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田島良一講演「サイレント期の映画館の歴史」

さいたま市博物館第33回特別展「街にキネマがあったころ−明治から昭和初期の映画館−」
10月25日(日)
「地方映画館の文化史」講師:田島良一氏(日大芸術学部映画学科、NFC
14:00〜15:30
場所:さいたま市博物館講堂
主催:さいたま市博物館
参加費:無料
(参考書→映画館と観客の文化史 / 加藤幹郎. 中公新書

産業としての映画史

  • 江戸時代 日本独自の「写し絵」の存在
  • 1894 映画発明 リュミエールのシネマトグラフ(1894)、エジソンのバイタフォン(1897)
  • 1896 日本に映画輸入、キネトスコープ(1896)シネマトグラフ(1897)
  • 1903 浅草電気館 開館:常設の映画館、「見世物としての映画」(米のニッケルオデオンと同時期)

(見世物としての映画、サイレントでの台詞(弁士)と音楽(楽士)の存在)

  • この頃映画=見世物としての映画「列車の到着」「工場の出口」
  • 1904 日露戦争で実写映画が観客集める
  • 1912 日活発足
  • この頃映画=実写、「芝居(歌舞伎、新劇)の再現」で観客を集める、弁士と楽士がいて台詞と音楽をつけるのが常態(日本独自)、休憩奏楽での西洋音楽普及、映画館歌手の普及、3本立4時間など長時間興行、諸出し物との混合形態による歌舞伎興行との類似
  • 1920 帝国キネマ発足
  • 1921 松竹発足
  • この頃、「船頭小唄」流行歌の映画化で映画館歌手が活躍、「東京行進曲」(1929)
  • 1926 映画観客数1億5000万人、2回/年・人→映画普及せず


(トーキー化と観客増加)

  • 1927 初のトーキー「ジャズシンガー」
  • 1935 日本でトーキーがサイレントを上回る(制作本数)
  • 1935 映画観客数2億3000万人、観客急増する(トーキー化、芝居再現からの脱却)
  • 1937 東宝 設立
  • 1939 映画法施行、情報局の統制強化(〜1945)
  • 1945 GHQの映画検閲開始(〜1952)


(戦後の映画ブーム)

  • 1952 占領解除、
  • 1953 テレビ放送開始
  • 1958 映画観客数11億2700万人(最高)
  • 1960 映画館数7457館(最高)封切り本数547本(最高)
  • (この頃から映画産業の凋落、対策としての大作指向などあらわる)


(映画産業の長期凋落)

  • 1961 シネスコ映画(日本最初)「釈迦」大ヒット
  • 1961 新東宝倒産
  • 1963 観客数急減5億7000万人、テレビ普及する(65%)
  • 1971 大映倒産、日活、ロマンポルノへ転換
  • 1973 大作映画、「日本沈没」初めて興収10億を突破(配収16億4000万?)
  • 1981 ミニシアター登場
  • 1988 レンタルビデオ店35000店で映画売り上げをしのぐ1兆2000億円VS映画興収1619億円、(映画観客数1億4800万人、映画館数2005館)
  • 1993 シネコン登場
  • 1998 名画座閉館(文芸座、並木座
  • 2008 映画観客数1億6400万人、映画館数3359館(スクリーン数)、公開本数418本、興収1158億円、

さいたま市博物館第33回特別展「街にキネマがあったころ−明治から昭和初期の映画館−」

■展示構成
プロローグ 映画の誕生
トピック1  活動写真時代の映写機と撮影機
1 演芸場から始まった活動写真
2 演芸場から映画館への変身
トピック2  さいたま生まれの女優たち(三宅邦子・五月信子)
3 映画館からの発信
トピック3  さいたまで撮影された映画(「人情紙風船」 「あゝ玉杯に花うけて」)
4 あの手この手の集客模様
5 さいたまの映画館(昭和10年代まで)
 さいたま市内での映画上映は、明治40年代初頭に演芸場などを中心に始まります。 その後、映画産業の盛況に伴い映画専門の館が建ち始め、街になくてはならない娯楽施設になっていきます。しかしながら、かつて娯楽の王様といわれた映画館は昭和30年代中頃以降になると急激に入館者が落ち込み、気がつけば街中にあった映画館は廃館になってしまいました。今回の特別展では映画館「浦和劇場」を中心に、地域における文化の創造に大きく関わってきた昭和初期までの映画館事情を、地域との関わりに視点をあてながら追っていきます。