことがわかる。それを官僚が「政治利用問題」にすり替えて責任回避しているに過ぎない。


(中略)繰り返すが、中国側は遅くとも2009年10月には習の名前を挙げて、陛下との会見を希望している旨を外務省に伝えている。これまでの例から考えると、この段階で即、情報が宮内庁に伝わらなければならない。それがなぜか今回はできていなかった。霞が関の大チョンボだ。


情けないのは、こんな簡単な霞が関トリックを新聞が見破れないということだ。新聞を読むと、まるで霞が関の官僚が書いているような解説ばかりで驚いている。(中略)今年初めに外務省が中国から要請を受けてから、どんな仕事をしてきたのか、なぜ早い段階で宮内庁に打診しなかったのか、情報収集、情報共有はきちんとできていたのか、などの検証もない。

この問題でネットで見かけた尊敬すべき意見(1)天木直人ブログ

天木直人ブログ(2009年12月13日)「小沢、反小沢で政界再編が起きる予感」

 今回の習近平・中国国家副主席の天皇会見問題に関する私の解説は有料メルマガで詳しく書いた。
それは一言で言えば、「1ヶ月ルール」を破ったかどうか、という瑣末な問題ではなく、象徴天皇の果たす政治的役割と、誰がその天皇の行為を決める権限を持っているのか、という根本的な問題であると言う事だ。

この問題でネットで見かけた尊敬すべき意見(2)北海道新聞社説

(1)北海道新聞社説(2009年12月15日)
天皇会見 政治問題化はおかしい(12月15日)

 (中略)冷静に考えてみたい。内閣は自らの責任で会見を受け入れた。確かに、公式な要請が届いたのは会見まで3週間もない11月26日だった。宮内庁は「ルール違反」として断る意向を伝えたという。それでも中国は「ぜひに」と、繰り返して会見を求め、最後は鳩山首相の決断で決まった。問題があるとすれば、陛下の健康不安である。公務の負担軽減には内閣も配慮しなければならない。 だが「1カ月ルール」は絶対条件だろうか。少なくとも内閣の意思より優先するものではない


(中略)しかし、首相は「日中関係を発展させる意味があり、判断は間違っていない」と強調している。中国の国家指導者が来日して天皇に会う意義は大きい。日本と中国の経済関係は切っても切れないほど深まってきた。政治や文化、国民間の交流も着実に前進している。胡錦濤主席も副主席当時に天皇と会見した。有力後継候補の習副主席にも中国が同じ対応を求めてくることは予想できたのではないか。


 天皇と外国賓客の会見は、いわゆる「公的行為」として、自民党政府が長く推進してきた。外国訪問と同様、国事行為ではないものの「象徴の行為として、内閣が責任を持つ」と、歴代の内閣や宮内庁幹部が答弁している。国事行為に準ずるとみてよい。憲法は国事行為を「国民のために」と明記している。同じ見地で会見に応じた内閣の判断は妥当だろう。むしろ、会わない理由をこじつける方が難しいのではないか。(後略)

この問題でネットで見かけた尊敬すべき意見(3)植草一秀ブログ

植草一秀ブログ「小沢一郎氏の正論を批判する低劣なメディア」(2009年12月15日)

中国の習近平副主席の来日に際しての天皇と会見が行われることについて、民主党小沢一郎幹事長が12月14日の記者会見で見解を表明したが、極めて明快な説明である。読売新聞は外国賓客との会見が天皇の国事行為でないとして、内閣の助言と承認の対象外であるかのごとくに主張するが、会見は天皇の国事行為に準じる「公的行為」である。
 したがって、その運用に際しては国事行為に準ずる対応が求められる。実際、歴代の内閣や宮内庁幹部は「象徴の行為として、内閣が責任を持つ」ものと答弁してきている会見が国事行為そのものでないことを理由に、会見についての判断を宮内庁の裁量に完全に委ねるべきとの主張は正当性を持たない。(中略)


メディアは会見予定申し入れを1ヵ月前としていることを「ルール」と表現しているが、「内規」、あるいは「慣例」と表現するべきものである。この運用方法は法律事項でも政省令事項でもない。日本国憲法第三条および第七条が唯一の法文上の規定であり、実際の運用に際して、日本国憲法の条文が優越することは当然である。



マスメディアや自民党天皇の政治利用と批判するが、この点を批判するなら、日本国憲法第七条第三項の「衆議院の解散」も問題になる。これまでの自民党政権日本国憲法第七条に定める衆議院の解散を内閣総理大臣の専権事項との解釈を示してきた。内閣総理大臣が政治上の判断から内閣を解散しようとするときに、この条文を活用していわゆる「七条解散」を実行してきた。つまり、内閣総理大臣衆議院を政治上の理由で解散したいと考えるときに、日本国憲法の第七条の規定を利用して、天皇の国事行為として衆議院を解散してきたのである。これこそ、天皇の政治利用そのものである。

*1:テレビで見た馬鹿な反論の例:フジテレビ23:30のニュース「天皇が誰と会うかを選んだら政治的行為だ、天皇機械的に誰とでも会う」、日本テレビ朝のニュース「憲法の国事行為は大使などだけで小沢の文章読み間違えだ」「内閣が指示するのは政治利用だ」、TBSみのもんた番組でのスポニチ編集長のコメント「天皇利用する小沢一郎の顔は醜い」

*2:朝日新聞社説への批判詳細はhttp://johonage.exblog.jp/tb/11786780に記載

*3:習氏の会見がずっと以前から予定されておりこの問題はもっと早く宮内庁に申し込まなかった外務省の事務的なミスだとの指摘が高野猛氏から、なんと日本テレビの番組でされていた。こうした違う角度からの意見が質を誇る朝日新聞にさえないのは悲しむべきと事だ

*4:昭和天皇が自己の保身のため沖縄をマッカーサーに売り渡した事件の詳細は『昭和天皇マッカーサー会見』(豊下楢彦 岩波現代文庫 2008年)を参照されたい